なかなか変わった生い立ち

はじめまして。私はアラフォーで幼児2人を育てる母親を生きている。

私は今までずっと、生まれた県内で過ごしてきている。
高校卒業までは母、祖母と生活していたが、父やきょうだいは無かったため、どこか寂しい思いを抱いていた。
だから、自分は血の繋がった家族を持つことへの渇望がひどくあった。なので子供が欲しかったし、今は2人の子供に恵まれたことがありがたくて仕方がない。

母は家計を支えるため、複数の仕事を掛け持ち夜中まで仕事した。水商売だった。
そんな母は、祖母に私の世話のほとんどを頼み、私は祖母に育てられた。
幼稚園の頃も、毎晩のように母は不在だったが、祖母はよく私を寝かしつけなどしていたなと思う。今私が子供の寝かしつけ、ご飯支度、お風呂などの世話で苦労しているのに、それを65歳ほどでしていたとは。
また当時は、祖母は商店を営み仕事をしていたから、どれだけ大変だったか…。感謝しかない。

昭和一桁生まれの祖母からは、もったいない精神、物を大切にする精神、他人には失礼をしない、迷惑を掛けないといった昭和の価値観を教わった。叩き込まれた。
そんな祖母は昨年、干支が八巡しようとした95歳で人間としての役目を終え旅立った。約20年をほぼ寝たきりで過ごした
約10年前には、母はすでに先に旅立っており、私の幼き頃を中心とした過去をよく知る人はすでにこの世には居ないということになる。

まだ30代後半ながら、先代が居ないという現実には胸がきゅっとなるような寂しさを感じる。もちろんそういう人は世の中にたくさんいるだろう。
こう書き起こすと、実にびっくりするような変わった家庭で育ったような感じに思われるだろうか?
俗にいう会社員の私と夫、それを父母として育つ子達。私が持つ家庭は、至って平均的な家庭であり、平均的な家庭を生きることは大きな憧れだった。
それに比べると、過去は平均から外れ、ずいぶんと振り幅のある生き方だったように思う。これを書いて気付いたが、過去と現在を比べたときの「ギャップ」はなかなかなものだ。過去はアブノーマルで荒波のようで、現在は平穏で平均な毎日。といっても現在は感謝に溢れていることは確かで。

そもそも平均って何か、という議論はあるが。

金銭的には貧しくも、厳格に育てられた半生や、アブノーマルでユニークな家庭の状態・エピソードについて残そうと思い立ち、このnoteに気が向いたときに書いていきたいと思う。
書いてみようと思い投稿画面に進もうとしたら、#note書き初め の所信表明をするとカテゴリー応募ができるようで。
では、この投稿をやってみよう、というのが私の挑戦かな。noteさん、よろしく。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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