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あるクリスマスの出来事

この話しは100パーセント事実だ。

かって、約一年半のあいだ失業した。これはその年の間のクリスマスの出来事である。
履歴書を書いては送り、数少ない面接の通知に期待を持って出向き、落ちて又、履歴書を書くという生活を送っていた。面接では辛辣なことを言われ、履歴書を送っても合否の返事すら貰えない会社もあった。
30社を超えたあたりで、少しづつ精神的に追い詰めれていくのを感じた。表情が険しくなった。まるで呼吸するかのように頻繁に溜息をついた。
その頃、ぼくが勝手にイメージしていた世の中とは、巨大なジンギスカン鍋のように思えた。それはバビロンの塔のようにそびえたっていて、恐ろしい速度で回転していた。頂上にはお金持ちの家族が住んでいて、皆笑顔でテーブルを囲んで楽しそうに食事をとっていた。下層にいくほど所得の低い人たちになり、一番下の人たちは、そのジンギスカン鍋から振り落とされないように、鍋のふち、肉汁がたまるところに必死にぶらさがっていた。そして、振り落とされたひとたち、ぼくは、遠くの冷えたぬかるみからその速度で回るジンギスカン鍋をただぼーっと見ているしかなかった。
ぼくはふたたびあの鍋に飛び乗ることができることができるだろうかと。それは所詮どうあがいても到底無理の話しのように思えた。

そんなぼくの家にも、クリスマスは、クリスマスでやって来た。
その日の朝、奥さんが、今日くらいは気晴らしにお祝いましょうよ。でも、聖なる夜だから、ウチに合わせてこじんまりと言う。
クリスマスなんてどうでも良く、そんな気分にもなれない。が、奥さんはパートに出てくれていた。我に返って、少しは奥さんの気晴らしになればと同意することにした。

ぼくらは、薄曇りの街に出て、パックの握り寿司とショートケーキをふたつ、それに、スパークリング・ワインを一本買った。我が家にすれば目の覚めるような贅沢である。
そればかりか、奥さんは、ぼくに三千円手渡して、これでCDでも買えという。何度、断ってもお金を差し出す。それで、結局、千円返して二千円受け取った。
そうして、久しぶりにレコード屋に行った。その頃、隣街のデパートの一角に中古レコード店が入っていたのだ。
手持ちは二千円なのでバーゲンコーナーの千円均一とかそんなのを見るつもりだった。でも、いつものクセで新入荷のダンボールを軽くチェックした。その時、一瞬にして手がとまった。その中に、このライオネル・ハンプトンのインパルス盤があったのだ。
実は、村上春樹の”ポートレイト・ジャズ”で紹介されていたのを読んでいて以前からほしかった一枚だった。それが今手元にある。少し不思議な感じがした。が、所詮、手持ちのお金で買えるような値段ではないだろう。恐る恐るプライスカードを見ると、なんと、千五百円である。店員が値段を貼り間違え? 何かの間違いだろうと思った。
半信半疑でレコードをもってレジで二千円払うと、ありがとうございますと、商品とおつりの五百円を渡された。店を後にしたときのなんとも不思議な気持ちは今でもよく覚えている。曇り空、冷えた空気の匂い、インパルスのアルバムのコーティング感。

YOU BETTER KNOW IT!!! LIONEL HAMPTON

ワインを飲んで食事をしてクリスマスのお祝いをしたところで、さっそく、レコードを聴いた。
ライオネル・ハンプトンのビブラフォン、すぐにヴォーカルが転がるように飛び込んでくる。
それに身をゆだねていると、固くなった筋肉がほぐされているような気分になる。
やがて、彼はぬかるみにいるぼくに向かって、手をかけ、語りかけてくる・・・。
”何、仕事がねえって、ウ~ン、そんな時もあるさ、オレだって若い頃、ベニーとかとやる前はそらあ、仕事がねえ時期もいくらでもあったもんさ。だけど、今日はクリスマス楽しまないって手はないぜ。それに、いくら仕事がねえからって、何も、そんなところにいることもねえだろうよ”

つきなみな言い方だが、この音楽には、夢と希望がある。高速で回転するジンギスカン鍋の世界とは違う世界がほらっと、ぼくの目の前に広がる。

やがて、B面の4曲目にさしかかった時に、奥さんがあっ!と言って手をたたいた。ぼくもびっくりしてジャケットを開いて曲名を確認した。
その時、喉の奥がかっと熱くなって、自然と涙がこぼれた。この瞬間、ぼくは神さまからクリスマス・プレゼントを受け取ったことを確信したのだ。まるで、父親に言われているかのような言葉のメッセージ付きで、せちがらい世の中だけど、まあ、頑張れやと。

そう、そこから聴こえてきたもの。

それは、ライオネル・ハンプトンが歌う、(SWINGLE JINGLE)”ジングル・ベル”だったのだ。


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