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自己啓発本としての「漫画家残酷物語」

いま、世の多くの方がなんらかの悩みを抱え、なんらかの答えを求めているのか書店おいてよく自己啓発本をみかけます。

私もサラリーマン時代、何冊か買ったことがあります。確かに、抱えていた悩みはある程度において緩和することができました。

素直に思うのが、ある程度にしろ人の心を軽くすることができるのは、作者のちから、それら本のちからなんだろうなと実感します。

『漫画家残酷物語』第二巻 永島慎二


この作者の漫画をずっと昔、はるか昔、ある年長者からしっこく勧められました。
そして、読んだふりをしてテキトーな感想を言ったら、ひどく、淋しそうな表情をされてしまったことがありました。

実に読んだのはここ最近のことです。
なぜ、この漫画を手にとろうと思ったのか。
書店主である私は、自分が読まなくも、きっとこれを求める誰かがいるはずだと。ふとかっての年長者の記憶を重ね合わせたのかも知れません。

だが、本の状態をチェックしているうちに、ぱらぱらと本書のなかの一編「あにいもうと」を読んでしまったのです・・・、

この物語は妹の語りからこうはじまります。

「私は誰かに話さねば気がすまないの・・、どこかで誰かが、きっと聞いていて下さる。そう信じて・・いや、ひとりごとだっていいんだ、お話しいたします・・。」

ふたりは東京の空襲で戦争孤児になった兄弟です。兄は靴磨きや時には盗みなどをしながら妹を助けながらなんとか暮らします。
そのうち、兄は大人の絵描きさんにまじって似顔絵をかいて、二人の暮らしを支えることになります。

だが、突然、兄が似顔絵描きをやめるといいだします。

兄ははじめ、お金もうけのために似顔絵描きなったのですが、長い間やっているうちに本当に絵が好きになってしまったのです。

商売というものは、仕事が好きになってしまうと、それでお金を儲けることは難しくなると。兄はそれ以来、部屋でふさぎこんでしまうようになります。

妹は、家計をたすけるために花売りの仕事につきます。

それから、しばらくして兄は友だちのすすめで、出版社を紹介してもらい児童漫画を描くようになります。

それが少しづつ売れるようになる頃、だが、それもつかの間、
そうすると、兄はまた、商売としてより、いかにいい作品を描くかという事の方が大切になります。
そして、自分の気持ちがすむまでは何回でも書き直して、締め切りを遅らせる事を気にしないようになっていきます。

兄は言います。
「オレは、けっして、そうじゃない」
「商品の生産とは考えたくない」
「オレの場合、つまらんものかも知れんが」
「血を流して描いてるんだ」

妹は、読者にこんなことを語りかけます・・・。

「けれど、兄の生き方はまちがってたかもしれません。いえ、まちがっていたのです」
「今の世の中のというものは何でも一生懸命やる人ほど生きにくいのです。誰でもが、自分の仕事にほこりを持ってその仕事を愛するなど・・・」
「考えないようにしているのです。ある程度、てきとうにおっつけてしまうのが、現実の生活技術なのです」

妹は高校二年になった頃、暮らしのために喫茶店でアルバイトをはじめます。
兄は、そんな妹の店に若い女性を連れてあらわれ、その女性に妹を紹介します。


そして、この物語は、突然に妹のこんな言葉で終わります。

「でも、私はそんな兄が好きでした。人がどんな馬鹿扱いをしても、私には兄の額に月桂樹の冠がみえたのです」

「私は知りませんでした。兄が恋をしていたこと、そしてその恋がこばまれた恋であったことも・・・・」

「兄はその恋にすべてをかけた。やぶれた事は死を意味します・・・・」

「春、兄は玉川にその肉体をなげて・・・死んだのです・・・・」



私たちは、時に人の意見を受けいれられないという場合があります。その人がどんなにか正しいことを言っていたとしても。
賢者の言葉、成功への近道、悩まない法則・・・。

だが、私ここの時、この物語がすーっとと気持ちに入ってきたのです。
そして、思うことは、私は私の人生を、誰かにアドバイスを頂いたとしても、ただ生きるしかないということです。
私の奥底にある、何か引っかかっているような異物、それは、きっと、どんな優れた書籍であってもも取り除けないものだと思います。
実にその正体こそ、世界を覆いかぶさるように存在する憂いのように思われます。
その憂いとは個人の悩み不安だけのものではなく、この世界すべてとともにあるような気がします。
それは、人間が生きている以上、そこに、あり続け、取りのぞけないものなのかも知れません。
人の感情からある一部のみを取り除けないように。

そして、私は変な言い方かも知れませんが、私はこの哀しい漫画を読んで心が少し楽になったのです。
戦争孤児で生活苦にある兄弟が主人公で、その最後に失恋した兄が川に身投げをはかるような漫画にです。
なぜか、きっと、それは、ここにある哀しみただ素直に共感できたからです。
共感できたその同じ痛みが自分の痛みをそっと中和するのです。分け合うかのように。

この作者の漫画をずっと昔、ある年長者からしっこく勧められました。
そして、読んだふりをしてテキトーな感想を言ったら、ひどく、淋しいそうな表情をされてしまったことがありました。

きっと、その年長者はこの漫画について私とこんな話しをしたかったかも知れません。今、私はその人と同じ年齢になりました。

淋しい顔するのは、今度は私の番かも知れません。


古書ベリッシマ (stores.jp)



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