『家族ダンジョン』第34話 第三十二階層 ありがち
階段を降りた先は壁だった。
誰もが思うくらいに近い。左手も壁で右手には細長い通路があり、先は薄闇に覆われていた。選択の余地がなかった。
直道が水平に両手を伸ばすと左右の壁に触れることができた。
「この状態で歩けば、抜け道があっても気付くことができるだろう」
「そうよねー。でも、なんでこんなに狭いのかなー」
冨子は床に目をやる。傾斜はしていなかった。
「大きな岩が転がるような感じでもないしー」
「どうでもいいではないか! 進めるのならば進むだけだぞ!」
「ハムにしては一理あるかな。ただ、これって」
茜は途中で口を閉ざした。思い当たる節があるのか。浮かない顔となった。
「先に行けばわかる」
直道が先頭に立ち、一列となって進んでいく。
長い直線にハムが早々と苛立つ。鼻で直道の尻を執拗に押す。
「このような単調な道、一気に走ればいいではないか! このような歩みでは爽快感が得られないぞ!」
「単調と思わせることで気の緩みを狙っているのかもしれない」
「俺様を前に行かせろ! 走ればわかるぞ!」
ハムは鼻と尻を振りながら直道の股の間を潜って前に出た。
「俺様の怒涛の走りを見ろ!」
カツンと甲高い音で跳び、着地と同時に疾走に移る。ピンクの砲弾は薄闇に風穴を開ける勢いで突っ込んでいった。
冨子は直道の肩口から覗き込むようにして見ていた。
「あの速さだと、ほとんど見えないよねー」
「馬力と持久力は見習いたいものだ」
「ここにベッドがあったら良かったのにぃ」
冨子は大きな背中に頬を寄せる。微妙に胸も押し付けた。
「子供の前で生々しい話は禁止!」
最後尾の茜の鋭い怒声が飛んだ。栗色の頭の震えは数回の深呼吸で落ち着いた。
「ハムの足音が遠い。聞こえる位置も変わってきた?」
茜は一方に耳を傾ける。
「んー、聞こえなくなったかもー」
冨子は壁際に寄って言った。
三人は音を気にするように黙々と歩く。先頭にいた直道が口を開いた。
「左に曲がる」
「はーい」
突き当りを左に折れた。先行きの見えない直線が続いていた。
「通り抜けられる壁はなかった」
「同じところを歩いているみたいに変化がないよねー。ちょっと眠くなるー」
冨子は生欠伸をしながら目元を指先で拭う。
「……また左に曲がるようなら」
茜は思案顔で前方を窺う。
三人は長い直線をゆく。冨子の速度が落ちてきた。不満を込めた、もー、という声が多くなった。
「少し和む」
直道は背を向けた状態で言った。
「そうですか? もーもー」
「……乳牛みたい」
冨子は耳聡く聞きつけて、ゆっくりと後ろを振り返る。糸目を笑みに変えて両腕で胸を挟み込む。エプロンの一部が大きく盛り上がった。
「もーもー」
「愛娘にする態度じゃない! 胸の暴力だよ!」
「もー、大げさなんだから」
最後にくすりと笑った。
「茜の言う通りだ。また左に曲がる」
直道は曲がると両腕を下ろし、ぶらぶらとさせる。束の間の休息を経て再び水平を保って歩き出す。
「これはもう確定だね。ゲームによくある渦巻き状の通路だよ」
「なんで、そんなことをするのかなー」
「ゲームなら仕掛けが思い浮かばなかったとかじゃない? 実際に歩いてみると、かなり嫌な作りだよね。無駄に疲れるし」
「ハムも同じようだ」
直道の言葉を受けて二人が前方に目を向けた。
通路の真ん中にハムが寝転がっていた。横向きの姿でゆらゆらと揺れている。三人の足音が近くなったことでぽつりと言った。
「同じ直線ばかりで飽きた」
「まだマシだよー。私は足の裏が火に焼かれているみたいにチリチリするー」
「これ、本当に苦行だよ」
「途中に抜け道があればいいのだが」
「早く温泉の階に行きたーい」
「体力温存と思い込むしかないよね」
三人はハムの横腹を踏んで通り過ぎる。
「俺様の扱いが酷くないか?」
「そんなところにいたら、どう考えても邪魔でしょ」
茜は冷たく言い放つ。前にいた冨子は振り返って微笑んだ。
「ハムちゃんのおかげで足の裏の痛みが引いたかもー」
「そうなのか! 俺様のご利益だな、それは!」
四肢を一方に振って起き上がる。ハムは高らかな足音で歩き出した。
茜は胡散臭そうな目で冨子を見た。
「……ペットの扱いが上手すぎる」
「ふふ、どうかしらー」
一行は足並みを揃えて突き進む。
しかし、長くは続かなかった。
「もー、足の裏がー」
「ハムちゃん、飽きた」
主に一人と一匹がぐずり出す。
直道は冨子を担当。茜はハムに歪な笑顔で対応した。
「冨子、もう少しで温泉があるはずだ。ゆっくり身体を癒し、心も癒そう」
「それって、ギュッてすることー?」
「まあ、そうなるか」
鼻筋に皺を寄せた茜を見て直道の目が泳ぐ。
威嚇を終えた茜はハムに目をやる。壁に力なく寄り掛かっていた。
「ハムちゃんが、このくらいの試練でへこたれるなんてあり得ないよね。お母さんを乗せて悠々と歩き、神々しい姿を見せて欲しいな、なんて」
笑いながらも頬の一部が不自然に強張る。自身の言葉に多少の無理を覚えているようだった。
「そうか、そうだな! それでこそ俺様の真の姿だぞ!」
「え、こんな話を信じる?」
「俺様に任せろ!」
茜の驚きを声の大きさで掻き消す。ハムは冨子を背に乗せると先頭に立った。
「ハムは意外と優秀なのかもしれない」
直道は引き続き、両方の壁を注意しながら歩いた。
その後も左へ曲がり続ける。同じところをグルグル回っているような錯覚に襲われながらも耐えた。前進と信じて努力を積み重ねる。
新たな直線の通路を三歩で曲がると、最後に降りる階段が現れた。
一行は床へ直に座った。達成感は乏しく、徒労に近い疲労を全身に感じた。
「単純だが堪えた」
溜息にも似た直道の声に二人は言葉が出ず、がっくりと項垂れて答えた。
ハムは普段と変わらない。階段を覗き込み、頻りに鼻を動かしていた。
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