効率いい方が勝ち?

家の裏の公園に、「あじさい橋」という名の橋があります。

その橋は道路で分断された公園をつなぐ歩道橋みたいなもので、
階段の反対側に、バリアフリー対応のスロープがついています。
スロープは緩やかに傾斜し、一度折り返してのぼるので距離が長いです。
階段は至って普通の階段で、急でもなければ子供向けでもない。
1階分のぼるだけの階段です。

以前、カウンセリングに行ったときに
「今、”あるべき”だと思った選択が、長い目で見ればそうでないこともある、それに気づく時なのかもしれませんね。」
と言われました。
「たまには”あるべき”選択から離れて、直感的に選んでみてもいいのではないですか。」

後日、あじさい橋を渡る時に、足が止まりました。

普通の階段をのぼるのが”あるべき”で、
長く緩やかなスロープを歩くのはあるべきじゃない選択だ、と
無意識のうちに考えていることに気付いたからです。

はて、それはなぜか。
「普通の階段」VS「長く緩やかなスロープ」だと
普通の階段を使った方が早いし歩数も少ない。お得。効率が良い。
もし「急な階段」VS「長く緩やかなスロープ」ならば、
シーソーをしてもバランスが取れるんだけどな。

でも直感で選べ、と言われたし(もう考えすぎて全然直感じゃなくなっているのだけど)階段を登りたくないので、スロープを選びました。
そうしたらなんだか負けた気がしました。指さされて笑われてる気がしました。
登りたくないという気持ちで選んだせいで、あるべきを達成できなかったからです。
こんな小さな決断ですら、私は都度”あるべき”に囚われているのかとむず痒くなりました。

時は経ち、今日、私は彼からFitbitを譲り受けました。
最近、毎日の消費カロリーを高めようと気にかけて歩数計アプリを使っていたので、Fitbitならより正確に歩数がわかるだろうとのことです。

手首の太さに合う穴がなかったので熱したマイナスドライバーで穴を開け、
ピッタリフィットしたそいつを腕につけて、試運転もかねて散歩に出かけました。
散歩といえばもっぱら、あじさい橋のある公園です。
そして今日、あじさい橋を渡るときに、ハッとしました。
(それは小さく、誰も気づかないような「ハッ」だったと思います。)

かわいい気づきです。
「”あるべき”は階段じゃない、スロープだ」
と思ったのです。
その方が歩数が多くなり、今日の運動量が小さくも増すからです。

「今これが”あるべき”だと思った選択が、長い目で見ればそうでないこともある」

その言葉を思い出しました。
今、あるべき、楽な選択は、普通の階段をのぼること。
(膝も健康的だし、息も上がらない。短時間でのぼれる。)
でも、長い目(私の健康づくり)で見れば、歩数を稼ぐことを優先し、スロープを選ぶということもありうるのです。

いつも、毎回、あじさい橋と対峙するたびに
効率の良さを判断基準にしていた私は
「普通の階段を選ぶべき」と思いながら、どちらに向かうかムズムズしていました。
でも、「長く緩やかなスロープ」で歩数を稼ぐのがよし、
まあ、「普通の階段」で多少心拍を上げるもよし、
どちらを選んでも私の健康によし、と思えたのです。

だから、もうムズムズしなくてすみそうです。
判断基準を「効率」においていたがための”あるべき”だっただけで
「健康」を考えればどちらをとってもあるべきなのです。

どっちを選んだっていい。
私が絶対だと思い込んでいる”あるべき”は、その時の判断基準、観点次第。
別の角度から見れば、あるべきは変わる。どちらを取ったって構わない。

だから、効率をいつも判断基準にしちゃ面白くないですね。
いろんな判断基準で、あるべきを考えてみれば、今よりは自由になれそうです。

そんな学びを得たのはFitbitとあじさい橋のおかげです。

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