6回目のカウンセリングを受けて
今日は15:50からの予約。なぜか開始時間が10分遅れて始まりました。
前の人がいたわけでもなさそう。そしてサトウさんも悪びれた様子もなく。
サトウさんのカレンダーの設定ミスでしょうか。
まあ良いとしましょう。
さて、今日のカウンセリングのお題、
ナツミさんから寄せられた悩みごとはこちら!どん!
こんなお悩み事をもっている人、きっと他にもいるんだろうな。
わかる、と言ってもらえるだけで楽になれそうだな、と思いつつ
周りには相談できないからこうしてカウンセリングに通っているわけです・・。
減点される恐怖。
がっかりされたら人から大切にされなくなり、自分が不利益を被るようになる、という過度の心配は、高校の部活であっという間に「優等生」から「出来損ないの邪魔者」に転落した時の恐怖が関係しているとは思います。
カウンセラーのサトウさんはこう言いました。
「僕、前は、人にどう思われようが気にしないタチだったんです。
見た目に気を使わないし、思ったことは言う人でした。
ただ、ここ1、2年で気にするようになってしまったんです。」
「それはなぜか。意識が変わったんですね。
もういい歳だし、立場も変わったし、言葉を借りるなら、減点されない振る舞いをするようにしよう、と思い始めたのがきっかけです。」
「今日も朝四時に起きて、先週仕事であった嫌なことを思い出して、断ち切らなきゃなと趣味に没頭したりしました。
今思えば、傍若無人でいた時の方が精神的に安定していたなと思います。でも今更傍若無人に戻れないしな、とモヤモヤしてるんです。」
これを聞いている時、頭が過集中のような状況になっていました。
あ、ここに答えがありそうなきがする、という直感が私を集中させていました。大事なことを一つも聞き逃したくない、と思いながら聞いていました。
「傍若無人でいた時の方が精神的に安定」
なるほど、確かにそういう関係性だと思います。
(傍若無人:人まえをはばからず勝手気ままにふるまうこと。)
他人よりも自分のことを気にかけている人は、精神的に安定傾向にあり、
自分よりも他人のことを気にかけている人は、不安定な傾向にある。
ということは、間違っていない気がします。
いつだか読んだ「うつ病の人はむしろ心が綺麗すぎる」という言葉を思い出しました。自分のことばかり優先していれば、気持ちよく生きられるはずです。自分よりも他人のことを考えようとするから、(そして他人のことなどいくら考えてもわからないから)心が疲弊してしまうのではないでしょうか。
そして「今更傍若無人に戻れない」ということに、これは不可逆的なものなのだという言質を得た気がしました。
小さな子供は自分のことばかり考えています。
いつしか周りを気にするようになり、自分のことだけを考えるのではなく相手のことを考えるようになります。
そうすると、もう「自分のことだけを考える」には戻れないのです。
大人になっても「自分のことだけ考える」人はいますが、そういう人は多少なりとも他人と折り合いをつけつつも、今までもそうだったのです。
その人たちも何かのきっかけで「他人がどう思うか」を強く意識し始めたら、こちら側に来てもう戻れなくなるのです。
さあ・・ようこそ精神不安定の世界へ。笑
「嫌われないように、ということだけに熱中することをやめたい」
ということに対して、サトウさんがくれたのは2つの策です。
①2回に1回くらい、相手に「さっきの発言どうでした?」と聞いてみる。「全然気にしてないですよ」と言われても本意はわからないけど、少なくとも、あなたを傷つけたかどうかを心配している、というこちらの姿勢は伝わる。そうすれば、「どうしようあの時あの発言をしたから」とぐるぐる考える自分の気持ちはさっきよりは落ち着くはず。そうして、ちょっとずつ攻めた発言をしていく。
→ちょっと理解に時間を要しました。
「さっきの発言どうでした?」なんて私の語録にはないです。
なんというか、直接的すぎて、鈍感極まりない印象を受けます。その発言自体が配慮を欠いている、という印象です。多分、人生で一度も言った事がないと思います。
ただ、やったことをないことをやってみることは気づきがあるのは確かです。「さっき言ったこれ、もし傷つけてたらごめんなさい」くらいなら、言った事がないけど言ってみれそうかなと思います。
また、相手に嫌われないことの証明をしていくには、「思ったことをストレートに言ってみる」という策も有効かもと考えている、と話しました。(傍若無人な人にとっては、そんなの策でもなく当たり前すぎることなんでしょうが)
これまでは、「ナツミさんはどう思う?」という質問をされても、
私がどう思うかではなく、相手が欲している答えを逆算して回答する、を繰り返してきました。
ただこれからは頑張って「私が思うこと」を考えてみて、もうちょっとストレートにぶつけてみる。それでも私を嫌わなかった、という経験を積んでいきたいと思います。
相手の気持ちから逆算して自分の行動を割り出している、逆算思考の人なんですね、とサトウさんは言いました。
「全然それをしない人もいますよね、3秒考えればそんな言葉でないでしょうに」と誰かのことを思い浮かべて笑いながら怒ってました。
②ぐるぐる回っている思考を途中で切っていく練習をする。
「言語的価値低減法」の実践をしてみる。
→言語的価値低減方が何者かは知りませんが、ぐるぐるからの脱却は喉から手が出るほどやりたいものです。
「ここまで考えてもわからないなら諦めた方がいい」とわかっていてもやめられません。一人で解決できないけど一人で考えてしまいます。
パートナーから
「馬鹿になればいいんだよ、考えなければいいんだよ」
と言われたことを話すと
「いい彼氏!でもそんなことできないんだよ〜」と笑っていました。
さて、言語的価値低減法の実践は次週として、
「ぐるぐる思考をやめたいけどやめられない時に何かしていることはあるか?」と聞かれました。
特にないかも知れません、考え続けてしまいますね、と答えると
「僕がやってることは」と教えてくれました。
・やらなきゃいけないけどやっていない作業をする
・スクワットをする
の二つだそうです。スクワット、というのちょっと笑えます。
別に、考えてしまうことを忘れようと頑張ったりはしないで、
「ぐるぐる思考」に気づいたら、自然体で作業を始めるそうです。
「人には「作業興奮」というものがあり、単純作業をすると脳が興奮してトランス状態になるんです。そういうものに入れば、ぐるぐる思考から抜け出せます。抜け出せなくても、やらなきゃいけないことが終わるというメリットがありますよね。どうせこんなこと考えているなら違うことしよう、という感じです。」
「考えないようにしよう」ではむしろ考えてしまいます。
悶々とし始めたら何か作業に取り掛かることで、その悶々パワーを昇華させているような感じでしょうか。
無くそうとすると返って離れられないから、言語的価値低減法もそうだけれでも、軽く肯定するのが大事、ということです。
「軽く肯定」この言葉好きです。
ウォーキングで5週目くらいから何も考えなくなるのも作業興奮と同じだそうです。体を動かすリズムに乗っていくと自分が消えていく状態。
「ただ、「ぐるぐる思考脱却」のためには、できれば、家の中でぱっと初めてパッと終われることが良いですね。書類整理とか、旅行の計画とか・・」
家の中で始められる、やらなきゃいけないけどやってないこと・・・。
結局私は、掃除くらいしか思い浮かばなかったので、掃除することにしようと思います。見て見ぬ振りしている排水溝の油汚れとか。
「仕事って考えると解決するんですけど、
「あの人どう思ったかな」は考えても解決しないですよね。
むしろ考えるほどに大きくなっていくものです。」
サトウさんから断言されると、確かに、と思います。
私はそもそも解決しないことについて時間を割いて唸っていたのかと。
解決しない、答えがないなら、それはそもそも「問題」以外の何かです。
「自分の中に生じた思いに対して「なんで」「どうして」と会話を繋げていくと深くなっていきます。まるで森に迷い込むかのようです。
ずっとそれを頭の中で考えていると、ネットでおすすめされる広告のようにそういう情報ばかりが脳内に上がってくるようになります。
無視していれば、広告が上がらなくなるように、自然と考えなくなっていく。感度も下がっていきます。」
「ナツミさんは普通の人より人のことを気にかける意識が高く、人の気持ちを考えるスキルも高いので、もう少しレベルを落としても良いと思います。それを行動で、体で試していくのを次回やりましょう。」
感度が下がる、ということに対して「それで良いのかな」と思う気持ちもあるのですが、そもそも私は「自分が楽に生きられる」ようになりたいです。そのために必要なことならやりたいです。
他人主体で物事を判断しすぎな私にとっては、もう少しだけ自分主体になったところでたかが知れています。それに、本当に必要な時は切り替えれば良いだけです。これまでの経験は消えないのですから。
チャーリイが白痴に戻ってもアルジャーノンとの日々を忘れなかったように、私も多少鈍感になっても敏感すぎた日々を忘れやしません。きっと。
ということで、次回は5/31になりました。
言語的価値低減法の実践とやらを、楽しみにしていようと思います。
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