網口渓太
何か楽しそうなことしてんね。
EMちゃん
おぉ、左側がズレる。力加減が難しいわ。もう一回やる!
ESくん
対面文字両手書きって言うんだって。ボクもやってみたけど、結構面
白いよ。
網口渓太
なんかそのストロークの感じはあれやねぇ、カルマン渦みたいね。
ESくん
あぁ、左右両側から交互に反対向きの渦が発生する現象の奴ね。
EMちゃん
へぇ、何かダリの髭みたいね。
ESくん
それを言うなら、プリングルスの髭みたいでもある。
網口渓太
うん、相違はない(笑) それにしても筆を両手に持って舞っているみたいで、なかなかアーティステックな光景だよ。
EMちゃん
うまく書けないから、試行錯誤の真っ最中よ。身体の延長線上で何か作ってみたらって、渓太くんが言ってたから、ちょっと思い付きでふたりで遊んでるのよ。
網口渓太
意図通りに書けないのも手伝って、文字が絶妙にカワイさを醸し出し始めてるじゃん。ぎこちないEMちゃんもなかなか画になるよ(笑)
坂口恭平さんとか土井善晴さんとか森山大道さんがいいお手本だけど、創作物にその人のらしさが表れているような、見る人の想像力を活動的にさせるような魅力はターゲットだよね。テンマル(、と。)も、「、」で分けたり「。」で繋いだりしながら、いまEMちゃんがやっているように、二重らせん構造な感じで、合わせたり重ねたりしながら、言葉のダンスを舞うっていうイメージが大事だから。千葉雅也さんが『勉哲』で書かれている玩具的な言語、自己目的的な言語、この感覚を思い出すことが家の、あえて言えば目指しているところかな。そのためにあの手この手を尽くして、紆余曲折してる。
ESくん
素粒子も銀河系も自然はことごとくスピン、スパイラル・ダンスをしているから、人間のありとあらゆる活動も同じなんだろうね。世界に回転していない物ってないんじゃないかな。
網口渓太
絵画では目に見えないはずの気配すら渦の形で描かれるしね。生死は輪廻する。
EMちゃん
ふたりの話を聞いてたら、岡崎京子さんの文章を思い出したんだけど、
網口渓太
流石だ。惚れ直すな、こんなこと書かれてしまったら。結論とか目的とかが意固地で頑なだと、あいだがヤラセっぽくなって、過程がつまらないじゃない? だからこそ、ダンス的なノリの、玩具的な、自己目的的な言語は、シーンを面白くしてくれると思うんだよね。岡崎京子さんの漫画のように。
ESくん
ボクは屍派の俳人、北大路翼さんを思い出したね。
網口渓太
岡崎京子さんも北大路翼さんもディープ・プレイ(深い遊び)を体験されてきた方だね。作家本人も魅力に溢れている。というか家のブック・リストの書き手はみんなそうなんだけど。
今日はこのくらいにして……、それよか次、筆貸してよ。やってみたい、対面文字両手書き。