見出し画像

医師になってから苦労したこと~研修医編②~

こんにちは。精神科女医のyumeです。
前回は研修先決定から、研修医1年目までについて書いてみました。
今回は、研修医2年目について書いていきます。

研修医2年目がスタート、後輩におびえる

前回の記事でさんざん書きましたが、1年目の研修医生活は本当に酷いものでした。
肉体的にも精神的にも追い込まれ、それでも周囲の支えや奨学金の義務感が原動力となり、なんとか1年目を終えることができました。

2年目になると、新しい1年目の研修医が入ってきました。
始めは正直、後輩が嫌でした。
というのも、後輩研修医は優秀な人が多く、馬鹿にされるんじゃないかと思っていたからです。
案の定、数か月で、教えることはほとんどなくなりましたね。

元々部活もやっていたので、これまでは後輩に指導するというのが当たり前で、その役割が好きだったのもあります。
正直先輩を抜いてレギュラーになることも多かったので、後輩に追い抜かれるという経験は今までなく、正直、屈辱的でもありました。

しかし思ったよりも性格が良い子が多く、私のできなさを理解していたとは思うのですが、表面に出す子はおらず、むしろ思いのほか仲良くなれました(笑)

そんな後輩に救われ、”できる先輩じゃなきゃいけない”という思い込みはだんだん薄まり、後輩とも仲良くなることができました。

そうして、だんだん自分の将来像についても変化が出てきたのです。

研修終了後の進路について考え始める

2年目も中盤に差し掛かり、メジャー科はすべて周り終わりました。
その時点で、全く進みたいと思える科がありませんでした。

始めはいろんな科を回れば興味が何かしら出てくるだろうと思っていたのですが、逆にローテーションするたびに科の選択肢は消えていきました。

まず内科全般は無理。外科も無理。
小児科、産婦人科は興味あるけど、働き方的には自分にはできないだろう。
残るはマイナー科。興味ない。

あれ・・・終わった( ^ω^)・・・

自分の進路はお先真っ暗・・・そう思ったのですが、もう一度振り返ってみました。

あ、そういえばずっと興味あることがある。
それは自分のメンタルについて。

これまで大きな不適応はなく来ていたものの、生きづらさを常に感じていました。
自分が発達障害の傾向があるんじゃないか、とずっと疑問でした。
考え方も人より頑固で、もっと楽に生きれる方法はないのか、といつも模索していました。


精神科・・・?

ひとつの選択肢が見えてきました。
すぐに別病院の精神科を見学に行きました。

正直、すごく精神科がやりたい!というわけではなかったです。
長年の自分の疑問を解決したかっただけです。

でも、他に選択肢がない。
そして、唯一興味がありやれそうな科。


いろいろ悩みましたが、最終的に精神科を選択しました。

最後のモラトリアム

志望科が決まった後の、残りの研修医生活は楽しいものでした。

これまでは自分のできなさに葛藤していましたが、精神科に進むことが決まったので、専門的な内科・外科知識は不要だと割り切ることができました。

もちろんできるに越したことはないのですが、精神科病院にも内科医師がいるので、最低限の身体管理ができれば何とかなることが多いからです。

残りの期間は、趣味を楽しんだり、研修医の仲間と遊びに行ったり。
今思えば、最後のモラトリアムだったな。

医師は最短でも26歳から独り立ちです。
持論ですが、全ての職業の中で一番長くいろんな余地(モラトリアム)が与えられる職業だと思っています。

長すぎると思われるかもしれませんが、私にはこのくらいの期間が必要でした。
なかなか引き返せない、いろんな覚悟が必要な職業だからこそ、悩んで、苦しんで、多様な経験を糧にして、最終的な自分の行先を決めるのだと思います。


長かった研修医生活も終了

研修医が終了したとき、これまでの生活を振り返って、やはり続けられてよかったと思いました。
途中でやめずに、同期と一緒に修了できてよかった。

できない研修医だったけど、できないなりに2年間最後までやり通しました。
正直これができるようになったとか、学びを深められたとか、自信を持てるものはありません。
でも最後まで続けた。修了した。
それに価値があるのだと私は思っています。


今が苦しい研修医の皆さんへ

この記事を読んでくれている方のなかには、今が辛い研修医の皆さんもいるかもしれません。

大丈夫です。辞めたいと思っているのはあなただけじゃありません。
私も同じでした。

でも、続けました。だから、今があります。

あとあと書いていきますが、おそらく同期のなかで一番早く専門医を取れたのは私です。一番できないと思われていたやつが、一番最初に専門性を極めることだってできます。

研修医の時にできないレッテルを貼られても、後になってから認められることもあります。

研修医のうちは、主に内科系ができる人が”できる研修医”と呼ばれます。
当直対応でも内科知識がメインですし、何よりローテーションの過半数を占めるのは内科です。だから内科ができれば研修医としての評価が上がるのは必然なのです。
逆にマイナー科ができても評価されることは少ないです。

だから、今もし自分のことをできない研修医だと思っていても、それは内科系の医療が向いていないというだけかもしれません。

でも、別のフィールドに行けば、評価は全く違うものになります。
現に、精神科医になり総合病院で働くと、内科系、外科系の先生たちは、たくさん精神科を頼ってコンサルトしてきます。(こちらもしかりですが)
研修医の評価は、研修医までです。


正直、今だからこうやって振り返ることができるんです。
私のことを、さんざんできない奴扱いしてきた上級医たちには、
専門医取りましたけど?何か?」ってどや顔してやりたいところ。

彼らを許しているわけではないですが、自分が研修先を間違えたと考え、もう割り切っています。
それよりも間違えた研修先を修了できた自分すごい!って褒めてあげたいです。


今が苦しい人は、どうすれば自分が少しは楽になるのか、それを考えてみてください。
将来の志望を明らかにして、それまでの辛抱と前向きにとらえるのも良し。
研修終了日から数えてカウントダウンするのも良し。
どうしても頑張れないなら、休養するのも一つの手です。
別の研修先に移って、そっちで研修修了したって良い。

でも、研修医をやめるのだけは、最終手段に取っておいてほしいです。
臨床研修の2年間さえ終えれば、医者としての働き方は選べます。

ぜひ、どんな形であっても臨床研修は修了して、自分に合う場所を探してほしいなと思います。


最後まで読んでくれてありがとうございました。
よかったら、いいね!、フォローなどお願いします(^^♪

ではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?