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コーチングを学んだ理由

最近よく耳にするコーチング。
本格的に学び始めてもうすぐ1年が経とうとしている。
それまでにも本で読んだり、短期間での講座に参加したりとチャレンジしたことはあった。
特に学ばずとも、なんなら私コミュ力高いって周囲からもよく言われるし必要ないでしょって思っていた。
そんな私がなぜ学んでみようと思ったか?というと「自分に課金したくなった」から。

自分は後回しでまずは子ども。目標はいかに夫のお小遣いを減らし健全な家計とするか。とはいえ夫は好き放題。そして、行き着く先が不毛な喧嘩。
えっ、私だけ?!鬼よめだから!?専業主婦をしたことのある人は激しく同意いただける感情なのではないだろうか。少なくとも私は長らくこの感覚だった。
友人とのランチもどこか稼いでない自分だけ行くなんて申し訳ない気がしていた。(結局いくけどw)
なんだかいつも自分ばっかりが我慢している感覚が消えなかった。

何だか言いたいことも言えないし、家庭でも職場でも私の人権どこ?って感じだし、何より自分自身が一番自分を大切にしていない気がする。こんな自分を変えたくて、自分が一番喜ぶものに課金することを決めた。

だが、長らく後回し後回しを続けた結果、自分の喜ぶことすら分からない。

そろそろいいお年頃だし、お出かけ用の高級バッグでも買ってみるかとデパートに行くものの心が全く動かない。偽物が3万円で売られているのなら高級バッグの原価は1/10以下だろ!とか可愛くないことを考えてしまう。
次に、ジュエリーショップへ。何となく店員さんが売る気満々で怖くなって、欲しいと思えなかった。

私の欲しいものって?!自問自答を繰り返し、今回の課金目標は自分を後回しにせずに自分が大切にしたい自分であること。そう考えると自分自身に投資することが最も有益である気がして学びに課金することにした。そんな時大好きな友人からこのスクールの話を聞いて、なんと講師の先生が同じ大学出身と知り、説明会で話してみて「これだ!」と決めた。

コーチングというスキルは曖昧で、ともすれば素人でもできてしまうようなところもあり(実際は全く違ったけど)偽物も多く存在する世界だと思う。
資格というものも存在するが独占業ではないので必須ではないようだ。それでもコーチングを学んでみようと決めたのは、「問い」こそが最も大切だと考えたからだ。

アインシュタインは「私は地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、59 分を 問題の定義に使い、1分を解決策の策定に使うだろう」と述べている。

どんな問いを出せるか、それが人生の質を劇的に変えるのではないかと思っている。

しかし、たかがコーチングとも思っている。魔法でも何でもなく人生をより良く生きる中の道具の一つにすぎない。
ハサミと〇〇は使いよう〜とよく耳にするがまさにその道具でしかない。

そして、学び始めて1年。自分が愛でていたい自分でいる、ということは叶いつつある。全て叶ったわけではないし過去の自信のない自分が顔を出すことはもちろんある。おっちょこちょいでぐーたらでどうしようもない自分もいる。でも総じて私は天国に住んでいるなと日々感じる。コーチングだけによるものかどうかも分からない。ただ学んでよかった。もっと正直にいうとスクールでの同期に出会えてよかったという言葉がピッタリくる。この証拠に複数回開催される講座でそれなりに時間もかかるし負荷もある中、脱落者が一人もいない。スクール運営を仕事にしている私からすれば驚愕だ。

そんなこんなで長くなったのでコーチングを学んで起こった副次効果について次回は書き記したいと思う。

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