豪雪の山里から ~ あっちもこっちも神様いっぱい
こんにちは。ようこそ
さて、新潟県は日本一神社が多い土地だそうだ
自分自身は、信仰心とか無いけど
確かに気にしてみるといたるところにある
小さな集落にも必ず一つは神社がある
福山の神社は二柱神社。もともとあった十二神(山の神様)と麓の守門神(だったかな?天照大御神が祀られてる)を合祀したから「ふたばしら」
昔から炭焼きや山菜採りなど、身近な山とともに暮らしてきた土地柄だから、山への祈りは欠かせない
まだ集落が右肩上がりだった時代、信心深い皆さんから多額の寄付を集めて神社を建立し、皆で無病息災や家庭円満、豊作などを祈念したのでしょう
かつて、お盆の夏祭りには、参道に明かりが灯り、お祭り屋台も出て、多くの人が太鼓と笛に合せて踊り、大層にぎわったそう
でも今では、人が訪れることも滅多になく、境内は静まり返っている
他にも「薮地蔵」という立派な地蔵堂がある
夢枕にお告げがあって山中の藪で見つけた地蔵様で、一時は遠方からバスに乗って多くの人が祈念に訪れたと聞くが、ちょっと想像もつかない
今も年2回の御開帳があり、その日は集落のお年寄りがお参りに訪れてはお茶をして帰っていく
他にも地蔵さまや石の祠がたくさんある
福山みたいな小さな集落でも至る所にある
一番多い「稲荷様」は米づくりの神様
昔の人はそれだけ米の豊作への祈りが篤かったということか
ちゃんと近所の家できれいに清掃管理されているところもあれば、誰も通らず存在自体を忘れ去られたように放置されている祠もある
昔ほど信心に篤い人はいなさそうだが、今も各家庭には神棚があり、皆さん毎年お神札を買ってはお供えしてる
1月終わりには「春日待ち」という神事があり、神主が下の町から上って来てお祓いをするが、多くのお年寄りが集まり、離れて暮らす子や孫の厄年には厄払いもしてもらう
何年か前のこと、魚沼で唯一、福山集落には「八百万の神さま」の祠があるって話を聞いた
何となく興味を抱いて、集落のお年寄りに訊いて周っても、知っている人はほとんどいなかったが、道も無くなった山の中腹で、杉の木枝や土に半ば埋もれている祠をやっとのことで見つけた
そのまま見過ごしにはできず、周囲を掃除し始めていると、驚くことに、目の前の枯れた木の穴から突然、大きなフクロウが出て音もなく飛び立っていった(フクロウが音を立てないのは当たり前だけど(笑))
何だか、フクロウが八百万の神を守護していたのでは?と思ってしまうような、荘厳な光景にただならぬものを感じた
自分に信仰心はないと言ったが、この「八百万の神」という日本古来の独自思想には、何となく共感できる部分がある
海外のように神は唯一絶対の存在ではなく、あらゆる自然現象の中に神はいるから、神様は数えきれない程たくさんいるってこと
だから日本人はすべての神様を受け入れられ、宗教で争うこともない(日本でも時とともに宗教は権力や富とリンクして争いの源になったけれど)
その思想は、島国の農耕民族ならでは、厳しい自然への畏怖の意識から出ているという
人間がもっと非力で今ほど横柄でなかった時代、自然の中で生かされていることに感謝する日本人の姿を感じられる、素敵な思想だと思う
でも、こんな非科学的な思想は、今どきの人の暮らしや考え方にはマッチしないだろうな
そして、この祠のように思想ごと忘れ去られて廃れて、そしてすべてが自然に復していくのだろうな
ではでは
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