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自己肯定感低め女子。

女子というにはもうそんなに若くはないかもしれない。
30を目前にしたただの女。
最近、25歳くらいに見えると言ってもらえたことを真に受けて
気持ちだけは女子でいたい。
25歳でもきっと女子ではない。

それはそうと。

わたしは、自分に自信がない。


学生の頃はそのことで特に困ったことはなかったが、
社会人になって仕事をしていると、
そこかしこで自信のなさによる影響が見え隠れするのだ。

たとえば
人からからかわれたとき。
冗談だと分かりそうなものでも、
わたしは真に受けて落ち込んでしまう。
たとえば
自己PRなんかも苦手で、
毎回Googleで調べては
テンプレートに頼ってしまう。


そうして時たま自己分析をする。
誰かに話題をふってみたりもする。
自分のことって、どう捉えていますか?
とか、
他人から見える自分について
とか。

いつだったか、母はわたしに言った。

あんたは一番の上の子で女の子だから
押しつけて育てたのよ。

その教育がどこに顕れていたのか、
いまだによく分かっていないが、
気付けばわたしは
自信のなさにコンプレックスを持つ
女の子になっていた。

とある職場では、感情と行動について
人からよく分析されることがあった。

あなたは自分に自信がないと言うが、
あなたのしている行動は自分のことを好きな人がするものだ。
きっとあなたはこじらせていて、
自分のことは本当は好きだけど、それを良くないことだと思っているのではないか。
だから行動もちぐはくになっている。

そんなようなことを言われた。

他人にそんなふうに内面を分析されるのって
とても、とても、なんというか、ぞっとした。

でも、彼は自分の立場的にそこまで管理しなければと
考えていたのだろう。
やりすぎだ、と思う。
でもそんなところまで他人のことを考える人なんて、
なかなか出会ったことがない。
いや、そこまで考えさせてしまっている自分が悪いんだと思う。

そんなふうに言ってもらえることって、ないので
それについても考えてみたり、人に話してみたりした。

自分のこと、
少しひいて見てみると、ちゃんと好きな部分もあるのだろう。
でも、もっとこうなるべき、とか
これが理想、というものが
高かったりありすぎるのかな、と思う。

またある人と話していて、
やはり人格の形成には育った環境の影響が大きいのでは、となり
それについて母以外のことも思い返してみた。

それでひとつ思い当たったのは、祖母の教育方針。
わたしの両親は共働きで、学校から毎日、
近くに住んでいる祖父母の家に帰った。

祖母はとにかく第一に勉強ができることを大事にし、
宿題を集中してできるような環境づくりや、音読や暗記の相手をしたり、
熱心に面倒を見てくれた。
付き合う友だちについてはああいう人はダメだ、と口を出した。

我が家では、学期末に通知表をもらうと、
両親に見せ、それから祖父母に見せに行った。
特に祖母は、よくできるとお小遣いをくれるから。
何かで賞をもらってもお小遣いをくれた。

でもそれって、成績も良くない、賞も取れない自分は
良くない子どもなんだって、知らないうちに刷り込まれてしまったのかもしれない。
この話を聞いてくれた彼女の家では、
どんな成績を持って帰ってきても、褒められることも叱られることもなかった。
美術が得意で、絵の章を幾度かもらうことがあったが、
家族は毎回、新鮮さを持ってただただ驚いたらしい。
それが彼女は自分の個性がありのまま認められている気がして、
良かったと話してくれた。

それぞれに家にいろんな教育方針があって、
どれも間違いではないのかもしれない。
わたしだって、多少の生きづらさを感じることもあるし、
ちょっと周りに迷惑をかけることもあるけれど、
目標に向かって頑張れる粘り強さを持っていると思っている。
欲を言えば、もう少し真っ直ぐに、自分を好きになりたい。

何が言いたいかというと、
いろんな背景があって、いろんな価値観や能力を持っている人がいて、
全部個性だと受け入れられる世界であって欲しいなと。
わたしは受け入れられないこともあったから。
あなたと一緒に仕事はできないと言われたこともあったから。
少しずつでも気づいて、広げて、歩いていきたいものです。

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