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西日本新聞社説「戸籍の性別変更 手術の必要がない法律に」(2024年7月21日付) に抗議する

2024年7月23日
性同一性障害特例法を守る会

 去年10月の最高裁での「不妊要件」の違憲判断に続き、その決定で差し戻しされた広島高裁で、一切の性器手術をしていないこの申立人の性別変更を認める判断が出てしまいました。この件については今まで私たち「性同一性障害特例法を守る会」は、まさにこの性同一性障害特例法によって手術によって戸籍性別を変えてきた当事者の立場から、この決定を批判してきました。

 おそらく多くの国民・マスコミの方々は「恩恵があるはずの当事者がなぜ、条件を緩めた判断に反対するのか」ご不審のことと思います。一見「人権を重視し、進歩的である」判断が、なぜまさに当事者から拒絶されるのでしょうか?

 2003年に性同一性障害特例法が成立して以来、私たちは「性器の手術をすることによって、戸籍の性別を変更して、世の中に『埋没』して暮らすことができるようになる」この法律に従って、戸籍性別を変更してきました。この事実、まさに生殖腺がなく、移行後の性別に「適合した」見かけを備えることによって、異性の間で受け入れられることを当然として捉えてきたのです。

 私たちのいわゆる「性別違和」というものは、単に「自分が思うように生きられない」と感じることによってもたらされるものではありません。それ以上に、自らの身体に対する違和、性的な機能に対する違和感から、手術を望んできたのです。

 実際、私たちの「負担」は、吹聴されているほど過酷なものではありません。身体的な負担について言えば「戸籍を変えたい」条件として手術に求められたのは、特例法成立当初から最低限のもので良いことになっていました。男性から女性にならいわゆる「造膣」は求められませんし、また、女性から男性ならば「男性ホルモンの影響で肥大した陰核をマイクロペニスとみなす」ことによって、最低限の侵襲で戸籍性別を変更できる、かなり緩やかな条件だったのです。
その前提で言えば、手術費用も極めて高額とは言えません。軽自動車一台程度、という表現で語られる程度の負担ですし、条件は厳しいですが健康保険の適用対象でもあります。また、リゾート感覚でタイでの手術を提供する商業的なサービスも提供するアテンド業者もいくつもあります。

 けして手術の条件は、当事者にとって「過酷なもの」とは捉えられていないのです。それどころか、自身が嫌でたまらない身体的な「欠陥」を、手術という手段によって解消する、と捉える当事者は実に数多いのです。私たちは「望んで手術を受けている」のであって、貴社の社説が

健康な体にメスを入れるため、心身面でも経済面でも負担は大きい。特例法を改正し手術要件を削除すべきだ。

と主張するのは、当事者の現実をかなり誤解・曲解したものだと、私たちは捉えています。

 さらに言えば、貴社の社説では、

体の性別違和を解消したくて手術を望む人が多い半面、負担の大きさや体調の問題から、戸籍を変えたくても手術に至らない人もいる。戸籍を変えたい一心で、本意ではない手術に踏み切る人もいる。

 と主張していますが、「戸籍を変えるために、望まない手術を受けた」という表現に、私たちは強い違和感を持っているのです。それほどまでに「戸籍性別の変更が重要だ」と捉える当事者はおそらくいないのです。

 私たちが戸籍を変える大きな理由は、しっかりと異性のコミュニティに受け入れられるためです。「戸籍の性別を変える」ことは私たちの「ゴール」ではまったくなく、異性のコミュニティのメンバーとして、違和感なく受け入れられ、出生時とは逆の性別として、周囲と協調しあい、幸せに生活することなのです。

 もちろん戸籍の性別が変わっていれば、余計な説明をしないですむ、という大きなメリットがあります。しかしそれも、しっかりと異性のカルチャーに馴染み、違和感のない見かけと立居振舞を手に入れた後でしか、問題になることはないのです。

 それ以外の「戸籍を変えたい」理由としては、「戸籍上同性であるパートナーと法的な婚姻がしたい」という希望があるでしょう。しかしこれも、本来同性婚なりパートナーシップなりで解消されるべき問題であり、戸籍性別を変えることでこれを実現しようというのは、筋違いも甚だしくはありませんか?

 また、私たちにとって、私たちの「生得的な身体特徴」は、極めて恥ずべきものです。異性のコミュニティに受け入れられて頂くためには、私たちの「恥」の部分を晒したくはないのです。ですから、私たちは強く手術を求め、自らが自らに「恥ずかしくない」ことを望むのです。

 このような私たちの手術志向を今まで女性たちは好意的に受け止めていました。しかし、去年からの手術要件廃止の動きに、多くの女性たちは懸念と疑念、そして嫌悪感さえも抱くようになってきています。私たちはこれは当然のことだと感じています。

 そのために、「特例法自体を廃止し、戸籍性別の変更を一切認めないようにすべきだ」と主張し活動する女性団体さえも登場しています。また、この判決を誤解・悪用して、女装者が女性スペースに侵入を試みて逮捕される案件が、とくに判決以降急増し、裁判所が「誤ったメッセージ」を国民に与えてしまったことが強く心配されています。

 この状況は私たち当事者にとって、大変困ったことです。私たちは今まで、手術要件によって社会と調和して生きていたことをよく承知しています。それなのに、私たちが違和感を覚える「身勝手な」主張によって、私たちを今まで守ってきた「盾」が壊されて、社会混乱の責任を私たちに押し付けられる状況をどうにかしたいのです。

そうした不安と、トランスジェンダーの人権は分けて考えねばならない。誰もが自身の性自認に沿って生きられるよう、実態に合った議論を丁寧に進めたい。

 貴社の社説の結論ではこのように「性自認」=自分が女性(男性)だと思えば女性(男性)という、私たちが「性自認至上主義」と呼ぶ考え方を全面的に採用して、今まで医学的な概念「性同一性障害」として認められてきた、私たち性同一性障害当事者の立場を、観念的な「トランスジェンダー」の概念によって無視しようとする論調に乗っかることになっています。私たちの立場は本当は「トランスジェンダー」の立場ではないのです。

 「トランスジェンダー」を称する人々は、「自分が考えるジェンダーの在り方で生きたい」と考える人々であると大雑把に言えるでしょう。今まで手術を求めて苦闘してきた私たちとは、抱える課題が異なるのです。そしてこの「トランスジェンダー」たちは、今まで私たち性同一性障害当事者が享受してきたメリットを、「特権」であるかのように描きだし、それを破壊しようと試みています。
 この手術要件による戸籍性別の変更は、とくに女性たちとの間での「約束」というべきものです。このような社会的な合意を、司法が先走った「理念」によって覆そうとするのは、「司法の暴走」と呼ぶべきものでしょう。現状では「男性器がある法的女性」を、女性たちが受け入れる「社会的合意」は存在していないのです。

 ですから、私たちは当事者として、貴社の社説に対して、強い反対と抗議の意思を表明します。当事者の間での意見は多様であり、けして「トランスジェンダー」として「新しい生き方」を探求したい人々・LGBT活動家の主張が多数であるわけではないのです。無理をすればまさに性的少数者への「理解」は遠のくばかりではないのでしょうか?
 マスコミはこのような偏向した報道姿勢を改めて、現実の当事者の姿と意見を取材し報道することをお願いいたします。

以上


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