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荒ぶる三寒四温にらもーんず

わたしはマイノリティ、ミソジニー、ルッキズム、に対して経験から感傷的になりやすいと思っているんだけど好きな作品やエンタメは男性が作っていることが多い。そんな中でネットで議題に上がることも多く、作品が非難されているのを見かけて好きだったものに対して疑問を抱いてしまったり

面白い!好き!と気軽に言うことをグッと抑えたり計らうことをしてしまってモヤる気持ちがあった。
Twitter(X)は140文字という制限の中で伝えられることは少なく、個人から出る言葉は攻撃したい意思じゃないと
踏み止るものの考えて答えを出そうとする作業は結構疲れる。

例えばわたしは園子温の作品も中島らもの文学も荒木経惟の花の写真も思い入れがある
自分の環境や性質を解決するよりも今すぐに逃げ出したい時
過激な表現は突破口で
悩み事はちっぽけだと
解決を置いておいて覚醒させてくれるような
感覚があった

でもわたしは個人に対する
信仰や信者であることが嫌いだ
作品に恩を感じることはあっても
挙げた人たちは
「時の人」という感じで
思想を全て支持する訳ではなくて
女性軽視、パワハラ、職権濫用は傷ついた人の気持ちが大事だし
世間から干されたり法で裁かれるなら然るべきだと思う

傷ついた人のことを無視して
「いやいや、大ごとにし過ぎだよ。」
と言いたくない。

でもネットで否定的なことや問題提起を見る度に
自分と作品の間にある思い出が否定されるような気持ちがして一瞬チクリと心が痛くなる

発言した側の人の気持ちを考えてみると
落ち着いたり理解できたりするんだけど、
個人的なお気持ちだけ言うなら
一瞬でも受けたマイナスの気持ちを自分でフラットに戻す作業的なことは
わたしは体力が結構に要るしちょっと動けなくなってしまう。

わたしは今会社に所属しているわけでもなくて社会に触れられるのはネットや
好きな身内の人たちが多く
ネットはサジェストされて同じような話題を拾ってきてしまうから
自分が気になる話題を拾ってしまうし
満遍なく情報を手に入れられる環境であるはずが
極端な方向に寄りがちだと自覚している

戦争や争いについても考えることは結構大変で体力も要る。
黙りしている人が考えることを放棄した訳ではないし
発言には勇気がいるし
しんどい思いもある。

これは共感して欲しい、賛同者を得たい、
って先のことを考えている訳じゃなく
わたしが
理解のある大人だ、とか、
繊細な人間だ、とか、
言いたい訳でもなくて
「〜じゃない、でも…」ってモヤモヤを
心の中で閉じ込めておけなくて
ただ気持ちを置いていきたいだけって感じで

例えるなら
そこら辺のちっちゃい石ころも地球を形成してるんだー
って石ころが喋ってる、みたいな感じ

考えることは放棄してはいけない
自分を守る、周りの人を守る
時には発言しなくてはいけないことがある中で
そうじゃないんだけどうまく言葉にできない気持ちベースの問題を
社会との評価と並べて整理するには
時間も体力も要るなあと
思うこの頃のぼやきでした

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