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アメリカ旅行の覚書

旅行に行きたい。

旅行自粛なんて百も承知だけどそれでもそれでも行きたいものは行きたい。

そこで県外に出ることさえも難しくなった今、過去行ったところを振り返ってみようと思った。単身で行った旅行だけでなく学校の行事や近所の話もあるけどそこは大目に見て。

1. アメリカ研修への誘い

自分の母校では希望者を募ってカリフォルニアに行きいろんな所へお邪魔するといった研修旅行があった。もちろん研修なので遊び以外にもカリフォルニア大学や地元の高校といった教育施設、ホームステイ、エネルギー会社など幅広い業界へ見学・交流をすることが目的だ。8泊9日で長めの旅程で、かかる費用は補助金のおかげか1人で行くよりも随分と安かったらしいけど親と相談して行くことにした。

ホームステイ先ごとに2人班に分けられたがなぜかうちは4人班だったが英語が得意な同級生もいたので安心できた。

2. 出国

パスポートの取得や事前の講習?も済ませて出国したけど飛行機ってクソ暇なんやな。国内だと長くても2時間くらい?だけど片道12時間。暇。死ぬ。機内にはゲームとか映画があったけどゲームは得意じゃないし映画は興味ないタイトルばっかだし。それでもゲームやってたら下手すぎて後ろの座席に座ってた同級生にからかわれた。うるせえ〇すぞ。しょうがないからヤケクソで寝た。


8時間寝た。

3. 初アメリカ

入国審査は事前に聞いていたので特に何もなかった。入国審査のトーマスさんはわかりやすい英語を使ってくれたおかげでジャップの自分でもすんなりと通った。「サム」って言われたときには「SUM(合計)?あ!THUMB(親指を指紋リーダーに押し当てて)か!」と困ってしまった以外何もなかった。入国審査を終えた時学年でトップに賢い同級生がすごく緊張していたと言っててそんなか?と思ったのをはっきりと覚えている。

4. ホームステイ先

ぶっちゃけ入国審査よりもホームステイ先の家族とうまくやっていけるかが怖かった。当たり前だ。一瞬で終わる入国審査よりもずっと長いんだから。うちのホストファミリーは優しい人ばかりだった。1人息子と両親の3人家族で郊外に家を構えていて大柄な男子ばかりのうちの班にはもってこいだった。

ホストファミリーには事前にプロフィールを送っていた。名前や英語の習熟度とか簡単なものだったけどそのなかに「好きなもの」とあった。好きなものか…これは学校を通して提出するものだから小っ恥ずかしいものは書きたくない…好きなもの…

好きなもの…

よく考えたら好きで悪いものなんかないから素直に書けばいいんだと思いボカロと書いて提出した。

ホストファミリーの息子さんは4人のなかで自分だけを呼んでリビングのソファに座らせた。

「日本のアニメいっぱいあるぜ!どれ見る!?」

オタクだった。カリフォルニアは都会だしそらおるやろと思っていたので拍子抜けしてしまったが彼が「これはどう?」と言った次の瞬間血の気が引いた。


ToLOVEるだった。


アメリカに来てこんなことある?

4. アメリカの洗礼

アメリカの料理といえばなんだろうか?ハンバーガー?ピザ?チーズマカロニ?そう。オートミールである。

オートミール(英語: oatmeal)とは、燕麦(エンバク)を脱穀して調理しやすく加工したものである。また英語名の「Oat」から、オートムギ、オーツ麦、オートとも呼ばれる。(Wikipediaより引用)

要は麦なのだけどホストファザーはお湯で戻したものを私たちに出してくれた。見た感じは玄米の粥なのだが味がない。むしろお米の甘さがある分玄米の粥の方がありがたい。ホストファザーはこれに牛乳やレーズン、砂糖をお好みでかけて食べたらいいよと教えてくれた。なるほど。

マズイ。しかし作ってくれた以上は食べるしかない。

こんなマズイものをアメリカではいつも食べているのか、健康に気を遣っているのかと思った(他のホームステイ先では朝からチキンが出てた)。

しかし別の発見もあった。牛乳が比べ物にならないほどに美味しかった。

アメリカは日本以上に牛乳の分類が多く、乳脂肪分が多いものも流通している。今となってはわからないがきっとそれを出してくれたのだろう。出国するまでこの牛乳は飲み続けた。

5. 自信と窮地

最初の1日を過ごしてなんとなく気がついた。自分以外のメンバーが喋っていない。自分はあまり英語が得意じゃなかったからまわりのみんなはもっと交流をしているんだと思っていたけどそもそも話していなかった。同じ班にはテスト上位の人もいたけどその人が「(ぎっちょが)喋って」と言ってきた。え?

ホストファミリーと喋る義務はないけど普段の会話は大事だ。そこで積極的に話す人間として自分が選ばれてしまった。押し付けだろ。

英語の勉強ができることと英語を喋ることができるって本当に別の能力なんだなって実感したけどそのおかげで外国人に話しかけたり話しかけられても大丈夫なようになった。O君には一応感謝してる。


アメリカでの話はまだあるからまた明日かそこくらいに書こうと思う。にしても嫌な思い出も出てきちゃったな。

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