思春期時代に感じていたこと【中学・高校時代】

こんばんは。

今日も一日お疲れさまでした。


〈前回の続き〉

小学校から進学すると、10校近くの生徒が一か所の中学校に集まる為、10倍以上の人数になった同級生。


島の中学校・高校だけあって、みんな顔見知りで些細なことでもすぐに噂が広まります。良い面でもありましたが、相手の顔色を窺いすぎてストレスを感じていた僕にとって、今振り返ると、思春期時代は様々なストレスと闘っていたように思います。

新たな環境に慣れないストレス。思うようにいかない学生生活。学生時代は、思った以上に大変です。自分自身が親になった時、自分自身を反面教師として、子供にはのびのびと育ってほしいなと思います。

もやもやが溜まっていた僕にとって打ち込めるものはただ一つ。

そう。この頃の一番の心の支えは「野球」でした。


野球という存在に出会えたのも、家族のおかげだし、そこで出会った仲間に支えられて過ごした青春時代。

中学時代は平凡な球児だった僕が、高校に進学してから大きな分岐点を迎えることになったんです。

「コントロール」が自分の持ち味だった小学校・中学校のピッチング。高校1年の夏大会終わるまでは、オーバースローでしたが、秋大会が始まる前の練習前に監督に呼び出され「チームの方針だ。」の一言で急遽サイドスローに転向。

根拠もなく「チームの方針」の一点張りだったので、激怒しながら猛反発。が、転向しないなら投手をやらせないと。

投手しかやってこなかった僕にとって、その方針は死活問題だった為、しぶしぶ、サイドスローに転向することに。。。


結果、このサイドスロー転向が僕にとって、最上の効果をもたらすことになりました。

転向して、半年で球速が110キロ後半から120キロ中盤に。1年後には、最速が130キロに。

高校3年の夏大会では、該当地区の注目投手に選ばれるくらいまで成長することができました。球速は最速130キロ中盤まで出るようになっていました。

猛反発してしまった監督さんごめんなさい。笑


この時代、一緒に青春した仲間たちに本当に感謝です。今は、お互いの道を進んでいるため、なかなか会うことが出来ていませんが、どこかのタイミングで同窓会でもして盛り上がりたいなと思っております。

ここまでは、自己中心的で野球のことにしか興味がなかった僕ですが、大学からは小さな島を出て数多くの経験をさせて頂き、人脈も趣味や知識も増えました。親には感謝しかありません。

前回と今回、僕がどんな人間かを簡単に書いております。次回も大学から社会人時代のことについて書きたいと思っております。


最後に…もう少しnote使いこなせるようになりたーい!!

楽しみながら、頑張ります!

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