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『復讐者マレルバ』訳者あとがき公開

ご無沙汰しております。イタリア文学翻訳家の飯田亮介です。
実はもうじき、物凄く分厚くて(1kgあるそうです)、グラム7.48円もする、高級ステーキみたいな訳書が早川書房より刊行されるもので少しどきどきしています。

(2021/12/30追記。「リーマン・トリロジー」無事刊行され、こちらであとがき公開されました!

そこで来たる8月21日(土)にこんなイベントを画策しています(無料ですが、Twitterのスペースという音声チャット機能を利用するので、Twitterアカウントが必要です)。よかったら聴いてみてください。朗読が終わったらおしゃべりしましょう。土曜の午後だし、リモートですし、軽くワインとかお酒を呑んでのんびりするのもよいでしょう。そのうちギターとか弾いて歌いだしちゃうかもしれません。

https://twitter.com/i/spaces/1lDGLpPpANZGm

さて先日、二〇一七年に刊行した拙訳『復讐者マレルバ 巨大マフィアに挑んだ男』(ジュセッペ・グラッソネッリ&カルメーロ・サルド共著、早川書房)が『本の雑誌』誌上で「海外ノンフィクション50選」のひとつに選ばれました。ご推薦いただいた選者の東えりか様、ありがとうございました。

ほかにも熱心な読者のみなさんから熱いご好評をいただいております。ありがとうございます!

そう言えば、あとがきを公開していなかったな、と思い出したのでここに公開いたします。なお、このページの一番下のリンクからご購入いただけますと、訳者のふところにコーヒー1杯分弱〜強くらいのお小遣いが転がり込みます。我らがモントットーネ村の行きつけのバール LA BROCCAで東の空を見つめながら、ありがたく頂きます。

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訳者あとがき

 本書は二〇一四年六月にイタリアのモンダドーリ社から刊行されたMalerbaの邦訳である。

 一九八〇年代末から九〇年代初頭にかけてシチリア・マフィアの主流であるコーザ・ノストラに反旗を翻し、数年間で三〇〇名以上の犠牲者をともなう激烈な抗争を引き起こしたマフィア組織があった。「第五のマフィア」とも呼ばれたスティッダだ。
 本書はそのスティッダのヒットマンとしてコーザ・ノストラの「名誉ある男たち」を次々に血祭りに上げて恐れられたジュセッペ・グラッソネッリ(註、一九六五年、アグリジェント県ポルト・エンペドクレ生まれ)の回想録である。
 なお作中で主人公の名前はアントニオ・ブラッソとなっており、多くの人名・地名も現実のそれとは異なっているが、アントニオの物語は基本的にグラッソネッリの実体験を忠実にトレースしたものとなっている。この点については後に詳述する。

 シチリアはアグリジェント県の港町、カーサマリーナで一九六五年に生まれたアントニオ・ブラッソは、幼い頃からワルかった。盗みを重ね、少年ギャング団の頭となり、ついにはお尋ね者となってドイツに逃亡、潜伏先のハンブルクの裏社会でいかさまギャンブラーとして名を挙げ、放蕩の青春時代を送るようになる。
 ワルと言っても当時のアントニオの悪行はせいぜいチンピラ程度で、人の命を奪うマフィア犯罪ほど陰湿で重いものではなかった。おしゃれで二枚目、頭の切れる小悪党は女性にも非常にもてたようだ。物語の序盤では、そんなひとりの若者の、シチリアとハンブルクにおけるアウトローな青春が活き活きと描かれている。
 状況が一変するのは八六年の夏、二一歳の時だ。シチリアに里帰りしたアントニオを待っていたのは、恐ろしい事件だった。最愛の祖父を含む一族の人間たちがコーザ・ノストラの襲撃により抹殺されてしまったのだ。父親の告白により、自分の一族とマフィアとの諍いを知ったアントニオは、とりあえず家族とともにドイツに逃げたが、それでも執拗な襲撃が続いたため、一族を守るためには自分が戦うしかないと思うようになった。こうしてコーザ・ノストラに対する復讐を決意した彼は、スティッダと呼ばれる反マフィア同盟を組織し、自らも手を血に染めていくことになる。アントニオ・ブラッソの生き残りをかけた闘いの始まりだった。

 作品の後半で描かれているように、九二年に二七歳で逮捕されたグラッソネッリは、終身刑四回と懲役三〇年の判決により、二〇一七年現在、アブルッツォ州のスルモーナ刑務所で服役中である。すでに二〇年を越える刑期を重ねているが、終身刑が廃止されぬ限り(イタリアでは死刑はすでに廃止されており、終身刑が最高刑)、恐らくはこのまま死ぬまで塀の中で暮らすものと見込まれている。
 逮捕当時は小学校しか出ておらず、まともに文章も書けなかったというグラッソネッリだが、塀の中で中学・高校の卒業資格を取り、さらにはナポリ大学の特別講義もやはり所内で受講、収監二二年目の二〇一三年、四八歳の時に、ついに文学・哲学科を満点評価で卒業した。「マフィアのボスが獄中で大学を卒業した」というニュースはイタリアのメディアで大きな話題となった。
 哲学講座では、ジュセッペ・フェッラーロ教授との運命的な出会いがあった。回想録を書くことで犯罪者であった過去の自分との決別を図ることを勧めてくれたのも、グラッソネッリが恩師とあがめるこの教授だった。
 そうして回想録を書き上げた頃、もうひとつ決定的な出会いがあった。本書のもうひとりの作者、カルメーロ・サルドとの「再会」だ。
 一九六一年にグラッソネッリと同じアグリジェント県ポルト・エンペドクレに生まれたサルドは、二〇一七現在、全国放送のテレビニュースTG5で副編集長を務めるベテランジャーナリストであり小説家でもある(二〇一七年四月にはスティッダをテーマにしたノンフィクション作品『Cani senza padrone(仮邦題、主なき犬たち)』も伊メランポ社より発刊された)。
 グラッソネッリがヒットマンとして暗躍していた当時、サルドはアグリジェント(註、アグリジェント県の県庁所在地)のローカルテレビ局でリポーターを務めていた。スティッダによる襲撃事件があるたび現場に駆けつけていた彼は、図らずもグラッソネッリらに襲撃の成否を報告する役目を務めていた。だからサルドとグラッソネッリは当時から直接の面識こそなかったが互いの存在を意識しており、それが言わばふたりの最初の出会いとなった。
 そしてある日、グラッソネッリが房のテレビで久しぶりにサルドの姿を見かけ、思い立って回想録の原稿を彼に送った。サルドは強い関心を示し、刑務所のグラッソネッリを訪ねてインタビューを重ね、ふたりで協力してこの作品を執筆することになり、晴れて出版の運びとなったのだった。

 本作の発表は多くの点で話題を呼んだ。獄中の「マフィアのキラー」あるいは「スティッダのボス」が自らの半生と犯罪を赤裸々に告白しているという点もそのひとつだ。
 八〇年代末に登場したこのスティッダという組織の実態は、実はイタリアでもこれまであまりよく知られていなかった。
 当時のシチリアは、ボルセリーノ検察官やファルコーネ検察官たちからなる反マフィア捜査本部の活躍により、当局のマフィア対策がようやく効果を見せ始めた時代で、例えば八四年~八七年のマフィア大裁判では大物ボスを含め三四二名の被告人に有罪判決が出てコーザ・ノストラに大きな打撃を与えた。マフィア犯罪を過去に担当した多くの勇気ある司法関係者同様、やがてボルセリーノとファルコーネもマフィアによって暗殺されてしまうが、いずれにしてもこの時代を境に反マフィア意識が国民的に高まり、シチリア・マフィアの活動も(少なくとも表向きは)勢いを失い、現在に至る。
 スティッダ(stidda、シチリア方言で「星」を意味する)とは元々、コーザ・ノストラから追放されたはぐれ者のマフィアを指す隠語だったらしい。しかし当初は各地に散在しており、コーザ・ノストラが問題視するほど力のある存在ではなかったため、放置されていたようだ。それが本作で描写されるように、グラッソネッリらを中心に初めて同盟を組み、伝統的マフィアに対抗する組織へと成長していった。
 マスコミがスティッダを「第五のマフィア」と呼んだという表現が作中にあるが、これは恐らく「イタリア四大マフィア(シチリアのコーザ・ノストラ、ナポリのカモッラ、カラブリアのンドランゲタ、プーリアのサクラ・コローナ・ウニータ)」に次ぐマフィア組織だ、という意味だろう。しかしその実態は、規模も形態も四大マフィアと肩を並べるほどの本格的なものではなかったようだ。

 さて先にも述べたが、グラッソネッリは自らの半生の回想録である本作の登場人物と地名に敢えて仮名を使用しており、巻頭の断り書きでは、史実や実在の人物を作者が主観的にデフォルメして登場させていること、その他の事実との一致についてもあくまでも偶然の産物とみなしてほしい旨が強調されている。主人公のアントニオ・ブラッソという名前は、グラッソネッリがスティッダであった頃に使用していた偽名で、それが本名だと思っていた仲間も多かったという。
 ではすべて作り話なのかと問われれば、それは違う。サルドのあとがきに詳しいが、作中で描写されるアントニオ・ブラッソの犯した犯罪はジュセッペ・グラッソネッリが実際に犯したものと基本的に一致している。例えば一九八六年九月二一日にアントニオの祖父らが殺害されたカーサマリーナの最初の悲劇は、現実に「ポルト・エンペドクレの第一の虐殺事件(Prima strage di Porto Empedocle)」として今なお記憶されており、事件の日時も描写も実際の事件と一致している。さらにアントニオがその四年後にジュファーを殺害した事件は、現実には「ポルト・エンペドクレの第二の虐殺事件(Seconda strage di Porto Empedocle)」と呼ばれて記憶されている。ポルト・エンペドクレというのはもちろん作中でカーサマリーナと呼ばれる港町の本当の名前であり、地元マフィアのレシーナ一家の実名はメッシーナ一家、アントニオの仇敵、ジュファーの本名はセルジョ・ヴェッキア、ネトーレはサルヴァトーレ・アルバネーゼだ。
 さらに本書に続き、二〇一六年に公開されたドキュメントメンタリー映画『Ero Malerba』(仮邦題『俺はマレルバだった』、トニ・トルピア監督、カルメーロ・サルド&トニ・トルピア脚本)ではグラッソネッリをはじめ、その家族も実名で登場し、一連の事件についてもすべて実名で解説されている。つまり彼がこの『マレルバ』で仮名を使用しているのは、家族や知人に危険が及ぶのを恐れたためでもないのがわかる。
「ならばなぜ?」と訳者が共著者のサルドに質問したところ、グラッソネッリが本作で仮名を使用したのは、本人の言によれば、何よりも「第三者として描くことで過去の自分を悪魔払いしたい」「現在の自分は過去の自分とはまったく別人だ」といった気持ちがあったからなのだそうだ。
 自らの人生を第三者として描く。その選択にはあるいは、この作品を単なる刺激的な実録ものの次元に留めず、ひとつの物語として語ることで、普遍的な力を持つ文学作品にまで昇華させたい、そんな願いもあったのではないだろうか。
 仮にそうだとすれば、グラッソネッリの試みはある程度まで成功したと言える。なぜなら本作は、刊行直後の二〇一四年夏にレオナルド・シャーシャ文学賞を受賞しているからだ。マフィア問題を取り上げることも多かったやはりアグリジェント県出身の作家シャーシャ(註、一九二一~一九九八、代表作に『真夏のふくろう』)の名を冠した文学賞のコンクールに、マフィア犯罪で服役中のグラッソネッリの作品がノミネートされたことについては批判の声もあった。それでも受賞に至ったのは、それが単なる「マフィアの一代記」ではなく、自らの過去の過ちを真摯に反省し、新たなる人間として再生したひとりの人間の貴重な記録であり、大きな文学的価値を備えていると評価されたからに違いない。
 またイタリアの憲法第二七条にも「刑罰は人道にもとる措置であってはならず、受刑者の再教育を目指したものでなくてはならない」との文言がある。再教育を目指す、そういう意味ではグラッソネッリはまさに模範囚だ。彼のあとがきを読んでもわかるように、己の罪を深く反省しているのはもちろん、仮に今、過去と同じように一族が襲撃を受けるようなことがあったならば、けっして自分の力で解決しようとはせず、国を信頼して、当局に助けを求めるだろう、わたしは遵法精神を身についた人間として生まれ変わったのだと主張している。
 ただし「刑罰は人道にもとる措置であってはならず」の部分については、作者ふたりとも不満があるようだ。
 イタリアの当局は逮捕したマフィア犯罪者に対して情報提供を求め、捜査への協力を要求する。司法取引だ。だがグラッソネッリは取引を一貫して拒否してきた。司法に協力して、いわゆる「改悛者(ルビ、ペンティート)」となってしまえば、裏切りに腹を立てた仲間たちによる報復の恐れがあり、例え塀の外に出られても、家族を含め当局の保護下、故郷を離れ、身分を秘匿して不自由な生活を送ることになる場合が多い。
 しかしマフィア犯罪の服役囚がこうして司法取引に応じないと、一般の終身刑であれば通常二六年以内に認められる仮釈放や刑期短縮、所外労働のための昼間外出許可といった恩典を一切受けられないという規定が刑務所法の第四条の二「緊急事態」にある。いわゆる「四の二(ルビ、4bis)」措置である。グラッソネッリは「妨害的終身刑」とも呼ばれるこの非人道的な措置の対象者であり、それゆえこの二〇年余年に塀の外に出たのはたった一度だけとなっている。その唯一の機会にしても、同じく四の二措置の対象者であった父親が二〇〇七年に房内で自死した時のことで、実家に戻り、父の死を悼む家族と抱擁を交わすための特別許可だった。
 せっかく服役囚への再教育が効果を発揮しても妨害的終身刑のせいでその成果を社会に一生還元できないようではまるで意味がないではないか、真に改心した服役囚は憲法の精神にのっとり社会復帰させるべきだ、という彼らの主張は、死刑廃止についての議論さえいまだ大きな盛り上がりを見せぬ日本ではあるいは理解が難しいかもしれない。しかしむしろ、だからこそ一考に値するテーマであるとも言える。本書を通じて服役囚の人権問題に関心を持つ読者が新たに現れれば、訳者冥利に尽きる。

二〇一七年三月
モントットーネ村にて
飯田亮介

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