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神無月の終わり

いよいよ本格的に夏が終わったと言わざるを得ないようだ。
相変わらず春と秋が消失した二季となった日本であるが、冬の到来はもう少しご辛抱いただきたいものだ。

ついに、というかようやく沼津に訪れることが出来た。

いや、正確には去年もAqoursファンミのため一瞬だけ滞在はしているのだが、あろうことか当時は台風とモロかぶり。
帰宅難民になるのを避けるため、ファンミ後は速攻で帰宅し、実質滞在時間は4時間程度という強行日程だったのだ。

ということなので、実質今回が初めての訪問と言えるだろう。
ラブライブサンシャインに出会って、Aqoursに出会ってはや8年。感慨深いなんて言葉では言い表せないほど、並々ならぬ想いは溢れるばかり。

沼津駅に掲示されているAqoursの姿を見た瞬間思った。
「帰ってきたんだな」と。
勿論、ここはAqoursの故郷であって自分の故郷ではない。だが、我々ファンにとっての心の故郷あるいは魂の故郷であることは間違いないだろう。

沼津の町を巡って改めて感じたのは、本当にどこに行ってもAqoursがいることだ。
これは誇張抜きで、商店街や漁港近くの飲食店街など、ありとあらゆる場所にメンバーのパネルや、グッズや、ポスターが飾ってあるのだ。
そういった光景は普通であれば少々異彩を放ちそうではあるが、ここ沼津では違和感なく、あくまで町の風景の1つとして溶け込んでいた。

私はそこにAqoursの実在性を感じた。
実際にメンバーがこの町で暮らし、高校生活を送っていた。そんな気がしてならないのだ。

話は少し脱線するが、ラブライブの魅力の一つとして「SF」要素が挙げられる。
これは「science fiction」の略ではなく、私が敬愛する藤子・F・不二雄先生が提唱された「Sukoshi Fushigi(少し不思議)」の略称だ。
この「少し不思議」とは、「ありふれた日常の中に紛れ込む非日常な事象・出来事」を指しており、先生の代表作であるドラえもん、パーマンもその一つだ。

これは持論だが、あくまでベースは現実世界と同じであることで、「少し不思議」が際立ち、その物語に説得力が生まれる。
ラブライブも同様で、Aqoursで言えば沼津を舞台とし、その場所をリアルに忠実に描くことで、「スクールアイドル」という大きな一つの「フィクション」のリアリティが高まっている。
だからこそ、我々はここまでラブライブに心惹かれるのかもしれない。

Aqoursは本当に沼津にいた。そこで暮らしていた。
彼女たちの駆け抜けた青春は、確かにそこにあった。


神無月。神がいない月。
全国の八百万の神々が出雲へ集まり、侃侃諤諤の会議を開催されるそうだ。
この時期には無性に森見作品万城目作品が読みたくなるし、京都や奈良に行きたくなるものだ。

???「さあ、神無月だ。出番だよ、先生。」

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