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人生が伏線回収しかかってきている話

西洋音楽、いわゆるクラシック音楽をやるにあたって、キリスト教は避けては通れない。だけどやっぱり、日本で生まれ育ったらあまり馴染みのないものであったりする。私自身、音楽の学校に行っていた頃、ミサ通常文がなんなのかよくわからんままに(先生ごめんなさい)、キリエグローリアクレドサンクトゥス…って呪文のように唱えて、テストに備えていたものだ。

私はクリスチャンではない。日本人の大多数がそうであるように、葬式仏教の家で育った。宗教関係なしにいろんな宗教由来のイベントごとを楽しむし、親なんて完全にatheistだと言い張っている。まあ、日本の一般的な家庭というものがあるとするなら、うちの家族は曽祖父の代からクラシック音楽が好きで、祖父も父も(クリスチャンじゃあないけども)キリスト教系の大学を(偶然)出ているし、周りの人たちよりも西洋文化が好きな家だなあとは思う。

そういう背景も手伝ってか、私が三歳になると、近所にあるプロテスタント教会付属の幼稚園に入れられて、意味もわからずこどもさんびかを歌ったり、主の祈りを暗記させられたりした。クリスマスのページェントでは、大天使ガブリエルはゆりの花を持てるのに、天使Bみたいな役だったもんでがっかりしたりもした。実にのびのびと育てていただいた。

クリスマスには教会の方の礼拝があって、先述の通り、イベントごとは躊躇なく楽しむタイプの家庭だったので、私が幼稚園に行き始めた頃から、このクリスマス礼拝には毎年家族で参加していた。それでそのクリスマスの雰囲気がもうずっと大好きだった。よそ行きの服を着せてもらって、暗い礼拝堂にぎゅうぎゅうに人が集って、ろうそくの灯りのもとで美しいクリスマスの讃美歌を歌う。幼い私には夢のような夜であった。

で、結局その体験が、私のその後の人生に大きな影響を与えたのだと、まだ30年足らずの人生だけども、思うわけです。

家から徒歩五分の幼稚園なので、そこに通っていた意味はまあわかるんだけど、小学校に上がってもなお、なぜかその教会の日曜学校に行かされていた。これは本当になんでだったかわからない。クリスチャンじゃない母に強く行きなさいと言い張られて、日曜朝のアニメを途中で泣く泣く諦めながら教会に行っていた。教会の大人の礼拝の前に子供の礼拝とワークショップ的な?アクティビティ?なんていうのだっけ?があって。結局中学のころまで日曜学校に行くことは習慣になって、友達もいたし。で中学生になったら、今度は件のクリスマス礼拝のときだけ、聖歌隊に動員されるようになった。今度はaltar?でいいのかな?側からの参加になって、ろうそくはいつの間にかろうそく型のライトになったけれど。

大きくなった私はイギリスの音楽が大好きになって、音楽の学校に行ったあと、うだうだ大学院まで行って留学もして、ヴォーンウィリアムズの勉強をしてました。ヴォーンウィリアムズ!!!で、音楽の勉強は机の上だけじゃ絶対にだめだと、今度はワーホリを使ってイギリスに行きました。大きな合唱団、小さな合唱団、ハイチャーチとカトリックチャーチ(キリエグローリアクレドサンクトゥスとの再会を果たす)の聖歌隊で歌って。聖餐式はずっと座ってました。ウェルカムと言われたけど、日曜学校で、これはあまり信者じゃない人が参加しないほうがいいやつだって言われたから。着ていいのかわかんなかったけどカソックなんて初めて着た。英語の讃美歌の初見大会もばっちりこなせるのだと気づいたのは嬉しかった。

ああ、とても幸せでした。ロックダウンまでは。ロックダウンについては以下略。

私はクリスチャンではない。けれども家には、十代の頃から持ってた基督教団出版局の讃美歌も第二編も21ある。それでつい先日、ちょっと讃美歌を久しぶりに開いてみたら、、なんてこったい!ヴォーンウィリアムズ編纂のThe English Hymnalから入ったであろう曲がいくつもあるではないか(それにRVW自身の作も…)!

うーーん、というような声が思わず漏れた。なんか、大好きなRVWがこんな近くにいたのか!というのもそうだけど、イングランドの農村地帯で歌われてきた、それまでは特別な存在だと認識されていなかった「民謡」のメロディが、こんな遠い東の、三博士がきた東よりもっと遠い島国に伝わって、こうして歌われてるだなんて。

ああ、しかしなぜ今の今まで気がつかなかった?

1.日曜学校には行ったけど大人の礼拝までは出なかったから。
2.讃美歌集を開くのはクリスマスだけだったから。
3.ヴォーンウィリアムズの勉強をしたとき、The English Hymnalをちゃんと見ていなかったから。

すべて、すべて、出会ってはいたのに見落としてきたことたち。だけど、だけどもこれは、なんという大いなる伏線回収か!?否、結局のところ、三つ子の魂百まで、私を今まで動かしてきた、それでこれからも動かしていくのだろう原動力は、いつだって目の前にあった。今までしてきた旅は、あの暗くて酸素の薄い小さな礼拝堂でのクリスマスに起因するものたち。パパとママがいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、きょうだいたちがいて。まわりには友達、日曜学校の先生、お昼間に会うのとはなんだか雰囲気が違って。ろうそくの匂い、もみの木の匂い。時代物のオルガンの荘厳な音、聖歌隊、会衆一同で歌う雰囲気。大好きな音楽、なんと美しい音楽!!!

音楽の勉強を始めて15年ぐらい、そういうことにようやっと気付きました。

それで今はちょっとこのThe English Hymnalの曲が入ってきた経緯とかも知りたいので、調べ始めました。教団出版局に聞いたけれど、古すぎてはっきりはわからないって。民謡なので、蛍の光的な、音階が日本の音階と似ていて、みたいな理由もあったりするのかなあ。久しぶりにわくわく、何かこれで書けたらいいなあとか思いながら(もうすでに誰か書いてるのかなあ)、ちょっとやってみようと思います。ここにでもまとめていこうかな。

あとは日本でももっともっとイギリスの合唱音楽がポピュラーになればいいのにな。これが将来の夢。今エルガーの『使徒たち』を聴きながら書いています。これもイギリスで歌った大切な思い出の曲。二時間はちょっと長いけど、感動感動で号泣止まらなかった。こんなのがもっともっと演奏されればいいのに。クラシック音楽をやるにあたって、キリスト教は避けては通れない…。

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