機動戦士ガンダム 一年戦争異伝 【ゴーストクロニクル】 第31話 熱戦のイヴ〜後編〜 《series000》
全開にされたシャワーの、激しい水飛沫だけが響き渡っていた。顔を打ち撫でる流水の感触が、静かに集中力を高め、しかし、リラックスして、解されていく。
瞑った目に見える光景は、ドム。そして、その後ろに頭と砲口だけを覗かせた、ドム。綺麗に静止狙撃戦型した、忌々しい敵機の姿だ。
時折、安らかに洗われている顔が、苦痛を受けた様に歪む。クラウザーの脳裏には、打ちのめされた88回のシミュレーショントライが高速リプレイしていた。
「ぁ゛あ゛~~~~」
口を開いてシャワーを受け、溢れ出る水と一緒に声を出した。吹っ切る様に頭を振ると、シャワーを止めて、乾燥筒に移った。
全方向から浴びせられる心地よい温風に身を任せる。クラウザーはこの乾燥工程が好きだった。蒸発する水分の気化冷却と温風の暖かさが混合して心地いい。濡れていた感じがみるみる消えていき、身体も気持ちも引き締まっていく様だ。そして、風に踊る髪の毛の感触が楽しいのだ。
シャワールームを出ると、ガウンを纏い、ベッドに向かって身を放り投げた。リバウンドに乗って踊るかの様に弾むと、頭の後ろで手を組んだ寝姿で静止した。
…………やれる事は……全てやった。
気持ちよく深呼吸しながら、眠りにつくように、思索を巡らした。
……もう、何も無い。
────休憩させてくれ────その後、負け惜しみではない事を証明する────
自分が言った最後のセリフ、あれはやはり負け惜しみだったのだろうか? と言う思いが湧いてくる。そうかもしれない。と言う気持ちが追従する。それは、仕方が無い。という、落ち着いたさっぱりした気持ちに心が安らいで行く。
インターバルが終わったら、潔く、不可能を認めるべきだ。自分が熟さなければならない想定はE3まであると聞いた。A1だけに拘っている訳にはいかない。時間は限られている。
クラウザーは静かに寝息を立て始めた。
「違う」
突然、身を起こすと、クラウザーは呟いた。折角、安らいだ表情が険しく戻っている。
違う? ……何が? …………悔しいから、だろう?
もやもやとする重い思考を嫌がるように顔を覆うと、クラウザーはベッドを出た。クローゼットを開けて、戦闘服のハンガーとブーツを手に取った。
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・・・・
────休憩して下さい、シュアル────あなたには現状を突破するブレイクスルーが必要です────
「はぁ……」
ため息を吐く自分の声を聴いて、シュアルはびっくりした。自分がそんなリアクションをする事など、これまで想像も出来なかったからだ。
困難に遭遇して同様のため息を音声化する人を、今まで沢山見てきた。士官学校で。コマンダーアカデミーで。実戦の環境で。
シュアルにはその誰も彼もが、惰弱に見えた。そんな態とらしいリアクションで、自分を慰めているのか? 困難に敗北する自分を肯定する為に、そんな演技が必要なのか? と、蔑視して来たのだ。
私が……幼かったのね。
その自己嫌悪に近い思いは、シュアルが今ぶつかっている困難への思いと相乗して、さらに彼女の気持ちを深く堕とした。
「はぁぁ……」
再びの、自分に言わせれば、もっと態とらしいため息を、音声化せずにいられない自分に、可笑しいような泣けてくるような気持ちが込み上げてくる。
────LiFASから離れて、それを見つけて来て下さい────その為に、60分を充てましょう────
60分。それだけあれば何だって出来る。かつての自分なら、そう思って疑わないだろう。あの自信の塊のような女は何処に行ってしまったのか?
60分。今、シュアルには、それは何も出来るわけがない程に、短い時間に思えていた。
現状を突破させる──ブレイクスルー……
全くもって曖昧な、言葉遊びの様な謎掛けに思える。やはり、これまでの自分ならば、歯牙にもかけず、無視するようなお題だ。
今、自分はそれに縋るように、漠然と何かを探そうとしている。当て所ない、とはこういう事かと、新しい理解に納得している自分に気がつき、息を吸う。
「はぁぁぁ…………」
開き直ったかの様に、態とらしい溜息を音声化するに任せると、シュアルはシャワールームへ消えた。
さっぱりして身なりを整えると、士官個室を出て艦尾に向かった。
程なく、展望エリアに辿りついた。すっかり御伽物語の脳構造になったわけでは無いつもりだが、やはり、何かを閃くとすれば、自室などではなく、こういう場所ではないかと思ったからだ。
エリアに入るとそこからは今、ハッブル・ディープ・フィールドを遠望することが出来た。数千もの銀河が無限の空間に広がり続けている。自分たちの世界、地球圏など、いかに小さいかを感じさせられる絶景だ。シュアルの好きな光景の一つだ。
ふと、個室の一つに目が向いた。そこで過ごした一時は、まだそれ程前のことでは無かったが、何となく懐かしい様な気持ちになって、シュアルはその部屋に足を向けた。Vacantの表示をプッシュすると、無音で扉がスライドした。中に入ると、そこでシュアルは瞬きをした。
先客が居た。数人がけのリクライニングソファで脚を伸ばし腕組みをして、思案深げな顔で外を眺めている。シュアルに少し遅れて、彼女の到来に気がつくと、戸惑うような驚きの表情を見せた。
「ロックもせずに、誰かと待ち合わせ? クラウザー」
シュアルは笑顔が溢れる自分を感じていた。
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・・・・
「はぁ~~~~…………つ、疲れたぜ」
P004左舷ドーム──
第二メガ粒子砲手席で、そこを指定席とする第二主砲手ラマンはグッタリと伸びをした。
『実際、粘ったな。ジェットの時より多かったんじゃ無いか?』
右舷ドームの第一メガ粒子砲手席からの通信が聞こえた。第一主砲手プロシューターだ。声の感じで、やはり伸びをしながら言っているのがわかる。
「あいつ、バカ野郎すぎだろ!? 100回くらい墜した気がするぜ? そんだけやられてんのにまだインターバルって…… どうなってんだよ?」
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・・・・
「そうだな。確かに、腕はいい。ジェットと肩を並べるクラスだ。速度感で及ばない感じだが、発想がいい。とても柔軟で楽しめたな」
キャナーシートのベルトを外しながらそう言うと、不意にプロシューターは怪訝な顔をした。
楽しめた? ……いや、楽しく無かった。
『楽しくねえよ! 頑張り過ぎだろ。まぁね、いろいろやってくるから、ちょっとびっくりはしたけどな。面白かったって感じじゃねえ』
ラマンの言う事が、何故だかよく分かる。そう、楽しんではいなかった。むしろ、苦しかった。だから、たかだか100回にも満たないシミュレーションで、こんなに疲労感があるのだろう。
なんでだ?
『とにかく疲れたよ。もう、また90分後にあのバカ野郎の相手すんのかと思うとげっそりだぜ。あいつ、撃ち墜してもなんかイマイチ、すっきりしねえんだよ、上がんねえ』
そうだ、スッキリしねえ。確かに。…………何故だ?
「まぁ、どう足掻こうと無理ゲーだ。作戦のフェーズ2は始まっている。奴の想定消化も大事だが、メインキャナーが過度に疲労するのはマズい。俺達が付き合わなきゃならん A1は、限度数を設けてもらうように少佐に提言だな」
『お! それいいな! もう充分だろって言いたいけどな。まあ、じゃあ、あと10回でどうだ? それなら付き合ってもいいよ』
「いいところだな。そう言うことにしよう。じゃあ休めラマン。休息は──」
『任務だろ。分かってるよ。じゃ、少佐にちゃんと通してくれよ? また後でな』
「任せておけ。90分後にな」
通信を切っても、しばらくプロシューターは考えていた。のそりと席を立つと、そのまま考え事を続ける様にキャナーシートを後にした。
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・・・・
「88回!! 馬鹿野郎か?」
クラウザーの様子が気になって、第3デッキ待機ルームを訪れたジェットは、耳にした次第に呆れ果てて首を振った。
「お前が言うとはな」
バトラーが大いに笑った。キャスパーも声を上げている。
「……いや、まあ……でも、88回もやってなかっただろ。50回くらいの筈だ」
「おいおい、29回足らんぞ?」
キャスパーが更に声を上げながら訂正した。
「ラウザーの奴も、今ごろ記憶を50回に書き換えているかもな。まあ、いいコンビだな。何にせよ、奴は本物だ。これは俺と、キャスも同意見だろう」
バトラーが見ると、キャスパーが頷いた。
「暇があったらトライを見てみるといい。88回は長すぎるから、摘んで4トライ位でいいだろう。きっと面白いぞ? お前の方が速いが、奴はなんて言うかな──」
キャスパーが言葉を探すように指を回した。
「上手い」
「そう! 上手いって感じだ」
バトラーの言葉に指を鳴らしてキャスパーが同意した。
「熟練度評価でも戦術展開がA+にランクされている。動き方が上手い。タイミングと機転だな」
バトラー達の評価の高さに、ジェットは風切り音を吹いた。
「ビンビン伝わってくるな。嬉しくも、憎らしいフィーリングだぜ。頼もしいのはプラスでしかないがな」
「さっき90分のインターバルに入った。戻って来たら、続きのトライだ。お前も見に来い、ジェット」
バトラーの誘いに、ジェットは目を見開いた。
「え!? 続きって……まだ、やる気なのか?」
「ああ、とんでもない負けず嫌いだ。だが、奴はそうじゃない事を証明すると言った。何を見せてくれるか、期待しようじゃないか」
バトラーが愉快そうに笑う。ジェットはもう一度首を振ると、もう一度、風切り音を吹き鳴らした。
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・・・・
オリオン星雲──
星の誕生地として知られる、地球から約1,350光年離れた領域だ。無数の若い星々がこの星雲にただ美しいだけではない輝きを与えている。躍動するエネルギーが創り出す星雲の複雑な構造は、まさに宇宙の絶景と呼ぶにふさわしい深美を湛えている。
シュアルは、微睡む瞳をうっすら開いて、艦外に広がる星辰の世界に包まれていた。
「クラウザー」
吐息のようにつぶやいた。
隣で、同じく、星々の世界に揺蕩う気分に浸っていたクラウザーは、呼ばれたのかと首を少し動かした。
「いつも……戦っている時、何を…………どんな、心理状態なの?」
「…………空白、かな」
クラウザーも呟くように、静かに口を開いた。
「空白……」
「どんな時も、絶対の冷静を意識している気はする。いつも、狂ったみたいに慄いている気もする。でも、空白って感じが、すんなり来るかな。ただ──」
クラウザーは左手を上げると、小指でクロスを切った。癖でもある、彼の平常心を保つ動作だ。
「──全力で考えている。これは、はっきり言えるかな」
「え? そうなの? パイロットは戦闘中、考えていては間に合わないって聞いていたわ。考えていたら死ぬ、動けって」
シュアルは、対艦攻撃ミサイルのユニバーサル・コードとなった伝説のパイロット=マーヴェリックのパスファインダーを見た時を思い出しながらそう言った。
「それは、迷うなってことじゃないかな」
クラウザーは、首から外してナイトスタンドに置いていたロザリオを手に取った。
「迷ったら死ぬ、それは確実だ。だから、思考が停止しても体は戦闘行動を続けるように訓練されているし、それが身についていないと実戦で生き残るのは難しい。
覚えてるかな? 一番最初に話した時、ACE100って言ったろ? あれは、どんな時でも100%完全に機体をコントロールできる操作能力って事、パイロットスラングなのかな? 知ってた?」
────天才だ! 予想は2週間でACE100!────
突然のクラウザーの振りに、シュアルの脳裏にその時の彼のセリフが鮮明にリフレインした。思わず、吹き出す様に笑った。釣られたらしい、クラウザーも笑った。
「2週間で敵を100機撃墜できる天才だって、自慢したのかと思ってたわ」
「……馬鹿と思われた、とは思ってたけど、そこまでとは──ね」
クラウザーの笑いが、乾いた。
「ええ、とんでもない、ばかだと思ったわ」
シュアルの笑いは、ますます潤いを増す。
「だから戦闘を止めてしまう様な迷いは駄目だ」
シュアルの笑い声が、自分を楽しい気分にさせるのを感じながら、クラウザーは話を戻した。
「でも、全力で考えている。これは、皆そうだ。ジェットもバトラー隊長も。訊いた事はない。訊く必要なんて無いからだ。
敵は何を考えている? 味方は? 僚機は? この展開はどうなる? 先手は何だ? どうしたら上手を取れる? 今、考えなくても行っている戦闘行動の、もっと上をもっと先を、全力で考えている」
ロザリオを見つめて、握り込んだ。
「それが、ほんの少しでも勝った方が、やっと、生き残る」
「全力で……考えている」
シュアルはつぶやいた。
「ああ。どうして?」
クラウザーはロザリオをナイトテーブルに戻した。
「……リアリティが、欲しいの」
「LiFASか…………シュアルが扱うんだよな。ザックリと内容は理解したつもりだけど、凄い、夢みたいな兵器だと思ったよ」
「そうまさしく、夢、を扱う兵装よ」
シュアルはブランケットから手を抜いて、先ほどクラウザーがした様に持ち上げると、∞ をなぞって指を動かした。
「LiFASの創り出す夢は三大分できるわ。
ひとつはSpecter。これは本来ある物を敵の知覚装置から消すの。わかり易く言って、透明化ね」
メビウスに動かしていた指を止めて、そのまま1を表現した。
「ふたつめはGhost。対象物に対する敵の知覚情報を歪める操作。例えばクラウザー、あなたのG4がしている事を違えて敵に見せたり、少し離れた場所にいる様に知覚させたりする」
「凄いな! そんな事が────ああ、コールはG2になったよ」
彼は、とても驚いていた。シュアルの例えは、実戦のMSPにとって、非常に実感しやすく、そして、その想像すると無敵と思える効果ゆえに、今、言わなくて良い様な事を口走る小混乱を起こす程の驚きだったのだ。声のトーンがチグハグしている。
「わかったわ。G2ね」
シュアルは少し笑って、了解を示した。
「みっつめはPhantom。これが問題なの。完全に無から創り出す幻よ。私の作る幻影は、すぐに偽物扱いされてしまう。HOLOのアドバイスがリアリティの不足よ」
シュアルは手を額に置いた。
「なるほど、それで戦闘時の事を訊いたのか。……でも、作戦のフェーズ2は始まっている。無理にPhantomをクリアしなくても、さっきの2つ、GhostとSpecterで十二分に強力だ。それこそ、その力を借りられるなら、2週間で100機の撃墜も可能だと思えてくる。そっちを完熟した方がいいんじゃ無いのか?」
クラウザーはいつしか真剣な表情になっている。
「そうね、それが現実的な選択だと思うわ。でもね、上手く言えないけど、Phantomは必須な気がする。HOLOがあなたの言う通りに見切りをつけないのも、その事を裏付けている気がするわ。それに────」
シュアルはクラウザーの方を向いた。
「あなたがブレイクスルーだった。クラウザー、ありがとう。もう、大丈夫。きっと私、Phantomを掴んだわ」
「え? 本当?」
クラウザーはシュアルの方に向いた。クラウザーを見上げる様に顔を向けていたシュアルと、目が合った。
「……………………ええ……………………」
クラウザーの呼吸音が聞こえる。
「…………なら……よかった…………」
クラウザーは、吐息を止めた。
scene 031 熱戦のイヴ~後編~
Fin
and... to be continued
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