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シン・エヴァンゲリオンをトゥルーエンドという前提で解釈する

※この記事は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に関するネタバレを含みます。

前記事ではエヴァンゲリオンはトゥルーエンドではなく、無理矢理の幕引きであったと結論づけた。

本記事では、まったく逆の「シン・エヴァンゲリオンはトゥルーエンドだった」説を述べていく。

前回の記事のままでは、あまりに救われない。そこで本記事では、エヴァ作中で描かれなかった(もしくは、はっきりしない)設定があったものとして、シンエヴァを解釈する。

※普通に見たときの第一印象での感想は、前回の記事をご覧ください

ループ

エヴァンゲリオンの世界には、ループ・やり直しに近しい仕組みがあることが示唆されている。たとえば破やQのカヲルのセリフなどだ。

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エヴァンゲリオン新劇場版: 破

これは時間のループではなく、神の力(インパクト)による世界の再構築というものだろう。TV版や旧劇と、新劇との差異は、その再構築によって変化した部分である。

前回の記事で、エヴァは、自らが描いたことを台無しにしたと述べた。

しかし再構築を前提としたプレイヤーの存在を念頭に置くと、これは少し違ってくる。というのは、この新劇のタイムラインにおいて、いくつかの登場人物たちが救われないとしても、観測者であり記憶を持ち越すことができる誰かが、次にバトンを繋ぐという希望が残るからだ。

さて、本記事でも登場人物の心に焦点をあてて、述べていく。

なお、エヴァにちりばめられた謎や仕掛けについては、私にとってはあまり興味の対象ではないこと、他の記事の考察のほうが詳しいことから、本記事での言及は必要最小限にとどめる。

レイ

レイは、TV版〜旧劇〜新劇のいずれにおいても、作られた存在である。レイにとっての救いとは、人間性の獲得と、設計者によって背負わされた宿命・仕掛けからの脱出だ。

破では綾波レイが、シンではアヤナミレイが、感情=人間らしさを獲得していく。

アヤナミの第三村での描写についての不満は前回の記事で述べた。

何らかの感情を自分の中に自覚したとしても、それを言葉として表現するには、これまでの人生で他者を通して得た経験と観察によるしかない。それがないアヤナミは、もっと戸惑ったり、感情を把握・表現できないはずだ。

ところが、再構築があった(旧劇)ことを考慮すると、別の解釈も可能だ。はっきりとした記憶ではないが、前世(TV版〜旧劇)の影響が残滓としてアヤナミのなかにあった……とみることができる。このエヴァ世界のループが、単なるやり直しではなく、少しずつの積み重ねによって、前に進んでいくのだ、という進歩・成長の物語であることの投影なのだ。

シンではアヤナミが名前を得ることを、人間になっていく道標として描いている。アヤナミは、名前を得て、好きが分かり、それによりATフィールドを失い消滅してしまう。人間になるという救いの到達点と消滅が同じところにあり、寂しさと嬉しさを両立している。

だがこれは、真の到達点ではなかった。

序と破で、綾波レイが体験したのと似たようなことを、シンのアヤナミで行ったのは、このループにはレイの真の救いは訪れないこと、何度やっても徒労に終わることの暗示ではないか。

つまりエヴァンゲリオンのない世界に行くしかない。それが「さらば」「さようなら」エヴァンゲリオンということにつながっているのだ。

エヴァがある限り、レイは人工的に作られたクローンであり、パイロットであり、人類補完計画のための駒である。その宿命がついてまわる。

しかしレイは、その駒であることで、新世界に到達するための決定的に重要な役割を果たすことになる。破のラストで起きたニアサードインパクトだ。

レイは、エヴァ世界においては、シンジの母親のような役割が期待されていよう。アスカの「ガキに必要なのは恋人ではなく母親」というセリフがあった。この観点ではレイが母親であろう(アスカが恋人のポジションだが、エヴァ世界のシンジはガキなので恋人を必要としない、というのが観客としてもどかしいところだ)。

レイはシンジを、基本的には拒絶しない(最初はビンタするが)。やがて好意を抱き、シンジのために戦うようになる、無条件の献身。

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エヴァンゲリオン新劇場版: 破

それは、そのようにデザインされているからだ、ということはシンで明かされる。

前回の記事では、この設定について以下のように批判した。

序・破で描かれた素晴らしい描写たちが、実は、ただそう設計されたクローンだったからなのだ、という後付けの設定によって、薄っぺらい嘘の物語だと否定されてしまった

だが、これはレイとシンジのこの関係性によってインパクトを起こすために、誰かが仕組んだものだ。とすると、違って見えてくる。

序・破でのあの美しい綾波のストーリーが、劇中の観点においても仕組まれたものだとする、あまりに衝撃的で絶望的な仕掛けだが、この「仕組まれた子どもたち」を打破して、いままで見えていなかったさらに外側に行くという、もう一段階の救済が見えてくる。

アスカ

TV版の惣流アスカは母親にトラウマがあった。親に関連する悩みがあり他者から評価されること、つまり親から得られなかったものの穴埋めを求めており、作品におけるシンジの役割とかぶっている面があった。

旧劇の惣流アスカは、最後にシンジを拒絶する。あの時点のシンジと、アスカを含めたエヴァ世界は、まだ真の到達点に達するための資格を得ていなかったということだ。

シンでは式波アスカもクローンであることが明かされる。

これはレイと同様に、仕組まれた子どもであることをはっきりと提示し、このループ世界には救いがないことを示す表現だ。この「仕組み」の打破が必要であることをシンジと観客に訴えかけている。と同時に、ループの打破に必要な変化でもあった。

破においてアスカは、シンジたちとの共同作戦の後に「一人では何もできなかった」だったり、孤独を意識するようなセリフがあったりする。

ここまでは旧劇の惣流アスカでも同じような流れだ。エヴァによってしか自分の価値を証明できないと思っている。エースパイロットであることに自負がある。

しかしシンジの存在によって、それが揺らいでしまう。TV版〜旧劇では、そうして惣流アスカは落ち込んでいってしまう。シンジに対して好意を抱きつつも、受け入れられない。シンジとアスカが負のスパイラルに陥り、旧劇のラストが訪れてしまう。

ところが新劇のQ以降では、そういった精神的に暗い描写が、式波アスカにはない。ひたすら戦っている。落ち込むのではなく、怒っている。これは惣流と式波の出自の違いが影響しているだろう。式波は母親へのトラウマがない。

破ではまだ弱さを見せていたアスカが、Qではおおむね大人になってしまっていた。もちろんシンにおいても子供っぽさを感じさせる描写は多々あるが、やはり破までのアスカからは大きく前進しているようにみえる。

心の成長はエヴァ作品における重要なテーマだ。アスカに関してそれが描かれなかったことは、やはり残念だ。

※破とQの断絶は、いつか描かれることを期待したい

さて、この結果、シンジはアスカの負の精神に引っ張られることがなくなり、シンのエンドに向かうことができるようになった。

もうひとつ大きなポイントとしては、使徒に乗っ取られるエヴァに搭乗していたのが、新劇ではアスカだったことだ。シンジは、アスカを傷つけたこと=自分の引き起こしたこと(といってしまうのは、あまりにもかわいそうだが)と向き合うタイミングが用意された。

Qの冒頭でアスカがシンジに対して怒っていたことについて尋ね、シンジが「決断しなかったこと」と、答えているシーンがある。アスカはシンジの回答の正否には答えず「大人になったのね」とだけ返す。なお、その本当の答えは違うはずだ。

あのとき、親しくなりつつあった戦友の生死の際にいた14歳の少年が、戦えなかった・決断できなかったことは、長い年月のなかで、やむを得ないことだったと、アスカは理解と納得したであろう。

Qの冒頭で「怒りと悲しみ」とアスカが語るそれは、いつ終わるともしれない戦いの疲れと、その半分を担ってくれるかもしれなかったシンジへの期待と、勝手に期待してしまった自分自身への怒りと、そして、あり得たかもしれなかった、破で描かれたあの幸せの日々への寂しさである。それが、シンジの顔をみたときに、一気に思いが駆け巡ったのだろう。

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エヴァンゲリオン新劇場版: Q

さて、シンにおいてアスカにもたらされた心の面での救いは、ケンスケとの関係性において描かれた、戦いの外における居場所、戦いとは無関係に認めてもらうことだ、ということだ。

これまでのアスカは、戦いのなかでは生きられるが、まだ戦いの外では生きられなかった。シンにおいて、そうではなくなりつつある、ということが示された。

それを与えるのはケンスケでなくてもよかった。しかし周りにはケンスケの他にだれもいなかった。シンジは14年間ずっといない。

また、綾波がシンジを好きになるようにデザインされているのと同様に、式波もそうデザインされている、その可能性が頭をよぎったのかもしれない。

アスカの抱える悩みは特別なものではなく、人々が普通に持っているものである。その裏返しが、特別ではない普通のケンスケがいるだけで救われるのだ、というあの答えだった。

このようにアスカが居場所を得つつあることは、真の到達点へあと一歩であることの現れなのだ。

また、シンジに好きだったと過去形で伝えることで、区切りをつけたのも重要だ。惣流アスカは、その精神的な拠り所を破壊したシンジに、逆に依拠することでそれを取り繕おうとしつつ、最後には拒絶してしまう。ところが式波アスカは、シンジではなく他の道に向かっていく。そのことがループの打破に必要だったのかもしれない。

シンジ

シンジは破では、料理や弁当を作り、みんなに振る舞う。トウジやケンスケとも仲良くなり、アスカやレイに弁当を渡し、加持やミサトとも普通にコミュニケーションをとることができる。アスカとはちょっといい感じだ。作戦後にゲンドウに褒められて嬉しそうにする。

そんな、どこにでもいる普通の少年だし、もはや悩みの大半は乗り越えたようにさえみえる。

あと一歩というところまできている。しかし破のラストとQで打ちのめされ、落ち込んでいる。

シンジの立ち直りは、みんなが優しいこと、好きでいてくれることだった。

これはTV版のラストの構図と似ている。TV版は、シンジが「ここにいてもいい」と思えたのであれば、その理由や根拠は関係ない、それでいいのだ。自己の認識と心の持ちようなのだ、というある種の救済だった(個人的には、このラストはとても好きだ)。

シンにおいても、なぜみんながシンジを好きでいてくれるかの理由は明かされない。それはシンジの心にとってはあまり関係ないことだからだ。その好かれているということが本当なんだと感じられることが重要だからだ。

シンジはこの時点で救われ、立ち上がって前にすすめるようになった。シンでは、このシンジの自己肯定から、TV版の更に先へと進むことになる。ここにきてようやく、シンジは他者を救済しなければならない。

ここで、シンジがエヴァに乗る動機の変化があることも重要だ。当初シンジは、ゲンドウに言われたからエヴァにのる。ミサトに言われたからのる。必要だと言われたい。認めてもらいたい。

破のラストで、ようやく自分のためにエヴァに乗る。シンでは、自分だけでなくみんなにために、エヴァに乗るのだ。

レイに関して、破では綾波の喪失と救出があった。そしてシンでまた、アヤナミの消滅を目の前にした。そのことでシンジが、これを避けたいと願い、ループの打破に向かうのである。

アスカがシンジに対して「なんで怒っていたか分かる?」と尋ねたシーンについては、アスカの項で述べた。

このときの本当の答えがなんだったかはともかく、シンジが「決断しなかった」ことを反省し、決断すると前を向いた。これもシンにおける突破の契機になるのである。

イマジナリーの世界で、シンジは他の仕組まれた子どもたちと出会う。そうして新世界に送り出していくのだが、これはシンジが立ち上がったあとでしか起き得なかったことだった。

マリ

このエヴァンゲリオンのループにおけるプレイヤーは、マリである。

TV版には登場しないが、ユイに関連する人物として、エヴァ世界のどこかにいたはずだ。新劇のタイミングから、パイロットの肉体を得て参加してきたわけだ。

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エヴァンゲリオン新劇場版: 破

漫画において、マリはユイの同窓生として登場する。

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新世紀エヴァンゲリオン 14巻

つまり、冬月、ゲンドウ、ユイといった、エヴァと補完計画の仕掛けのそばにいたわけだ。その時点から、マリの試行が始まっているのだろう。

もちろん、劇中ではマリについて掘り下げはなされなかったことで、結果としてわかりにくいエンドになってしまっている。

新世界

このトゥルーエンドの一歩手前に、新世界に到達するがシンジがいない世界線があったのではないか。

マリが何度もシンジに対して「見つけ出す」と発言するのは、この再構築からシンジを連れ出せなかったケースがあったことを意味するような気がしてならない。

みんなのためにマイナス宇宙へと突入し新世界を構築したのち、シンジはマイナス宇宙から出ることができず取り残され、新世界にはいないという世界線。

もしこれがエヴァンゲリオンのラストとして描かれていたら、分かりやすく美しい自己犠牲として、多くの賛同を得たかもしれない。

「桜流し」の歌詞をみてみよう。

もし今の私を見れたなら
どう思うでしょう
あなた無しで生きてる私を
あなたが守った街のどこかで今日も響く
健やかな産声を聞けたなら
きっと喜ぶでしょう
私たちの続きの足音
Everybody finds love
In the end

このあたりは、シンジが再構築後の世界におらず、その世界を眺めているマリの視点だろう。

そうするとエヴァのいない新世界においても、マリがループするための仕掛けがあることになる。もしエヴァンゲリオンが続くとしたら、それが描かれることがあるかもしれない。

とはいえ、この点については、あくまで希望的解釈である。

さて、シンにおいては、マイナス宇宙のシンジを、マリは見つけ出すことができた。そして手をつなぐことで、一緒に新世界にたどり着くのである。

新世界の駅のホームでシンジとマリが一緒にいるのは、旧世界(エヴァ世界)とは理由が逆転しているだろう。

プレイヤーとしてトゥルーエンドにようやくたどり着いたマリのもとに、イマジナリー世界で手をつないだことでその歴史とループを認識したシンジが、優しく寄り添うのである。

もちろん新世界には、シンジによってイマジナリー世界から送り出された、アスカやレイもいるし、天から降り注いだ、すべての人々がいるのであろう。

彼ら彼女らは、この世界においてもまた、人生を戦わねばならない。しかしそれはエヴァンゲリオンとは別の物語だろう。

ようやく、エヴァンゲリオンの物語は終わることができた。

さらば、すべてのエヴァンゲリオン。

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