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ちいさな旅のこと #4宿のこと

一日目はビジネスホテルに。二日目は、カプセルホテルに泊まった。
旅の大きなたのしみのひとつに、宿がある。部屋が広く、眺めが良く、どこもかしこも磨きあげられていて、シトラスの香りがする宿。で、なくてもよい。ひとり旅ならなおさら、せまくてふるくて使い勝手が悪くて、部屋がなんとなく薄暗い。それで、かまわない。知らない町のすみっこで、しずかに呼吸をしながら、縮こまっているような気分になる。そのほうが、妙に落ち着く。

山へ行った日。ホテルにチェックインをして、すぐにシャワーを浴び、テレビのニュースを見ながら髪を乾かした。早々に布団に潜って、今日訪れた場所でもらってきたパンフレットを見返したり、すこしばかり本を読んだりした。旅はおもしろく、そしてとてもくたびれる。

あちこちを歩き回るし、右へ行こうか左へ行こうか、何を食べようか、バスの行き先は、これで間違いなかろうか。山並みのかがやきも、住宅街の植木鉢も、行き交う人びとが落としてゆく会話も、覚えていたい。
旅は、耳をすませ続けること。だからくたびれて、眠くてたまらない。それなのに、すぐに眠ってしまうのが、勿体ない。この場所にいられるのは、朝まで、半日にも満たないあいだだけ。必要最低限のものだけが、簡素に集まったビジネスホテルの一室の、うら寂しさ。できるだけ長い間、味わっていたい。そう思う。

そうして、いつの間にか眠りに落ちている。数十分が経ち、はっと目が覚め、やっと、明かりを消して眠る。さっさと、しっかり眠れば良いのに。往生際がわるい。あっという間に、朝になる。

無性に、カプセルホテルに泊まりたくなることがある。二日間の旅のあとは旅先を離れて、友人と会う約束をしていた。せっかくなら、もうひと晩どこかに泊まって行こう、そう思ったのであった。

カプセルホテルというのは、宿泊費を安く抑えるための、ホテル代わりとしてのニーズが高いのだろうけれど、わたしは、積極的にカプセル式の宿で泊まりたい、なるべくせまくて、窮屈なところで、と思っている節がある。あの、小さく仕切られたあなぐらのようなところで眠りたい。まるで、秘密基地のようなところで。

都心のあたらしいカプセルホテルは、受付も自動で、ワークスペースやフリードリンクが充実していて、すっかりとシステム化されている。宿泊者はみなドリンクを片手に、フリーエリアで黙々と、パソコンやスマホの画面に向かっている。しずかな空間だった。わたしはココアを飲みながらそのようすを見ている。ふと、宇宙船のようだな、と思う。
宇宙服のような強固な装備をして、ひとりひとりが、別の世界と交信している。夜が更けたら、カプセルの中に潜り込み、等間隔に並んで眠るのだ。不思議な時代の、不思議な世界に、わたしは生きているなと思う。すこしこわくて、すこし、ほっとしている。

朝は、かんたんな食事をご自由にどうぞということだった。ぶあつめのトーストと、生卵とゆで卵が、用意されている。レンジの隣に「ポーチドエッグの作り方」と書いてあったので、生卵をうつわに割り入れ、指示通りにつくった。そうしたら固くなりすぎて、ちょっぴり、破裂した。バターを塗ったトーストと一緒に、食べた。ぽそぽそとした卵は、ごちそうではないかもしれないけれど、わたしのあまりにも素朴で、あまりにも幸福な、旅のワンシーンであった。

トーストを食べきり、なにやら物足りなくて、ゆで卵をもうひとつ食べた。まだ、寝ぼけている。ぼわりと浮かんでくるのは、つぎは、どこへ行こうかということ。もうすでに、旅に出たくなっている。

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