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待合室にひとり

雪のちらつく夜、町の診療所へ向かった。院長先生の見立てがよいと評判で、その夜も待合室は混んでいた。「四、五十分くらいいかかりそうです」と受付の女性が言い、わたしは「大丈夫です、待ちます」と答え、マフラーも取らずに椅子に身を沈める。外はとても寒かった。

待合室には十名ほどの患者さんがいたけれど、みな黙っている。テレビは音が消されていて、NHKの地域ニュースが流れていた。音といえば、天井のスピーカーからちいさく、クラシック音楽が聞こえるだけだった。

時計を確認して、しばらくニュースの画面を見ていた。内容はちっとも覚えていない。鞄の中からノートを取り出す。このノートは読書をした後、その内容をメモ書きしておくもの。ロシアの菜園付き別荘、「ダーチャ」について記したところを見返す。右隣に座っていた男性が名を呼ばれたので席を詰めて、その脇の絵本が入っている箱を覗く。何の絵本があったかは、覚えていない。スマホを取り出して、メッセージを返信する。やっと、マフラーとコートを、脱ぐ。雑誌が並ぶ棚から、栗原はるみさんのレシピ本を取る。季節外れの、夏ごはんの特集号だった。でも、おいしそう。スパイスを効かせた麺料理。食べたい。雑誌を戻す。またニュースを少し見る。壁に貼られた健康保険料改定のお知らせを見る。その後、またスマホの画面を見る。その後、受付の女性が、電卓やボールペンやお金を入れるトレーを消毒液で拭いているのをぼんやりと、眺める。その後、ふと待合室を見渡す。そこにいた患者さんみんなが一人残らず、スマホの画面を見ていた。

待合室や、電車の中や、ATMから伸びる行列。その場にいる人たちがみんなスマホを見ているという光景は、今はもう珍しくもなんともない。わたし自身、先ほど画面を見ていたわけだし、みんなやらなければならないことが多くて忙しいし、それぞれの関心事も多種多様なのだから。そういう世の中にわたしたちはひとりひとり、包括されているわけだから。

でも、ふとした拍子にこの光景に鉢合わせるとき、わたしは心の片隅、ほんの少しかすめ取るくらいの些細な領域で、すっかりと、ひとりぼっちだと感じる。
スマホの画面は深く青い色をした海で、みんな首をうつむかせ、そこにとぽんと身を投じていく。そうして、深い深いところ、陽の光が当たらない深海まで、延々と潜っていく。海は、新種の生命体を発見するような刺激的な場でもあれば、流れ出した化学薬品によって命を失うようなことが、起こる場でもある。そんな気がする。
だれもニュースキャスターの顔を見ていない。だれも受付の女性がはさみで何かの用紙を切っているのを見ていない。だれも空気清浄機の緑のランプを見ていない。だれも、悪いことをしているわけじゃない。でも、今、わたしはこの待合室にひとりぼっちだと思った。

その時、「ふ」と斜め向かいの女の人が顔を上げた。壁の時計を見るでも、テレビを見るでもないような目線で、何かをぼんやり見ていた。彼女は紺色のセーターを着ていて、そこには黄色と、緑と、だいだい色の、大ぶりの花柄が散っていた。わたしは心の片隅で、「おかえりなさい」と、つぶやいた。

穏やかできれいな海に潜ったら、みんなまたここまで、戻ってきて欲しい。遠い遠いところまで行ってしまわないで。この椅子に自身のからだがあるということを、そのからだが時々風邪を引いたりすることを、院長先生がその胸に聴診器を当ててくれることを、そして「疲れたのかな、無理したのかな、そのことに自覚的になって、よく眠ってあたたかくしてください」と言ってくれることを、忘れないでいて欲しい。

待合室にひとり、ときどきふたり。みんなお大事に、はやく元気になるといい。

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