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平日

平日の午後、仕事が休みだったので公園で過ごした。目の前を横切る大きな橋を走りゆく車、滞りなく流れ続けるそのさまは清々しかった。平日だからかトラックが多くて、はたらくひとはすべて等しく、勇ましく思う。わたしは九月末で、今の仕事を辞めることにした。

橋には等間隔に大きな道路灯がそびえていて、その形はまるで、海を渡るカモメのようにもみえるし、植物の芽のようにもみえるし、昆虫の触角のようにもみえて、小さいころから好きだったので、いろんな人に見てもらって何に見えるか、そっと教えてほしいなと思っている。

今日はとても過ごしやすい気温で、風が心地よく通りすぎてゆくので、ベンチでうっかり眠ってしまいそうだった。これは夏の終わりなのか、はたまた秋の始まりなのか、どちらの言葉にあてはめても、もの悲しさはかわらないのだけれど。

「なんにもしない」という午後は、ベンチに座ってぼんやりしているだけなのに、それとなく様々なものをもたらしてくれた。橋を渡る車たちが徐々に渋滞をしはじめ、またそれが解消されるしくみだとか、地面に生えている短い草が、風にどういうふうに揺れるのかということ(かなり小刻みにぷるぷると揺れる)。それから、赤いボートが通り過ぎたあと、しばらくして青いボートが通り過ぎた時、なんとなくうれしかったこと。カフェオレを飲みながら、「わたしって今、赤のと青、どっちもみられたから、うれしかったんだな〜」なんてことをまじまじ、たしかめられたりとか。

そんな午後が、わたしの人生に何を与えてくれるのか、先のことは、まだ何にも決めていないのだけれど。仕事を辞めるということを決めてから、今までより一段と、目に飛び込んでくるもの(橋の道路灯、草花、樹木のはがれた外皮、カフェオレのキャップのマーク、波間、大きなトラック、小さなトラック、あんドーナツの粉砂糖、あかちゃんのそよぐ髪は、ゆるうくカールしているの!)の輪郭はくっきりとし、解像度は上がり、見逃したくないという思いと、伝えたいなという思いが強くなっている。

しばらく、歩き回ったり、じっと見つめたりしながら、過ごしたいと思っている。その一方で、蛇口を大きくひねって、書くことに向き合いたいとも。そういう「平日」が、もうすぐやってくる。

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