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大事なのはひつじのショーンのキーホルダーとか、そういうこと

 図書館の入り口の石段に座っている女の子が、ストローのついた水筒でお茶を飲んでいた。桜は満開、町は春まっさかり。図書館のカウンターからは、男の子の声が聞こえる。「しがつのじゅうななにちまでかりられるってこと?」と言ってる。返却期限についての話。
 春は、町にいる人たちが鮮明に見える。かたく固まっていた何かが、芽吹くような季節だからなのかな、と思う。

 図書館に来るとほっとする。本屋さんも大好きだけれど、図書館は「富」であるからとても好きだ。マルクスが「資本論」でそう言っていた。「富」は、お金があってもそうでなくても、だれにでも等しくひらかれているところ。
 公園も同じく「富」で、図書館を出ると芝生が広がる公園があるので、そこのベンチに腰掛ける。「ぽか~」と音が聞こえてきそうなくらい暖かくておどろいた。たくさんの人も同じように、「ぽか~」に包まれながら思い思いに過ごしていた。ペンを取り出して、メモを取る。

《凧揚げをしている青年。アイスを食べている少女。縄跳び二本を結んでつくった大縄跳びをしている小学生たち(持ち手のところが地面をこする音がしている)。「アキちゃんどこいった?」「アキはトイレ行きました」という会話。公園の時計は5:40でとまっていて「故障」と張り紙がついている(朝と夕方、どちらの瞬間にとまったんだろう、と思う)。公園に面した道路に停まった軽トラに「湯葉」と書いてあり、割烹着姿の男性が黄色いケースを抱えて和食屋さんに入っていく(湯葉が納品される瞬間!)。おじいさんのポシェットには、ひつじのショーンのキーホルダーがついている。手には袋をぶら下げていて、中身は食パンだった。たぶんあれは「超熟」。》

 メモを取っておきたくなる光景は書き始めるときりがない。次から次へと春の中を、あらゆる人がきらんと光る何かを見せ、通り過ぎてゆくのだ。
 わたしはたまらなくなってしまう。個人的な話だけれど、季節の変わり目だからなのか、三月はひどく心が落ち着かない日々が続いていた。体調も良くなく寝込む日があったし、職場でもくるしくなってトイレで吐き気をこらえていた。うずくまって、自分で自分の肩をずっとさすった。


 努力は報われないこともあるし、一方で、ずるいことをしたらかならず天罰が下るわけでもない。世界は多分そういう風にはできていないのだ。
 でも公園で眺めたひとたちは、みんなおおむねほっとした顔をしていた。それぞれいろんな大変なことを抱えているだろうけれど、おおよその人たちはうららかな春の日差しの中にいることを、心地良いと感じるのだろうと思う。同じように、お布団で眠るのはきもちいいし、おいしいご飯を食べるのはうれしい。そういうふうに感じる人たち(どうぶつや植物もだけれど)で世界は満たされてるってことも、おそらく事実なのだ。

 春もすべての人に等しくおとずれている。重たいコートはもういらないし、スーパーには桜餅が売っている。ひとつずつ花を摘むみたいに毎日を過ごしていく。それだけだし、それしかできないし、4月の17日には、図書館に本を返しに行く。わたしにとって大事なのは、この世界にひつじのショーンのキーホルダーをつけたおじいさんがいてくれること。そういった類の、そういうようなこと。

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