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無常でないなにか

「この世は無常だ」とよく言われる。とくに日本はその考えが強い。なにも確かな拠り所はない、という考えや感じ方はわかる。しかし僕は、この世界にははっきりと肯定的なものがあるように感じている。それがなにかは言えない。でも、子供の頃からそう感じてきたように思う。

たしかに、なにもかもうつろう。物理的な意味でもそうだし、人間関係や幸せといったものもそう。それでも、なにか確かなものがあるように思える。愛だろうか。それがなんであれ、「あなたは理想主義だ」「恵まれているのだ」「絶望や苦労が足りない」と言われるだろうか。あるいは、悟り方が足りないのかもしれない。よくよく悟れば、世は無常と空(くう)そのものになるのか。

僕はならないと信じる。

これまで、世界と日本の古典に親しみ、本を読んできた。今もいにしえに学び、けっして自分がいにしえをしのげる(上を行ける)などとは思わない。だからこそ、「無常でないなにかがある」と言うのは勇気がいる。

けれど、その無常でないなにかに向かって、ずっと詩を詠み続けて来たように思う。僕の場合、哲学を通してそれについて考え抜き、詩の言葉でそれを歌い続けて来た。

あえて言えば、それは「遊戯」なのだと思う。というより、「なにもかも遊び戯れている」世界において、その遊戯の真ん中にある肯定的ななにか。それはやはり言葉では言い表せないものなのだろう。詩はそこに向かう。

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