見出し画像

ゲストハウスは学校だった

(この記事はご応募頂いた ホニャラノイエ 加藤瑛美さん の記事から転載                  させて頂きました。)

思い出ノートの期限が9月だと勘違いしていたので慌てて今日この文章を書いています。岐阜県大野町というところにある古民家宿、ホニャラノイエを、元JR車掌で髭モジャの夫、武留と共に経営している加藤瑛美といいます。ゲストハウス思い出ノートの運営スタッフでもある夫が毎日のようになにがしかの作業をしているのを見てて、投稿したくなり書かせてもらいました。


私は30歳で大阪の会社を辞めてから、倉敷の有鄰庵(中村功芳さんがオーナーの頃)で約1年、徳島の空音遊で約半年、長野県安曇野地球宿で約8か月スタッフや丁稚やヘルパーなどで滞在しながら働き、地球宿で出会った夫と二人で小さな古民家宿・ホニャラノイエを始めました。

偶然のご縁で古民家ゲストハウスばかりで働いてきたんですが、私とゲストハウスのご縁には何か運命的なものも感じます。元々ゲストハウスで働くことには全く興味がなかったのにこんなにどっぷりはまったのは、まるでゲストハウスが私にとって生きなおすための「本当の豊かさを学ぶ学校」の様だったからでした。そのとき感じた事を書いてみました。


人は知らない間に思い込みに縛られてしまっている。

学校をでて大人になったら全てが自由だと思っていても、実は様々な枠にとらわれていた。そのことに気が付いたのは、ゲストハウスで働き始めてからだった。

私が最初にスタッフとして働き始めたのは、倉敷にあった「夢を応援するゲストハウス」。そこには、音楽家になる、書道で生きる、など様々な夢を持った人たち集まり、暮らし、働いていた。当時の宿主だった中村功芳さんことあっちゃんは、みんなの夢を応援していた。

私は大阪の会社で働いていたころ、周りに夢を語っても無関心で返されるか、「あなたはすごいね」と言われるばかりだった。そう言われるたびに温度の違いを感じ、線を引かれたように感じた。だけど、ゲストハウスにきてからは同じ温度感で夢を語り合うことができた。(当時の宿は経営者が変わって方向性も変わっているみたい。現在あっちゃんは「洗濯船」と「瀬戸内ライフ」という宿をやって相変わらず夢を応援しているそう)

1年ほど働きながら私自身も夢の実現を目指した。ここにやってくるいろんな人と話すうちに、自分がいかに思い込みという枠にとらわれて生きていたのかに気が付いた。一番私を閉じ込めていた枠は、私はこのときまで世の中には教科書のように生き方の正解があると思っていたこと。答えを探していた。けど、答えは自分の中にしかないと気が付いた。本や人の中にある「正解」の通りに生きることは、結局自分の人生を生きていることにならない。その時、今度は思い込みにとらわれないまっさら状態で自分のやりたいことを改めて見つめてみたいと思うようになった。

その次に丁稚として働き始めたのは徳島の空音遊というゲストハウスだった。宿主の、のりさんとかおりさんに見守られながら、半年ほど生活した。
ここでは限界集落の古民家暮らしという生活の間にゲストさんが自然に溶け込んでいた。薪割りを手伝ってもらったり、五右衛門風呂を炊いたりというここでの日常が、旅人へのおもてなしであり娯楽のようになっていた。のりさん達は、仕事のために特別無理をしてなかった。

ここで、「仕事と暮らしと遊びはイコールでもいいんだ」と、始めて気が付いた。いったい誰が、これらを分けることにしたんだろう。「仕事は辛く我慢するもので、プライベートは楽しいもの」と思い込まされてきたけど、別に分ける必要はなくて、ただただ人とのかかわりの中で、日々が続いていく。そんな生き方があるんだと初めて知った。

また、ここで私は見えない「誰か」からの期待を手放し、自分の中に答えを見つけようとして、思考を止め五感にゆだねる練習をした。それなのに、どうしても外側に答えを求める癖が抜けず、自分の行動すら満足に決められずという日々が続いた。そして、「自由を縛っていたのは周りの誰かや環境じゃなくて、自分だった」正確に言うと「自分を縛っていたのは、思い込みだった」ことに気が付いた。

それからまた各地を転々とした後、最後にたどり着いたのは、長野県の安曇野地球宿というゲストハウスだった。旅するうちに、自分もいつかは田舎の古民家で農的暮らしをしたいと思うようになっていたが、実際にそれがどのようなものかはわかっていなかった。そこで農的暮らし、田舎の古民家移住をしている宿主望さんの下で暮らしを体験し、その後、自分でも築いていきたいと思った。

また似たような志向を持つパートナーが欲しいと思い、宿主望さんに全面協力してもらいつつ、婚活もした。望さんの強力な後押しもあって、地球宿常連の武留君と出会い、8か月で結婚し地球宿を「寿退社」!?した。ここに来てからより具体的に描けるようになっていた暮らしの夢を、ほとんど武留君のおかげで叶えることができた。

ゲストハウスのもう一つ面白いところは、時にはゲストさんがスタッフにお茶をついでくれたりすることだと思う。宿主とスタッフとゲストの間で上下や主従関係のようなものが希薄だったり存在しなかったりする。それまで、会社で営業をしていたころはお客様は絶対だった。営業に対等に接してくれる人もいたけど、理不尽なことも受け入れるのが当たり前だと思っていた。でも、ゲストハウスでは、誰とでも、人と人としてつながることができる。望さんは特にその姿を間近で見せてくれた。

既存の学校は、私にとってはどちらかというと答えを与えられる場所、ルールに従うことを学ぶ場所だったように思う。それに対してゲストハウスは、世界にいつの間にか存在している理不尽な心の檻のようなものから、私を少しずつ解放してくれる、豊かさの学校だった。


「学校を卒業したら会社勤めして定年まで働く」という生き方しか知らなかった私に、ゲストハウスでは「田舎暮らし」「古民家暮らし」「農的暮らし」などの中にある本質的に豊かな「暮らし見本」をいくつも体験させてくれた。

「夢」「自由」「愛」とは何か、ということについて実体験で学んだ。これらは、豊かな暮らしを創造していくのには欠かせないものたちだとわかった。

そして「○○でもいいんだ」という気づきがたくさんあった。遊びと仕事の境界線も、人と人との境界線も曖昧になっていき、「分ける必要なんてなかったんだ、すべてが同じでいいんだ」と思い出させてくれる。この気づきが広まればそうすれば世の中はもっと簡単に、もっと楽しい場所になっていく予感がする。

私たちの古民家宿ホニャラノイエでは「人生の途中下車をしませんか?」をテーマとし、ホニャんとした暮らしを体験してもらっている。私たちがゲストハウスで学んだ豊かさの意味を、少しでも感じてもらえたら嬉しいなとひそかに思っている。

執筆者  :  ホニャラノイエ 加藤瑛美

---------------------------------------------------------
あなたも旅の思い出を投稿して懸賞を当てませんか?
募集期間延長決定!
全国から参加したゲストハウスの豪華懸賞をGETしよう!
第二弾募集期間 9/16~10/31
詳細、投稿方法はこちらのリンクをどうぞ
https://note.com/gh_omoide_note/n/nb97ade4ebe97
---------------------------------------------------------

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?