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Mー1ラストイヤーを終えて。

2022年11月1日、19時ちょうど。私の戦いは正式に終わりを迎えた。私は、画面から目を逸らすとともに、ワイングラスを傾け・・・

とかなんとか仰々しく書こうとも思ったけど、めんどくさいのでやめておく。
とにかく、ガーベラガーデンとしてのMー1グランプリのラストイヤーが、3回戦で終わってしまった。今どんな感情なのか自分でも良くわからない。
「悔しいなぁ」
「ウケたとは思ったけどなぁ」
「にぼしいわし面白いなぁ」
「題材が下ネタ過ぎたのかなぁ」
「追加合格の骨付きバナナ凄いなぁ」
「でもミスなくやれてよかったなぁ」
「おなかすいたなぁ」
「せめて準々決勝は行きたかったなぁ」
みたいな思いがここ何日かずーっとグルグルしてる。おかげで黒板の文字をまぁ間違う間違う。本当に申し訳ない。(たぶん全て訂正は出来ているはずです)
まぁそんな感じで、あとはTwitterのエゴサやYouTubeのコメントにホクホクしている。おおむね好評、なんなら過去の3回戦の中で1番反応が多いという印象。まぁでも、こんな事を普通に感じられるくらいの存在になれた事は本当に嬉しい。
ただの地方芸人でしか無かった我々がほんの少しだけ世間に見つかった事だけでも、続けてて良かったと思う。

学校と塾の漫才をやる前は、ずーっと2回戦落ちだった。自分で言うのもなんだけど、ガーベラガーデンは2007年10月のデビュー以来、名古屋芸人界ではそこそこ評価されていた。今の姿しか知らない方には信じられないかもしれないが、私なんか「名古屋No.1のツッコミ」だったのだ。ツッコミだった見る影も無いな、しかし。
はじめて受かった賞レースはキングオブコント2008、本当に嬉しかった。いざ向かった2回戦、ハッキリと分かった「あ、通用しないわ」と。そこからはとにかく試行錯誤に次ぐ試行錯誤。名古屋の1回戦は難なく合格するも、2回戦の壁に容赦なく阻まれる。ずっとそうだった。2015年、Mー1が復活してもずっと負けが続いた。なんとなく「このまま15年を迎えるのか、それはイヤだなぁ」と思っていたが解決策は見出せないままだった。そんなこんなの2018年。単独ライブで知り合いの作家さんに原案をもらった学校と塾のネタを3分にまとめてMー1の2回戦に持っていった。(注:ガーベラガーデンに座付きの作家がいるワケではない、基本コンビ2人で作っている)
ウケた。とんでもなくウケた。体感では拍手笑いが3回くらい。はじめて2回戦でウケた。嬉しかった。はじめて合格したかも、と思えた。結果発表後、ご機嫌にしゃぶしゃぶを食べに行った。
はじめての祇園花月の3回戦。もうただの思い出作りだった。楽屋代わりの喫茶店には名だたる芸人さん達が大量のタバコを吸っていて、我々は端の方に荷物を置かせてもらって、急いで着替えて、出番を終えて。「あんまりだったねー、でも最後にドカンと笑ってもらえて良かったねー」などと言いながら帰った。結果発表は確か翌日の昼。とりあえずね、くらいの軽い気持ちで見た準々決勝通過者の中にガーベラガーデンの名前があった。ビックリした。ちょうど仕事が終わった所だったので、職場近辺の電信柱にもたれかかりながら、いや電信柱を抱きしめながら、レンガホリオ兄やんと電話をした。もうこれを超える人生の喜びは無いのかもしれない。準々決勝のNGKは本当に最高の舞台だった。夢のようでただネタを間違えないのに必死だった。
実は2018年の準々決勝は当初、今までやってきた普通の漫才をやろうと思っていた。どうせ、1回しか行けないし、3回戦のネタ以外に学校と塾のネタも無いし、と思っていた。改めて4分ネタを作ってみたらそれなりに良い出来になったので結局、学校と塾の漫才をやったのだが、あの時普通の漫才をやってズル滑りした場合の未来はどうなっていたんだろうか。(少しくらいウケたのかなぁ)
そこからはもう腹をくくって「学校と塾」のネタをやるコンビとして活動していった。あれから丸5年。毎年毎年「もうネタ無いぞ」とひーこら言いながら、どうにかこうにか本数は少ないながらもネタを作っていった。
我々には活動休止期間がある。ざっくり言うと「THE MANZAI」が賞レースだった時代だ。私が岐阜で就職して遠距離コンビになったのでほとんど活動してない。年に1回漫才をやるかやらないか、ぐらいだった。…という事はその分を差し引くと、去年の号泣のように、まだ挑戦できるんじゃないか?いやいやいや。充分すぎるほどやりきったし、本当にネタが無い。お互いの脳から煙がモクモクしている。

しかしまぁ、冷静に考えると良くやった方なんじゃないか。Mー1でいえば準々決勝3回、3回戦1回。祇園花月に5回、NGKに3回立った事ある塾講師は日本でたぶん俺だけだろう。
そのおかげで初めてお会いする芸人さんにも顔を覚えて貰えていた。ただのお笑いファンとしてはシビれる思いを沢山させてもらえた。5年前なら信じられない事ばかりだ。
ベストアマチュア賞も貰ったし。
ちなみに、俺自身は自分で「アマチュア芸人」と名乗った事は多分1度も無い。相方が公務員で副業禁止とかがめんどくさいから「アマチュア」としているだけで。「社会人芸人」と名乗るのはアリだと思っている。でも、もう時代的にもその辺の線引きはどうだっていいと思っている。どんな形であれ1人でも多くの人に「面白い」と思ってくれれば、それでいい。

この先、ガーベラガーデンはどうなるのだろうか。とりあえず解散はしない。これが社会人芸人の良い所だ。
2007年の結成から2017年までが我々の第1章、学校と塾に全ツッパした2018年から2022年までが第2章、おそらくこれからが第3章。来年のMー1にユニットで出るのか、キングオブコントに出るのか、それ以外の目標を決めるのか。とりあえずは今の所ありがたい事に色々ライブのオファーはちょこちょこ頂けているので、楽しくやっていけたらいいなと思う。
個人的にはもっと賞レースで戦える名古屋芸人が増えるといいな、と勝手ながら思っている。3回戦にもっと多くの名古屋芸人が行って欲しいな、そのために何か俺みたいなもんが出来る事は無いかなとぼんやり思っている。本当は今年準決勝まで行って、堂々と「勝つためにはねぇ〜」と偉そうに踏ん反り返りたかったのだが、そうもいかないみたいだ。ただ、こんな私なんぞでも言える事はあるんじゃないかなぁ、ちょっとばかりは思っている。どうにか叶えたい夢は、自分が関わった人が売れる瞬間を、メシが食えるようになる瞬間を見届けたいなと思う。15年間名古屋お笑い界にいて、きちんとメシが食えるようになった人が片手で数えるほどしか居ないのはどうにかしなきゃいけないだろ、絶対。何かがおかしいだろこれは。
あとは1回戦が突破できずに悩んでいる芸人さんに何かしらコーチというか、そういうのも出来ないかな、とかは思っている。教えるのは、たぶん上手いし。
俺自体はただの個人事業主なので、個人としてお笑いに関わる事を収入の一部にする動きをしていこうかな。あと、大阪で舞台袖や楽屋Aを見ていて、名古屋でもこういう場所を作れないかな、と考えるようになった。(長者町raBBitはあるけどね。自分でやりたいな、と思ったって事ね。)

こんな所に書いてるんだから、誰かには読んで欲しいんだろうけど、どちらかと言うと自分が次に進んでいくための区切りとして書いている。我々レベルでもMー1に受けた恩恵は多大なものがあるし、我々の中でMー1が大きくなりすぎた。まだどんな未来になるかはわからないけどね。すんごい奇跡が起こってユニットで準決勝行けるのかもしれないし。
基本的にはダラダラ生きていたい人間なので、しばらくは楽しくやっていくと思う。また何か超えたいと思える壁に出会えたら、頑張っていけたらいいかな。
最後までお読みいただきありがとうございました。私なんかで良ければ、ご相談、お仕事のご依頼、お待ちしております。

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