祖父の原稿 15

  十五 日本マスターズ陸上競技選手権大会 
      ハーフマラソン、10kmロードレース

 昭和39年東京オリンピックの余韻の中で急速に運動熱が沸き上がってきた。全国各地に自存のアスリートが誕生した。自分もその一人となって走りを始めた。
 それから30年経過自分なりに走った運動が慣熟したと思える72才の高齢になった。朝日新聞、けんみん広場にその心境を投稿した。

 私は1日おきに10〜15kmの長距離走を、夏、冬を問わず四時半には起床して行っています。年三、四回近県で実施されるマスターズ陸上競技で、100、200、400mを走る。走るのはあっけない時間だが、苦しい呼吸を芝生にひっくり返って整える時間の充実感は最高です。
 60歳以上のシニアソフトボールはプレイングマネージャーとして球を追いかけている。バントヒットで出塁し離塁アウトの危険をおかしての盗塁は快感でつい跳び上がってしまう。こんなエンジョイスポーツが、私の健康を支えている。
 健康であればこそ出来る喜びであり無上の幸せである。
 マラソン参加は小豆島のオリーブマラソン、奈良の大仏マラソン東は北海道網走マラソンと20年続けて走って、マラソンじいさんの愛称に気を良くし、各地で多くの仲間をつくり、体も思考も大きく豊に育っています。
 小水の色が、便の量が、体重はと何時の間にか自己管理が身についてきたのも、スポーツのおかげです。昭和40年手術し、再発が20年周期と言われた尿管結石も、未だその兆候もない。おそらく走るあまり石造り機能が消滅したのではと自己診断しているところです。
 姿、形を見て高齢者と言われたくない、何才になっても運動を続け、何時も体に活気と輝きを持ちたいと願っています。

 この投稿を知ってか日本マスターズ陸上競技連合(会長 西田修平 オリンピックマラソン優勝者)から平成8年9月富山県魚津で開催のハーフマラソン、10kmロードレース大会に参加せよと案内状が入った。マスターズには一般参加で全くの無名会員であるのに名指しの参加要請に驚いた。全国天狗の多い大会は自分の力を試す良い機会だと即座に出場を決めた。
 富山湾に発生する蜃気楼が一番良く見えるという、魚津港近くの海岸線を走るコースに、全国から集まった男女840人のランナーがスタートラインに並んだ。皆健康そのもので満面に競争心を湛えている顔を見て、抑え難い敵愾心に身体がふるえた。今まで走った各地でのランナーと違って、日本マスターズの仲間をすごく間近に意識して、この仲間には負けられないと反動的に燃え上がって、スタートした。

 10km 男子70歳以上(M70) 森脇一男 ゼッケン147 2位 49分25秒

期待以上の完走賞を手にした。
(M70)世代後半の年齢で、全国から集ったランナーを抜いて2位のゴールに驚いた。

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