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着ぐるみの事情           ⑦出演が決まる

練習の日が来た。今日もパインはいた。私たちはついにデビューの演目を告げられた。「このは、美少女ムーン。淡路島のショッピングセンター。」社長が言った。「パインは美少女ムーン。北陸。」同じ「美少女ムーン」でも2班で稼働するらしい。演目が決定したらアクションの練習はさておき、さっそく台本を回し読みして、カセットテープのセリフを聞きこまなければならない。

ショーのための台本と、カセットテープは班で一つずつしかない。時間に余裕があれば、一人一冊台本をコピーしてもらえるし、カセットテープもダビングしてもらえるのだが、ゴールデンウィークとお盆は稼ぎ時で、いろんな種類のショーをたくさんの班で動くため、事務所としてもなんとかみんなでやってくれ!という感じだったのだろう。

社長に言われパインと一緒に1階に降りると、これまでの練習と違い、マットは敷かれてなく、女性ばかりが集まっていた。パインは違う班で、その班をすぐに見つけて行ってしまった。

女性の集まりの中に男性が1人いる班があった。その中に背が高くスラッとして笑顔の素敵な女性の先輩がいた。どう見てもその先輩がリーダーっぽかったし話やすそうだったので「ムーンの練習だと言われました。このはです。」と声をかけた。その先輩は私が今回同じ班だと知っていたらしく、優しく「ああ、このはさん?この台本見といて。このはさんは女の悪者の役ね。」と教えてくれた。キリン先輩だ。キリン先輩はムーン役なのだとすぐにわかった。

カセットテープのセリフに合わせて動く先輩達は、恥ずかしがることもなく生き生きと演技をしていてとてもまぶしかった。時々演技が止まったりすると、「テープ止めて!」と言われるので、私は先輩達を見ながらラジカセ係を買って出た。

練習の段階で全員が把握しておかなければならないことは、自分の出番が終わり、舞台袖にはけるのは、上手(かみて)か?下手(しもて)か?ということだ。それをお互いに覚えておかなければ小道具の受け取りや、早着替えが間に合わなくなってしまう。

上手と下手が裏でつながっているのは大きな舞台だけで、ショッピングセンターやイベント会場ではほとんどが特設テントにはける。何度か行ったことのある会場なら「そこは確か、上手だけやったで。」と誰かが口にするが、誰も覚えていない時は、とりあえず上手だけバージョンで練習しておき、当日確認して下手だけなら反対になり、両方使えるなら少し演技の幅が広がるので混乱しない程度に敵と味方に分かれたりする。




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