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ベテランコーチのコーチング体験

どーも、ゲッティです!
今回は自分が参加している「平本式現場変革リーダー養成コース(以下:現変)」の学び、体験を忘れないように、深められるようにアウトプットします。
自分の経験から何か感じることがあれば嬉しいです(^^)/

現変に参加しようと思ったきっかけ

そもそも現変に参加しようと思ったのは、「自分軸で生きていきたい!」と思ったからです。自分で人生の選択をしてきたつもりでも、「みんながいいと言っているもの」を選んだり、「人から評価されるだろうこと」を決めたり…。自分自身が「本当に好きだから」とか「周りがなんと言おうとこの道を進む」とかそうやって決めてこれたか、改めて自分に問いかけてみると自信をもって「Yes!」とは答えられないのが正直なところです。

誰しもそういった部分はあると思いますが、せっかくの人生ですから、みんなが羨ましがることとか、「凄い!」と言ってもらえることより、大きいことじゃなくても、自分が大切にしていることをずっと大切にし続けて行動していける方がいいなーなんて思いますね。ぶっちゃけ、自分の人生の評価基準を他人に委ねてると疲れますし笑

「自分とどうやって向き合っていこうか」と考えていた中で、この現変と出会いました。背景は違えど、自分や自分の周りを良くしていきたいと思われている方ばかりで、刺激をもらってます。まだまだ始まったばかりですが、皆さんとご一緒に、小さいことでいいから出来ることをひとつずつ積み重ねていこうと思います。

平本式の現変についてはこちら
https://hiramotoshiki.jp/leader/

そんな現変の学びの一環として、ベテランコーチの永田順子さんにコーチングをしていただきました!

自分の悩み

「自分軸で生きたい」と思い、自分なりに色々と工夫をしていますが、そう簡単に思考や行動が変わったら苦労しませんし、時間はかかるとわかっていても、落ち込むこともあります。
そんな自分の悩み「自分が好きで始めたことがいつの間にか他人と比べてしまったり、人に認めてもらいたくなったりしてしまう」ということについてご相談させていただきました。

仕事で自分で学んだことをアウトプットするのが好きでやっていたのを「凄いねー!」と褒められて嬉しかったのですが、いつの間にか無理してまでプライベートの時間を削って学んでいるのに、それに対して周りのリアクションがないことに勝手に苛立ちを感じる。

社会人になって再開した卓球を楽しんでやっているけど、ふとした時に自分より上手い人を見ると「俺全然ダメだなー」と落ち込む。

などなど、元気な時はいいんですが、疲れたり嫌なことがあったりして余裕がない時はそう感じてしまうんですよねー。
まぁ昔は元気な時でも無意識に人と比べまくってましたから、成長したなと自分を褒めたいですね笑

自分なりに「何で人と比べるようになってしまったのか」振り返ってみると、受験勉強の弊害かなと思いました。
受験が悪いと言いたいわけではなく、「普段は認めてもらえないが、勉強ができた時にしか親から認めてもらえたと実感できなかった自分」が原因だろうと思います。
小学生の時は順位とか出ませんから、自分ができた/できなかったでいいですが、中学生になってから順位がつきまとい、どうしても比べてしまいます。「5位以下の自分はダメだ」とか、「苦手なことができなくても、人より順位がいいからOK」など、自分がやってきた結果として出た順位に固執していた気がします。「勉強のやり方を変えたらいつもより覚えられることが増えて嬉しい」とか「友達と一緒に勉強を教え合うのが面白い」とか過程を軽視してましたね。だからこそ、高校生になってから無謀かつ意味の無い「徹夜すればなんとかなる」という勉強をして身体を壊したんでしょうね。

なりふり構わずやる

順子さんとの対話の中で、「過去そう思わないで行動できたことはないか」と聞かれ、思いついたのは広島で過ごした大学生の時に行っていた平和活動でした。

「広島でしか出来ないことしたいなー」とか考えていろいろやってたら、サークルの活動の一環で全国の大学生と平和について考えるためのイベントの実行委員をやって欲しいと言われ、そのままの流れで5年に一度ニューヨークで行われるNPT再検討会議に「被爆者の方々と行って現地での学びを帰ってきたら広めて欲しい」と言われました。

承認欲求にとらわれてた自分にとっては「日々の努力が認められた」とか「俺すげーことしてるわ」とウキウキでしたね。

しかし、実際に現地で家族や友人が亡くなった時の様子や自分が後遺症に苦しんでいる体験を語られる被爆者の方々の姿に心をうたれました。

誰もが語りたくて語っている訳ではありません。「友人が亡くなった時の様子など、自分の辛いことを見ず知らずの人達の前で話してください」って言われたら、皆さん話せますか?僕は嫌です。

「なんで語ろうと思ったんですか?若い世代に期待してる事ってありますか?」そう被爆者の方に聞いてみました。

「自分たちのような辛い思いをする人をこれ以上増やしたくないからかな。犠牲者は自分たちだけでいい。若い人たちも一緒になって次に繋いでくれたら嬉しい。」

自分たちのことを思って、辛い体験を話してくださる被爆者の方々の想いに少しでも答えたい。帰国してからはとにかく行動しました。

・組織の機関紙や理事会で報告
・Facebookで現地の様子を投稿
・七夕に合わせて平和への祈りを短冊に込めてもらう
・折り鶴のモザイクアート
・平和に関する本の紹介や読書会の実施
・サークルのメンバーに平和記念公園の碑巡り実施
・子ども平和会議のファシリテーター
・平和について考えるイベントの企画

自分で書いてても、よくこれだけ動けたなと思いました笑
大学も学部が暇な時期だったんでちょうどいいタイミングでした。

気づきを与える

この行動できた時の気持ちを順子さんと一緒に深堀りしていただき、振り返ってみました。

「誰かに感謝されたい、褒めてもらいたい」という気持ちはなかったです。ただ、「今当たり前に過ごせているこの瞬間の裏には、自分たちのことを思って行動してくれている人達がいることについて気がついて欲しい」、「今まで疑問に思わず過ごしてきたことの中に、大切なことがあることを気がついて欲しい」、「知らないことを知って欲しい」その一心でした。

「誰でも良いし、何でもいいから、平和について考えるきっかけになってくれー!」そう思って、なりふり構わず、自分が出来ることに取り組んでいたことに気が付きました。

実際に碑巡りをして、サークルのメンバーの表情が変わっていく様子を見たり、本を読んでみた感想を聞いたり、短冊に書かれた平和への想いを読んだり…。
別に自分に返ってこなくても、そんな様子が伺えただけで満足でした。
もちろん自分への感謝があった時はより嬉しかったです。

この経験から、かかわった人が何かしらの気づきや関心を持ってもらえることが嬉しいことに気がつきました。

普通に生きてたら気が付かないであろうことを、自分の行動を通じて知ってもらう。もちろん押し付けるわけではないですが、何かしら感じ取ってくれたら嬉しいですよね。

エネルギーまで無理に与えてた

なりふり構わずやれるだけの時間や心に余裕があった時はよかったです。
今は毎日やりたいことを全部やるだけの時間もなければ、仕事で疲れて余裕がない時もあります。そんな時は自分に自信がもてないから、代わりに「凄い!」とか周りに言ってもらって「自分には価値があるんだ」と思いたいが故に、見返りを求めてエネルギーを無理に注いで気づきを与えようとしている自分に気が付きました。

「こんだけ頑張ってるんだから認めてくれよ!」、一緒に活動する仲間ができたときに「大変な中俺はやってんだから、お前だって同じくらい頑張れよ」と押し付けたりしてしまっていましたね。

無理して行動して人に認めてもらいたくなってしまい、さらにまた無理してまで行動する。
負のループにいつの間にかはまってしまうから、好きなことが人から認めてもらうためのものにすり変わってしまっていたなーと気が付きました。

気づきを与えるイメージ

「今までの気づきの与え方のイメージはどんな感じ?」と聞かれ、そんなこと考えたことなかったなと思い、上手くいってた平和活動の時は「豆まき」みたいにオリャーっと若さを武器に力任せにばらまいている感じでしたね笑
今はそこまで余力もないというか、学生時代のようにはできません。

「これが未来にどうなってたらいいと思う?」
そう聞かれて「広々とした花畑で水を撒くようにサーっと気づきを与えられたらいいな!」なんて思いました。
我ながらオラオラ系から急にメルヘンチックになったなと笑

ただ、自然には見返りを求めることはありませんし、遠くの人に自分の気づきを知ってもらうために無理にぶん投げる必要もありません。
手の届く範囲で、自分の気づきを水のように撒いて、何かキレイなものが育ってくれたらいいなと思います。
一緒に頑張る仲間ができたら、その人が花を育てている様子を見て、「自分も自分なりのペースで育てていくかー」と刺激をもらいたいですね(^^♪
花を育てることに競争なんてありませんから。お互いに育ったものを見て、「綺麗だねー」なんて笑い合いたいです。

コーチング中は気づきませんでしたが、記事を書いていて改めて思ったのは、上手くいってない時の与えるイメージは「お金の貸し借り」みたいだったなと思いました。「あなたにこれだけあげるから、大変な時利息つけて返して!」、「これだけしてもらったから、自分しんどいけど無理に利息付けて返す」みたいな。
そう考えていたら、相手に勝手に見返りを期待してイライラする気持ちも腑に落ちますし、大変な時でも自己犠牲をしてしまう感覚もうなずけます。

終わりに

なんか報われないとか、人に評価してもらいたいという気持ちが出てくることが今後もあるでしょう。すぐに切り替えるのは難しいですが、そんな時は同じ「気づきの与え方」でもばらまき方が違うことを意識して、お金の貸し借りでも力任せでもなく、疲れない程度に楽しいとか好きと思える範囲でゆるーく花に水を撒くようにやっていきたいです。

今回このような発見に出会えるように、自分に寄り添ってくれた順子さん、本当にありがとうございました!
僕もまずは自分に寄り添うことができるようになったら、無理ない範囲でできるようになりたいと思いました。

今後もたくさん学びや気づきと出会える現変が楽しみで仕方ありません!
見返りを求めないよう、パーッと水を撒くように、noteで気づきも発信していくので、何かいい意味で引っかかる部分があったら嬉しいです(^^)/



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