Re: KEIHINさん、そして他の人々へ

フェスのジェンダーバランスというテーマ

ひょんな事で旧知の人間に絡んで、「フェスティバルのジェンダーバランス」というテーマで起きている一連のツイートを見て、様々な意見を見ていたら、僕にとってのきっかけになった方にまた別の旧知の人間が絡んでいたのでそこからリプをすることに。

返答があまりに長くなるので、ここにまとめることにした。僕がこれからリプを書くのは彼の以下の僕の意見に対する、一連のツイートに対して。(ツイートのリプに連投が続いています)

以下、リプ。

最初にスタンスから。

まず、結論から言うと僕は機会の平等を男女に限らず色んな人に対してオープンにすることは重要と考えています。
ただし、機会の平等と、数の平等は違うと考えています。
それを踏まえてください。

僕とRuss、そしてラビリンスの関係と歴史。

さて、長くなってしまうのですが僕とラスの関係、そしてラビリンスとの関係や思いを書いていきます。どうも歴史が経ったせいか、色んな人のラビリンスに対しての考え、前提としているスタンスや思っているシーンが僕らと違うようなので、前提として理解してもらいたいと思っています。

ラスに対して、個人的には好きか嫌いかで言えば別に好きじゃないのですが、彼と僕はなぜか縁遠いわけでもありません。彼はなぜか僕の実家から徒歩30秒ほどのところに住んでいますし(ただの偶然)、なにせかつてはライバルとされたフェスティバルを僕もやっていました。20年ほど前の話で、ラビリンス極初期の話です。そして、自分もDJとしてラビリンスに出演したこともあります。確か2004年だったか? 今でもフライヤーは持っています。

彼と最初にどこであったかは覚えていませんが、彼が初めてやったフェスティバルは僕もよく覚えています。とはいえ、同じ週末に僕たちも野外をやっていたので、行ったわけではありません。そういえばうちのパーティーでDJしてもらったこともあったような? 彼はもともとうちのパーティーのお客さんでした。

で、なんで同じ週末に野外をやっているのか? なんですが、ここは細かくはよく覚えていないのですが、少なくとも僕たちが呼んだアーティストであるSonkite(aka Minilogue)を彼らも同じ週末にブッキングしたからです。

この辺は、ブッキング周りのシステムが発展した今とは違い当時は直接話して話をつけるような状況。かつ、僕らとしてはアーティストにもイベントを楽しんでもらいたかったのでできればいてほしかったのですが、それに千葉>長野県和田峠と、割と結構な移動をマネージしなければならないという面倒。金銭面をどうしたかは忘れましたが、もともとうちが初めに呼んだアーティストを、横からしかも同じ週末に呼ぶという、仁義破りの行動をされて、うちのチームは憤っていたのを覚えています。

もちろん、エクスクルーシブでもないし、メールでの口約束が主な時代で、契約なんて無いのですが、当時はそういった仁義のようなものがありました。まぁ、もう20年以上前の牧歌的なパーティーの時代です。よっぽどの人気アーティストならまだしも、そんな移動をすることはめったにありませんでした。そして、今では信じられないですが、Sonkiteもまだそんな人気があったわけではありません。むしろ無名。だからそんなダブルブッキングするようなものではなかった。

この行動もそうなのですが、もともと彼はいわゆる「業界」的な動きとはかなり異にする存在でした。うちも別にそういう感じではなかったのですが、やはりある程度の「仁義」は通すべきとは考えていました。
彼は、黒船じゃないけどまぁアメリカンなスタイルで関係ないと思っていたのでしょうか、そういうところからは外れて、自分の道を突き進んでいたので、文句を言う人はいました。このスタンスはある意味今も続いていますね。

そもそも僕らも彼らも、どんなジャンルのイベントを行っていたのか?
これはトランスです。シーンで言えばサイケデリックトランス、ヒッピーカルチャーのカテゴリーですが、その中でも僕たちはお互い「プログレッシブトランス」と呼ばれるジャンルで、いわゆるド派手なサイケトランス王道よりは落ち着いた音で、トランスにテクノやハウスの要素を持ち込んだサウンドでした。なので、当時の王道とは違います。この「プログレッシブ」であるところの「進化」が、のちまで続き今のラビリンスがあるわけです。

僕はもう最後にラビリンスに行ったのは確か2005年なので、今多くの人が知る「ラビリンス」というイベントとは別のものになっていると確信します。僕は2006年辺りからずっとベルリンに住んでいるので、その後のラビリンスのことは伝え聞いたりしているものでしか知りません。

だけども、その上でラビリンスの根っこはここにあると思っていて、結局はヒッピーカルチャーの文化の流れの「フェス」なわけです。(個人的に「フェス」というワードは好きではないので、あまり使いませんがここはあえて)

さて、僕らも野外だけでなく室内でもイベントをやるわけですが(LBは年イチ野外だけ)、今では考えられないですが、当時の「クラブ、ハコ業界」のトランスシーンに対する冷遇はよく覚えています。同じようなサウンドなのに、入れてくれない。ハコ貸しになるとものすごい100%料金をふっかけてくる。だからこそ、僕らだけでなくトランスシーンのパーティーたちは、もともと「クラブでやってるのが面白くないから、自分らでもっと良いシステムを入れて、自由にできるパーティーをしよう」というところから始まって、非クラブの場所をどんどん開拓していきました。当時は毎週1000人以上入るイベントを各オーガナイザーが入れ替わり色んな場所でやっていたのを覚えています。もちろん、いわゆるクラブ的な場所も会場にはあるのですが、いまも続く、東京の「ダンスミュージックシーン本流」のクラブからは少し外れてました。それがどこかはどうでもいいので言いませんが想像におまかせします。まぁ、ラビリンスもこの系統のシーンから始まっているということです。

ラス個人、そしてラビリンスに対しての思い。

そんな感じなので、僕はラスと会ったら多分話はしますが、好きか嫌いかで真ん中ニュートラルで5段階評価したら、嫌い寄りの4です(笑) 嫌い、まぁまぁ嫌い、どちらでもない、まぁまぁ好き、好きの5段階でまぁまぁ嫌い。

個人的にも頑固な人だし、多分趣味も合わないし、それこそこういう深い話をすると反りが合わないので延々と結論が出ずにプチ喧嘩になると思います(笑)

そんなだから、別に僕は彼個人を知っていて仲がいいので擁護というかサポートしているわけではありません。むしろ相変わらずやなと思って呆れてもいますが、それでも突き通す彼の意地はすごいなとも尊敬します。

ただ、同じ時期にライバルとしてパーティーをやっていた者同士として、あの意地を最後まで貫き通しファイナンス的にも自分(達)の資金だけでバックし、そして世界に評されるレベルのフェスティバルにまで、昇華させたことは、ただただ単純にリスペクトしています。

正直、一時期までは「けっ、どーなんだよ?」みたいにひねくれていた部分もありました。これは認めます。だけど、あそこまでやり通したのはすごい。これに対しては僕も最後はただただリスペクトしています。普通やれることじゃない。ラビリンスは、本当に、彼個人の哲学というか、フィロソフィーを細部にまで貫き通し、浸透させたフェスティバルだと思いますし、そんなところが評価されているのでしょう。評価されているフェスティバルは世界に色々ありますが、そんなフェスティバルはなかなかありません。ましてやラビリンスはそういうやり方やスタンスを持っても「唯一無二」なのでしょう。悔しいが、そこは認めています。

ただ、ラビリンスのテイストを、僕が好きか? というと、別に全然好きじゃありません(笑) 個人的な趣味になりますが、音も暗いし、低音出過ぎだし、そもそもロー箱推奨より数置きすぎ、毎回毎回ティピなのはアイコンでまぁいいけど、宗教っぽいし、そしてこれは薄々感じてて、今回反対意見に付随してちらほら見ましたが客はなんか選民意識でてきてるし。

そもそも彼のDJネーム、Monkってなんだよ、修行僧かよ(笑)とまぁ、そういう感じで、楽しくやるのがモットーの僕のパーティー感とはまったく相容れません。まぁそれも彼の自由ですしそれは尊重しますが、僕はそう思うってことです。これも自由。まぁ、やっぱ宗教なんでしょうね(笑)

なので、今回の騒ぎでここ10年の評価の流れに区切りというか流れが変わったというか、まぁ諸行無常であるなぁ…という思いです。
めちゃくちゃ意地悪くブーストして言えば、「ギャーッハッハ、クソ頑固な意地ばっか貫き通してっからそういう目に合うんだよォォォ!」みたいに、ジョジョのモブキャラみたいになりますが、まぁ、大人だからそんなことは言いませんし、本気で思ってもないですが、心のどこかにそういう僕がいるのも事実です。まぁ人間ですからね。
だけど、彼、人気が上がってつけあがって傲慢になっているわけではなくて、ここまで読んでいただけたら、もともとそういうやつ だというのは理解していただけるかと思います。パーソナルでは知りませんが、少なくともラビリンスに関してはダイアモンドのように頑固です。

返信にはいります。

前置きがめちゃめちゃ長くなってしまって申し訳ないのですが、僕たちのいた場所、シーン、そして事の起こり、その上での僕の彼らに対する気持ちは理解していただけたかと思います。これからKEIHINさんへのリプに入ります。

パーティーの自由、意見の自由。

まずこれに対して。
もちろん、公共性はあると思いますし意見を言う自由もあると思います。それはその通り。それを統制し始めたら思想パーティーですし、そんなのは僕も認めません。

なので、これに関してもその通りなのですが、KEIHINさんも言うように

主催側が意見を聞くかどうかは兎も角、少なくとも意見を言うのは自由な筈です

は、確かにそう。僕もそう思いますね。ただ、聞かないからって過激な方法取るのがいいとも思えません。トーンポリシングに対しては、後で別に述べます。

"我々の"シーン? 誰のため?

ここからだんだん本題に入りますね。ここで一つだけ気になったポイントが。

これは“我々の”シーンの問題です。

えっ? 我々? だれわれ?
前置きで書いたラスの考え方やスタンスを思い出せば理解できるかと思いますが、きっと彼はそんな事考えてないです。それがいいか悪いかは別として、絶対にそんなこと思ってないと思いますね。良くも悪くも、自分のことしか考えてないやつです。まぁ、彼なりの考えで、シーン、というか世界に対して関わっていると思いますが、ここはすごい違和感です。

もし違ったら申し訳ないなのですが、あなた方、こうやって"我々の"場所にして、無理やりラビリンスをカテゴライズしてないですか?  多分その"我々"にはラスも入ってるのかと思いますが、彼はきっとそうは思ってないです。彼の世界、シーンはあくまでも、"ラビリンス"なので。

僕からするとこのスタンスはこう見えます。
ラスは、ジャンルもシーンも飛び越えてただただ自分で好きなものを追求しているんです。既存にいる人からすれば、「なんだコイツ」になるのですが、実際僕も過去そうでしたし、だけど彼はそこを突き抜けて自分の"ラビリンス" という唯一無二の評価を受けて作り上げてきた、いわば"ラビリンス"というシーンを作り上げてきたと思うのですが、それを"我々のシーンである" とは少し乱暴というか、上から目線ではないですかね? ただまぁ、もちろん彼のスタンスも頑固かつ譲らないものでもあるので、逆から("あなた方")見たら、いきなり入ってきた彼もまたある意味乱暴でもあると思います。だけどまぁいろんな形で彼の作ってきたものを享受してきて、何かあったら「これは我々のシーンの問題である」はいささか乱暴かと思います。

慇懃無礼なのはまぁ置いといて、
「あなた方の"シーン" はよく知りませんが、素晴らしいみたいですね」
「だけど、"我々のシーン"は、違います」

と。

えっ…なんですかその選民思想というか、区別…

僕もKojiroも、そしてラスも、もともといた場所は同じです。根っこは同じ「シーン」からの出身です。だけど「ジャンル」の垣根は超えてきました。だからラビリンスは、トランスをやっていたけども、今はヒプノなテクノや実験的な音をやって、ウケているわけです。
で、まぁ初期は「元トランス好きで、好みが段々とディープになっていった層」にウケていたところから、徐々にテクノ好きにも認知されてきたわけです。

では、ラビリンスの"シーン"はどこになるんだろう? 僕は少なくともあなた方の"シーン"ではないと思いますね。なのでそれを無理やり囲って"我々のシーン"という言い方をするのは、酷く違和感を覚えます。

そもそも、この問題は別に"我々のシーン" 特有の問題でもないですので…

僕個人は、"我々の"とか"あなた方の" みたいな区別はしないで、この問題は、音楽業界、特に今回の場合はクラブミュージック業界の問題ではあるとは捉えますけども。"シーン" の指すところが業界であるならば、ジャンル分けしないで欲しいですね。KEIHINさんのいう"我々のシーン" はあからさまにジャンル分けされているのは明白です。僕とかKojiroは"あなた方のシーン"なのですから。ま、実はラスもそこにも足突っ込んでるんですけどね。まぁ、同じ問題を同じ業界で論ずるものとして、疎外感を覚えました。これは過去の、"僕たちのシーン"に対するクラブ業界からの冷遇 にも根っこは繋がる話だと思っています。

女性DJの進出について

世の中の全体の流れ、男性中心社会のバランスを直していこう、まぁこの辺は同意です。問題は手段ですね。

まぁそうですねぇ。

あ、ここなんですが、僕は一言も「女性はテクノロジーに疎い」だなんて言ってませんよ? 思い込みで暴走していると思いますので、訂正させていただきます。
KEIHINさんの仰るとおり、男女ともに数は昔に比べて増えましたし、敷居が低くなった分、女性が入りやすくなったのも事実ですし、その結果、活動、活躍する女性アーティストが増えているのは間違いありません。
社会の流れももちろんあると思います。もちろん男性も敷居が下がった分、増えているのは確実だと思いますよ。
別にそれ自体はいいことではないですかね。

問題を、社会的に解決する手段とは?

さて、本題の本題に入ってきましたね。
ジェンダーバランスに関心を払っていないのが残念。
まぁ、わかります。あなたもあなたなりの思い入れがあって…

なのに! なんで! これをやってくれない!!!!もっと良くなるのに…!

ぜーんぜん別のことで同じ土俵で語る問題でもないのですが、さきほど僕のラビリンス評で書いたように基本的に僕も「ファン」ではないですので、「もっとこうしろよ」「こんなんしてんじゃねーよ」みたいなのはあります。ジェンダー問題と比べるレベルじゃないですが。

でも、僕は彼にそれを強要はしないですよ。
まぁ、ホントの事言うと過去に「ロー箱多すぎだよ」とか直に言ったことがある気がします。だけど彼はまったく意に介さないんですよ。なぜなら彼は「ラビリンス」という世界を作ることにしか執着していないからです。ちょっと違うけど、ある意味スティーブ・ジョブズみたいなもんだと思ってます。

かなり余談になりますが、ラビリンスのシンボルと化しているFunktione-Oneですが、僕の知り合いでうちのPAをやっていただいていたTRY AUDIOの東さんという方がいます。フジのホワイトステージもやっている方で、F1の日本の総代理店です。日本のF1はすべて彼の手を経て入っています。ちなみに、日本でクラブミュージックで一番初めにF1を使ったのはうちのパーティーです(プチ自慢)。

ラビリンスも、F1を使いたい!ってなったときに、まずは東さんに伺いを立てました。しかし、彼はこれを断りました。なぜなら彼のオーダーが現実に即してないというか、PA的に間違ってると東さんは思ったから 、やらないと断られました。なので彼らは結局ひとつ下の別のPA会社から、高くてもオーダーを聞いてくれるところに頼みました。

このエピソードは彼の頑固さをよく表していると思います。フジロックでやってるバリバリのプロのPA屋さんですよ? それにノーを言ってまで彼は「ラビリンス」という世界に囚われているのです。出口を探しているのはほかならぬ彼かもしれませんね。

脱線しました。
僕が言いたかったことは、皆さんに世の中を良くしようと思う熱い気持ちや、解決する問題があるということを伝えたい気持ちはよーーーーく理解できますし、理解しています。実際、そうあるべきとも思います。

が、そこに行くまでの取るべき道。これが違うと思う点です。

シンプルに言えば、なんというか、もっとピースに出来ないのかな?と思っています。
多分、これを言うと、トーンポリシングだ! となって、今まで優しく、平和的な手段で言って問題が解決しましたか?となるのでしょうが、僕のスタンスは、それで解決しなかったとしても、解決するまでやり続けるしか無い のかなと思っています。過激な手段を取れば、注目を浴びますし、問題提起にもなるのは事実です。だけど同時に、それに対するアンチというかヘイトも生まれます。人間、素直に聞きたくないですからね。それっていいことなのかな?

速く解決することも、もちろん重要かと思います。だけど、解決しないから過激な手段を取る、という手法は我慢が足りないと思いますし、過去に暴力革命手段を標榜して世界を恐怖に陥れた過激派左翼と根っこは一緒ではないかなと思います。

僕は、ここは20年以上自分の信念を貫き通し、そして世界の評価を変えたラスに敬意を評して、何か自分が信念があって、変えたいという問題があるのなら、伝え続けるしか無いのではないか?と思っています。

例えばですが、今回の件、元のところはちゃんと知らないのですが、HARUKAさんがラインナップのジェンダーバランスに抗議する形でボイコットしたのが始まりと認識しています。
声を上げることはいいことだと思います。彼のポリシーがあってそうしたんでしょうし、それを選択した彼の行動は尊重しますので否定するものではありません。彼の選択です。

だけど、出演してから、例えば終わってから、セットの感想や出番に対する感謝など述べると思いますが、そのときに問題提起しても良かったのでは?と思います。彼の影響力+ラビリンスの話題性で、炎上手段ほどの拡散はないかもしれないですが、かなりの影響を与えると思ってます。その手段ならかなり苦言を呈する感じで言ってもいいのではないでしょうか? 効果あると思います。

そういう方法じゃ、ダメなんですかね?

それじゃ世の中は変わらないから、過激な手段で変えていくしか無い! 何でしょうか? うーん、過激派ですね。

今回の件で言えば、いつの時点だかは知りませんが、ブッキングを自分の都合で無理やりナシにしたわけです。想像するに、今後これが当パーティーで改善されるまでは出ない、と。まぁ、今後改善することがあってももう声はかけないと思いますし、ラスのことだからわからないですが、普通はそうです。残念です。Harukaさんの方も痛手を負っている。そうまでしても伝えたい彼のポリシーなのかもしれませんが、みんな幸せじゃない方法なんですよね。

その裏では抑圧されている人がいるから、そのままでも幸せじゃない! となるのかもしれませんが、他にも皆が幸せに目的を達成できる方向に行く道筋はあるはずです。

僕は、選ぶならそういう道でなにか問題を解決したいと思っていて、同じ理由で環境過激派などもまったく支持しません。主張の内容に賛同できてもです。

機会の平等と、数の平等について

ここで、このテーマを話していて、一つ皆さんとズレているポイントがあるな、と感じます。見出しに書いたように、機会の平等と、数の平等です。

みなさんが主張するのは、

世の中の男女比率はほぼ半々であり、であるからDJやアーティストのブッキングバランスも、ひいては世の中の職業でもそうあるべき。

ということかと思います。これに関して僕は、素直にそうは思いません。
ただ、機会は平等であるべき、と思います。

たとえ話をします。少し前に、日本の医大受験で、女子受験生は不当に点数を下げられていたりし、機会を逸失させられていました。つまり男性に下駄を履かせて、女性に下駄を脱がせて、チャレンジさせられていたわけです。
これはナシです。機会が平等じゃないですから

僕が住んでいるドイツでは、いまはもう完全に女医、または女医学生の方が多く、病院に行っても思いますし、実際医学生をやっている知り合いは「君らの将来の上司はほとんどが女医だろうね〜」と教授に言われているそうです。

女医学生7割、女医で5.5割ほどだそうで、更に男性医は医者やめて製薬やコンサルに行く人もいるそうなので、そして多くの古参開業医は男性がほとんどなので、今後女医が増えていくのは確実です。

これは、単純に女性の方が試験などに対する能力が高かった結果です。これは、機会の平等なので、そのままにすべきかと思います。ここは日本でも議論されていますが、長時間勤務が常態化している日本の医療界では確かに女性が増えると問題があるのかもしれません。体力的、出産や結婚などによるキャリアの休場など。

じゃあドイツはそういう問題をどうしてるのかって言うと、そもそもドイツの医療界は長時間勤務が常態化していません。みんな休暇は2-3週間取ります。どうやってるんだろう? 単純な話、ユーザー側にしわ寄せが言ってるだけです。ドイツの医療は質は高いですが、正直日本ではありえないような状態が当たり前です。例えば、予約をしたら速くて1ヶ月後とか、ひどいと半年後なんて話も普通にあります。要は人数的に足りてないんですが、これで良しとして、働く側の人権を担保しています。これは良いことですが、患者であるユーザーとしては割と大変なこともあります。

いつか日本もこの段階を経て議論しないといけない時が来ると思います。

これは女医、女医じゃない、あんま関係ないことなのですが、もしかしたらこれからどんどん女医が増えてくると、もっとひどくなり考慮すべき問題なのかもしれません。女性の人生のクオリティを(一般的に)高めていくと、必然的に出産などで休場する場面が出てくるからです。

さて、ここで男性医をもっと増やすべきでしょうか? 増やすなら増やすために何をすべきでしょうか?
数を揃えるために、バランスを取るために、"機会を平等に" するために、男性に下駄を履かせてでも男性の採用を増やしますか?

実際これと同じことがアメリカの大学で行われています。アメリカの大学では、アファーマティブ・アクションと言って、少数派、いわゆるマイノリティーを優遇しています。人種間のバランスを取るためです。今まで白人が優遇されてきて有色人種にチャンスが少なく、そのため仕事にも差が出てきて、恒常的な格差の固定につながっている…

それは理解します。だけど、近年アメリカの大学にはかなりの数の優秀なアジア人が入ってきています。そのまま受験すると、アジア人は優秀かつハードに勉強してくるので(日本のお受験を想像してください)、アジア人だらけになってしまいます。ですのでアジア人は相対的に枠を減らされています下駄を脱がされているわけです。

長い目のバランスで見れば、そういった層の格差の固定につながるし、は理解しますが、反面、大学なんてものは世代ごとのもので、ほとんどの人には一回のチャンスです。その視点で制限されたら、個人としては納得行かないのは明白ですね。

しかも、アジア人はいわゆる白人のような既得権益層ではないのに、バランスのために下駄を脱がされているわけです。これは完全な逆差別であり、不利益を被っていると思います。

これって、機会は平等なんでしょうか?
アジア人は意図的に機会を減らされていませんか?

これが数の平等による弊害です。

機会の平等は、当然のこと。数は結果としてついてくる

ただし、その数に介入するのは、賛否あると思いますが、僕はどうかなと思います。ただし、機会に今まで届かなかった人への援助や積極的な機会の提供はするべきだと思います。

それは、今回の話で言えば、ブッキング枠の積極的な提供ではなく、積極的に検討対象に入れることを確約するだったり、そういう"チャンス"の提供であり、ブッキング枠という"ゴール"の提供ではないと思います。ゴールはあくまでも結果です。

その上で僕は確信していますが、ラスは、女性でも男性でもどっちでもいいのだろうと思います。結局、彼は彼の考える"ラビリンス"を作れる女性アーティストがいれば、こんな話がなくても、迷わずブッキングするはずです。いままでの話から彼の性格を見ればわかりますね。

僕へのリプじゃないですがこの部分に対して。

個人的に最近良いなと思ったDJが殆ど女性なので違和感

違和感があったのはわかりましたが、それはKEIHINさんの感想ですよね?
単純な話、彼も女性アーティストの音を聞いていないわけではないと思いますが、ただ彼のお眼鏡にかなう人がいなかったって話です。シンプルにいえば趣味じゃなかったと。趣味でやってるパーティーなので、趣味に合わなかったら呼びたくないですよね。それでも社会正義のために、彼は貢献すべきなんでしょうか!? "シーン"に対する影響力がデカいから?彼がクソくらえだと言っている部分は、きっとこの部分です。

もし、ラスが、「女性の作る音とか、俺の趣味じゃないし、聞く価値もないから聞かない」 といっているのなら、僕もKEIHINさんを支持します。それはありえない言動です。それは機会の搾取に他ならないからです。でも彼はそんなこと言ってないし、女性の音も聞いてると思います。というか僕もそうなのですが、聞くときに女性かどうかで音聞かないです。どうでもいい事ですねこれは。

なのできっとラスも検討の段階での機会の平等は提供しているのだと思います。彼なりに。ただ、彼のポリシーとして、絶対的なイメージが有る神聖なラインナップを、純粋に自分が考えたクオリティを曲げてまでするべきではない、ってきっと考えています。ラビリンスが宗教っぽいって感じる部分の一部でもありますね。でも、そういうパーティーなんで…きっと、曲げちゃったらもうラビリンスじゃないんですね。なのでやる意味はもう彼にはなくなるんだと思います。

自分で金出してやれ、について

KEIHINさんもパーティーをやって赤字が出たり、そういう経験をしてきたのだろうと、それは言われなくてもわかっていました。そういう部分では、感覚を共有できていると思っています。もちろん、Harukaさんたちを始めとしてみんないろいろな自分のパーティーを作り上げてきて、赤字を出してしまったり、そういう経験があるのは重々に理解しています。もちろん、僕もそうです。

だけど、上から目線するわけではないのですが、僕も彼と同じ規模のイベントを過去にやっていた経験上、どれくらいの金銭が流れて、どれくらいのリスクを彼が背負っているかは、僕はよく理解しています。ラビリンスは今は、売れば全部売り切れるのでリスクはフリーとしても、それでも天災や不測の事態による損失などのリスクはあります。

ざっくり千万規模の金が流れる訳ですが、僕は過去に、キャッシュで当日券で1千万近くあった現金が次週に支払いで全部消えたり、一晩で1200万円の赤字を出したりした経験もあります。これは4人で割りましたが、それでも300万円です。20年前くらいの話なので、当日券の比率が多く、現金のやり取りが多かった時代の話です。

こういう経験を持つので、彼が自分の資産で、どれくらいヒリヒリした感覚でイベントを行っているか。これについてはよく理解できます。

大変失礼ですが、KEIHINさんはそこまで想像できていましたか?

いわば一千万円を自分の趣味全開で、バクチに突っ込むリスクです。この部分も僕がラスをリスペクトする部分でもあります。

わかってないんだからお前は口出すなよ、とは言いません
でも、そういう感覚を理解してあげてください。

余談ですが、このおかげで僕は日本を離れてベルリンに来てもしばらく、自分だけでパーティーを打つ気が無くなりました。このリスクに対する恐怖心のせいです。今はそんな事ないですが…

彼等も仲間と捉え、我々のシーンがより良くなる様に呼びかけるのもいけない事なのでしょうか?

もちろん、彼を仲間として受け入れてあげて(彼がどう思ってるかは知りませんが)、意見を言うことも大事だと思います。もちろん、いけないことだなんて思いません。だけど、さっきも言ったようにこれには言い方ややり方があったのではないでしょうか?まぁ、彼もあのように頑固な人間なので、彼に問題があることも同意しますが。

自分で金だしてやればいいじゃん、の真意は、皆さん理想とする社会正義があり、そうあるべきである、と思うポリシーがあり、それが今の時代、絶対正義であり、支持も受ける。と信じるのであれば、それを突き詰めたパーティーを、あなた方皆さんでやればいいのではないでしょうか? 

少なくともラスは、20年前からそれを頑固に、赤字が出てもやり続けて、突き通して世界の評価を変えたんです。

ブッキングをボイコットしたり、過激な言動で煽ったりするよりは、よっぽど建設的だと思いますし、結果的には、成功すればそのほうが社会に対してより良い影響を与えられると思います。そして、僕も含めて、ラビリンスの周りでパーティーを打っていた人間もいろいろな理由で去りましたが、ラビリンスのポリシーが時代に合わなくなれば、最後は彼がポリシーを変えるか、もしくは淘汰されていくのではないでしょうか?

現実難しいのはわかります。だけど、彼はそれと似たようなことをやって達成したんですよ。信じるものがあれば、不可能ではないと思います。自分の土俵で、自分の信じるものを貫けばいいのではないでしょうか? 人の土俵に来て「お前んとこのこれは社会正義的におかしいから修正すべき」とか、意見を言うのはいいけど過激に言うことですかね?

これが、そう思うのなら自分でお金出してやればいいじゃん。っていうことに対する真意です。もしそのように実現したら大変嬉しく思いますし、心から応援します。何年かかるかわかりませんが、それをやり遂げたらあの頑固なラスでさえも変わるかもしれません。僕が最終的にラビリンスを認めたように。

最後に

めちゃくちゃ長くなってしまって申し訳ありません。でも、前提とするラビリンスの歴史や僕たちのやってきたことは、理解してもらう前提として外せないことだったので、あえて書かせていただきましたし、書いていて「みんなこういう事知らないんじゃないか、もう20年も経つし、誰かが忘備録じゃないけど歴史として、皆の目に届くところに書き留めるのもアリではないか?」と思ったので、あえて色々関係ない話も書かせていただきました。

これにより色んな人が読んでくれて議論が活発になれば幸いですし、僕の意見が理解していただければ幸いです。

もちろん、個々の意見に相違はあるでしょう。僕がいっていることが全て正しいとも思わないので、異論を言っていただいて全然構いません。

そして最終的にまったく全員が同じ意見にはならないでしょう。世の中そういうものだからです。逆にそのほうが気持ち悪いですね。

でも、僕は"多様性"を重視するものとして、意見は尊重しますけど排除はしたくないです。なので相手のことを「お前は、無い。」なんて言って否定したくないです。

最後に、僕は自分のパーティーにポリティクスを持ち込みたくないです。それが僕の考える"インクルージョン"だからです。もちろん、一定のルールはポリシーは必要です。なので例えば差別的言動を起こす人や問題行動を起こす人は排除されるべきと考えます。それさえ守ってくれれば左翼でも右翼でも、極左でも極右でも、トランプ支持者でもバイデン支持者でも、自民党支持者でも野党支持者でも、ワクチン推進派でも反ワクチンでも、親ロ派でも親ウクライナ派でも、自由に遊んでもらいたいと思っています。

それに対して、なにか意見がある人が言うのは自由ですが、矯正させようとしたり、過激な行動に出るのならば、その主張を僕らが受け入れるかどうかは、あくまでも僕らの自由にあると考えますし、意見を聞く入り口は作りますが、そこから入ってきて何かを(彼らが)変える自由は与えません。

ツイッターでは、僕も口が悪いですし熱くなりがちなので、どうしても煽るような言動になりがちです。反省もしていますが、あえてこうやってNoteで書くことにより自分の中の考えにも整理が付きましたし、また考える機会にもなりました。

長くなりましたが、まだいいきれていない部分もあるかもしれませんがおおよそ以上です。

ありがとうございました。

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