ホタルノヒカリ
1人落ち込んだりキレたりしてる内容が続いたので、少しラフな話を。
5月頭くらいから、ナメクジが部屋によく出没します。住み始めて1年と少しがたった川沿いのアパート。コンスタントに2,3匹、多い時で4匹も毎日現れるので、全盛期のイチローかなと思いながら、ティッシュで掴んでは窓からぶん投げる日々を送っています。
去年のこの時季に部屋ではじめてこの軟体動物を見た時、気持ち悪い、より、懐かしいなお前、が勝ちました。ナメクジってあんま見なくないですか?地域差?僕はナメクジを最後に"それ"として認識したのは小学生の頃だったと思います。以降、出逢っていたかもしれませんが、認識していなかった。
ですから自分1人の空間で、シンクに彼が現れた際、まじまじと観察してしまいました。つの2本かと思ってたらもう2本ついてるぞ、とか、これどうやって進んでるの?とか、こいつほっそいな、とか。その都度調べたり、たまに塩をかけてみたり。大人になって改めて「ナメクジ」と向き合う時間が発生したのです。
来週末に主催する読書会に向けて、課題本を読んでいます。今回のテーマは「ノルウェイの森」。人生初村上春樹です。読み進めていると文中に蛍が登場しました。いえ、正しく引用するなら「螢」ですかね。
蛍。蛍もまた、ナメクジ同様、小学生をすぎてから存在すら忘れていた生物です。絵や写真、メロディに登場することはあっても、長らく記号としてのみ処理されていた昆虫。
10歳くらいのころ、親に連れられて何度か蛍が綺麗なスポットに行ったことがあります。地元の名所となっているところから、山のふもとに住んでいた"はとこ"の家の川沿いまで。夜中に連れ出され山奥まで行き、光る虫を見る。その良さが全く分からなかった僕は、たいてい弟やサッカー少年だったはとこの兄ちゃんと鬼ごっこをして時間を潰していました。小さな光を見て大人たちが満足するまで、舗装されてないでこぼこ道を駆けまわります。飛びまわる蛍の記憶はぼんやりと…。
読書中、蛍が登場したのを見て、ふとそんな昔を思い出しました。そして、「誰かを連れて蛍を見にいきたい」と考えた自分にとても驚きました。蛍を綺麗と感じる心になっていたこと。いつだって1人で行動していた自分が「誰かを連れて」と考えたこと。蛍の光を忘れていただけの時間が、体の中にしっかりと流れていることを自覚します。興味もないのに連れていかれたあの体験を今になって思い出した自分がいるように、連れ出した誰かの古い記憶になれたらいいな、とか。
このあいだ、家族LINEに「はとこの兄ちゃんがパパになった!」という母の報告があがりました。赤ちゃんと奥さんと一緒の写真つきで。1つ年上だった彼は、写真を見ると身長はもちろん体格がよりがっちりとし、とても立派な大人の姿になっていました。窓縁にも雪の積もる地元新潟の電気会社に勤め、父の職場も担当しているそうです。時間は僕だけでなく誰にとっても正確に流れ続けています。今年の夏は蛍、見にいこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?