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忘れられない先生

最初に断っておくと、強烈なインパクトを持つエピソードはなにもない。ただ、このお題で考えたときに、心に浮かぶ先生がいる。

その先生は、井坂先生といって、私が小学6年生だったときの担任の先生だった。

眼鏡をかけて、髪が少しぺったりした感じの中年の男の先生だった。当時小6だった私にはそんな風に見えていたのだけど、もしかしたら今の私より断然若かったかもしれない。

口元の表情がユニークな人で、生徒から質問されてちょっと考えるときなど、口を歪ませながら、「そやねえ~~。」と語尾を伸ばすのがクセだった。

なんとなく愛嬌のある先生が、私は好きだった。先生も、私に目をかけてくれていたように思う。覚えているのは、夏休みの読書感想文では、先生に文字数を少し増やすように言われ、書き直したうえでクラス代表に選んでもらったこと。自分の力でやったことに、少しアドバイスをくれて、もっといいものにするのをさりげなく手伝ってくれた。

だが、私の描いた水彩画がクラスの代表に選ばれたときは、自分でも驚いた。私は、自他ともに認めるほど絵が苦手だったし、学校生活の中で、絵で褒められたり、なにかに選ばれた経験は、後にも先にもこの一度きりである。

クラスの友達の中には、先生が私を贔屓している、という子がいた。私もそうかもしれないと思った。その絵は、友達が顕微鏡を覗いているところを描いたもので、顕微鏡にかけた右手が、ゴムゴムの実を食べた後遺症かと思うくらい不自然に長くて、見る人に(描いた本人にも)ちょっと歪な印象を与えた。

贔屓されて選ばれたのだとしたら、不本意だ。子どもながらに、そんな気持ちになった。私は、どうして私の絵が選ばれたのか、先生に聞いてみた。すると、先生は、なんでもないことみたいにさらりと、こう言った。

いや、このぐー---っと伸びた手がええんや。」

私もあっさり納得してしまって、「そうなんや、絵ではこういう変な感じが褒められるんや」と思った記憶がある。

いまとなっては、あれが贔屓だったかどうかはどちらでもよくて、井坂先生が、私の背中をいつもそっと押してくれていたことへの感謝の気持ちが、淡い思い出とともにじわりと心に滲みる。

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