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談志と枝雀

談志の落語を聴いていて、思い出した、自分ですら、忘れていたので、去られると哀しいので書いておく
今をときめく笑点ってのは、確か立川談志の発案で談志が初代司会をやって、その後、前田武彦が二代目で、あまりに政治的発言して降板、そしててんぷくトリオの三波伸介が司会になってブレークした
ここら辺の歴史は、尊敬する方に教わった、ありがたい

何でも二代目、三代目が勝負なのだなぁと思う、後は、その付録の様なものでもあり、ステップ、ジャンプする時もある

どうしても二代目は、先代そっくりになってしまう事がある、哀しいけど、マネを自然としてしまう事もあるし、反発していてもそうなってしまうこともある

大阪に泊まりがけの出張のおり、夜一人だったので、寄席に入った、天満天神繁昌亭と云うところだった
哀しい事に、口調が全く枝雀なのだ、枝雀の事は知ってはいても、リアルに観てないし、まして全盛期の寄席を知ってる訳じゃない、亡くなって久しいのだけど、ちょっと木戸銭を返せって言いたくなった

新宿末廣亭に行った時、口調は、まあまあマシなのだけど、戸を叩く時に、手と扇子で板の間を叩くのが全く合って無い、あれ?こいつ大学の落研出身か何かで、耳だけで落語を覚えたな、何で末廣に出てるのだ、💰返せって言いたくなった

そういえば、談志のマネして毒舌らしきものでテレビか何かで飯を食ってる奴もいたなぁ

談志は、志ん朝に先を越されて毒舌が始まったし、志ん朝は、亡くなる前、名人を目指して焦ってた、先代の男前の圓楽は、笑点の司会をやってて残念なままに終わっちまった

どれもこれもおかしくなったきっかけは、東京は六代目圓生、上方は枝雀なのかなぁ

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