見出し画像

観見の目つけと高校野球

都会の強豪高と生意気に見える奴に厳しい甲子園

高校野球は、時に見るにたえないことがある、あんなに外角高めの球をストライクにされたら、その後、確信を持って見逃せない、どうしても空振りになってしまう、あれには、自分より遥かに大きい都会の強豪高の四番バッターへの劣等感の様なものを感じてしまった

昔、帝京高校と九州の公立高校の試合を見ていて、ストライクゾーンどころかアウトセーフまで酷いエコ贔屓があった
多分、審判も各県、各地方から来ていて、野球人口、審判人口とは、全く関係無いと思われる

横浜の佐野だって、ヤクルトの村上だってあんなに外をストライクにされたら、凡退しているのだ、まして都会の強豪高だって高校生だ

でも、人の世は、そんなものかも知れない、そう、理不尽なんて当たり前かも知れないけれど

どうして、理不尽だと感じると、この様に心が騒ぐのだろうか

それにしても目は、球を追いかけると、ジャッジ出来ない、ジャッジのある場所を観の目で見ているから、100k〜140kの球の動きが目に残像として残るのだ
ジャッジのある場所は、各ベースとキャッチ、ヒールだけだ、そこを観ているのだ、宮本武蔵だって、観見の目つけだ、死にたく無ければって書いている

車の運転だって、ボーっと全体を見渡していて初めて、飛び出しなど緊急事態に備えられる様になると言われているじゃないですか

ホームベースの上でジャッジしていれば、あのタイミングでストライク!右手が挙がるわけが無いでしょう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?