2022/1/25

 道玄坂。有名なクラブの裏にあるホテルで待ち合わせだった。手が冷たい。ちょっとだけ緊張している。スモークガラスに覆われた自動ドアの前には、さらに入口を覆う壁がある。ネオンの内側は地下アジトの入口のような見た目で、一度入ったらそれきり帰って来られなさそうな雰囲気を帯びていた。入り口前の壁脇をすり抜けて、扉が開いた。薄暗く、石鹸の匂いが僅かに漂う。別に悪いことをするわけでもないけれど、そんな気分になってしまって、拍動がさっきよりも強くかつ早く打っている。上ずりそうな声をかき消して、低い声でフロントに声をかけた。
 受付は阿呆らしく口を開いて、「あっ」と言うと受付横にある扉から僕を手招く。それに従って、フロントへ入る。思いのほか広い。監視カメラのモニターのほか、大仰な操作盤によく分からないファイルが並ぶ。フロントが「こちらです」と言うので、その通りにフロントを横切ってから事務所のようなところへと連れていかれた。事務所には築五十年ぐらいの家にありそうな銀色の台所、それからPCの置かれた作業用のデスク、吸い殻の入った灰皿、さらには茶の間のようなスペースがある。茶の間は畳になっていて、隅には座布団が積まれ、中央にはちゃぶ台とその上には給湯器が乗っかっていた。上の階では鼻息の荒いアベックたちがあれやこれやとやっているのだから、その下で茶を啜っているのだとしたらかなり滑稽だ。アベックたちは自らが欲望をぶつけ合っているとき、あるいは一方的にぶつけている下でちゃぶ台の上にて誰かが茶を啜っているなどゆめゆめ思わないだろう。フロントは僕に座布団を用意してから、座って待つように言った。靴を脱いでから座布団へ正座した。煙草が吸えるのは有難い。それにもっと汚い場所だと思っていたから幾分、綺麗で助かる。ところで、上にいるアベックたちはどんなことをしているのだろうか。別に声が聞こえるわけでもないので、特段、想像するための材料があるわけでもないけれど気になって仕方がない。
 ものの数分で茶色の長髪をした男性が現れた。ギャル男を連想させる。はじめまして、から始まり手短な自己紹介を済ませると、彼は僕に「配属が変わった」と伝えた。どうやらこのホテルは道玄坂にある系列店の一つで、僕は別のところで働くことになるらしい。正直、ラブホテルのフロントであればどこでも良かったので、快諾した。それから、裏口らしいところから彼とともに例の系列店へと向かい始める。道はよく覚えていない。けれど、両端はラブホテル、向かう先もラブホテル、後ろにもラブホ。つまり、ラブホによって道が作られていた。
 当のホテルへ近づくほど、渋谷駅が近づいてくる。先ほどよりもホテルの数は減って、ユニクロのほか、アダルトグッズ屋、飲み屋、ストリップ劇場などが軒を連ねる。半径百メートル以内であらゆる欲望を満たしてくれる、まさに欲望の坩堝と言うにふさわしい場所だ。そして、配属先のラブホテルへと辿り着く。ネオンが煌びやかに掲げられることはなく、小奇麗な看板に小奇麗な外装。普通のホテルと見紛うほどだ。自動ドアをすり抜け、フロントへ挨拶を軽くすると、またもやそのホテルの事務所へと案内された。

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