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社会に戻る時

仕事を辞め、肩書がなにもなくなってから随分経った。
何物でもない時間はあっという間に過ぎていく。

近所の青い柿は熟し、落下し、アスファルトの上に爆ぜていった。

なにか劇的なきっかけがあったわけでもないが、私は「そろそろ、またちゃんと働いてみるか」と考えるようになっていた。
正直、再び正社員で働く気が起こるとは思わなかったので驚きだ。

そのときの気持ちを『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹)から引用させてもらう。

さて、と僕は思った。
社会に戻るべき時だった。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(上)(講談社文庫) P41

                 *

この巨大な蟻塚のような蟻塚のような高度資本主義社会にあって仕事を見つけるのはさほど困難な作業ではない。その仕事の種類や内容について贅沢さえ言わなければ、ということだ、もちろん。

同 P43

働くと言っても、作中の「僕」のような、フリーで稼ぐような能力や伝手は私にはない。どこかの会社で働かなければいけない。求人票を眺め、私のぱっとしない職歴でも応募できそうなものは手あたり次第応募した。以前も応募はしていたが、正直、失業手当をもらうために応募しているようなものだったので、大した数は応募していなかった。

手あたり次第と言っても、あきらかに長時間勤務になりそうなところは外した。「固定残業45時間」などという労働条件だ。個人的な感覚だが、求人票に書かれている残業時間の2~3倍以上が実態だと感じている。

覚えていられないくらい応募して、書類選考を通ったものは数えられる程度だった。まあ、そんなものだろうと思っていたので失望はしなかった。いや、失望しないようにしていた。

面接に進んでも、なかなか採用はされない。不採用の通知メールが来たら、淡々とメールをゴミ箱に移していった。

                 *

再就職活動中、羊男の言葉をよく思い出していた。

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんとはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しづつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
 僕は目を上げて、また壁の上の影をしばらく見つめた。
「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」

同 P182~183

私はあまり考えず、求人に応募して、面接して・・・といったことを淡々と繰り返していった。

面接では、意図を計りかねる質問、要するに不条理な質問をたくさんされた。いや、意図はなんとなく分かる。不条理なことを訊かれての反応をみるとか、そういうことだろうと思う。くだらない。

それは、うちの会社じゃないとできないことですか? 他社でもいいんじゃないですか?

うんざりする。

うんざりすることが続いても淡々と面接を続けていった。自分のリズムを崩さないようにということだけ意識していたと思う。

                  *

再就職活動は2か月ほど続けていて、ある日、小さな会社に採用されて終了した。今の私にすればかなり良い条件だろうと思う。実態は分からないが。鬼が出るか蛇が出るか。

ということで、無職生活は唐突に終わることになった。

今はまだ働く気があるが、これがいつまで続くのかはわからない。

とりあえず今は、羊男のいうように踊り続けようと思っている。ステップを思い出し、踊り続ける。



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