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外面のいい家庭とよそよそしい家族

側から見ると、幸せを絵に描いたような家庭で育ってきたと思う。

サラリーマンの父と専業主婦の母と二人の娘。首都圏のベッドタウンの庭付き戸建てに住み、家族仲はそこそこ良好。両親ともに特に趣味はなく、貯めたお金で長期休みごとに家族旅行。誕生日、母の日、父の日、結婚記念日など節目の日は必ずプレゼントと、お花と、ケーキを買ってきて家族で簡単なお祝いをする。
傲慢かもしれないけど、きっとドラマで描かれるような幸せな家庭なんだと思う。
今日(12/23)も例に漏れず、お祝いをした。クリスマスパーティー。近所のちょっと高級なケーキ屋でブッシュドノエルを買って、サラダとお寿司とチキンを用意して、独り身のおばあちゃんをうちに呼んで、WiiUでゲーム大会なんかもやっちゃって。ケーキは美味しかったし、お寿司も食べすぎちゃったし、ゲームは優勝できたし、楽しい思い出の1ページっていう感じ。でも、卑屈な私は底知れない気持ち悪さを感じてしまう。

絵に描いた幸せをなぞるのに必死な家族。自分の要求を押し殺して、家族のために費やすことが何よりも良いとされる雰囲気。みんながみんな、「家族のために」を頑張りすぎて、何をやるにしても「私はこんなに家族のために頑張ってあげているのに、」が付きまとう。家族内の幸福が絶妙なバランスで保たれている。だからこそ、理想の家庭を少しでも逸脱してしまうと糾弾されてしまうのだ。「健康に気を使った食事を手作りするのが母親のつとめ」だと思っている母は、部屋でポテチを食べる娘を許せずゴミ箱をあさって叱るし、「休日は家族サービスをしなければならない」と思っている父は自分の好きなことをやりなよ、と言われると役立たず扱いされたと思い激怒する。

要は、家族みんなが自己犠牲を払いすぎて見返りを強く求めてしまってるのだ。上に書いたことはすごく些細だけど、これが四六時中つきまとうと息苦しさを感じてしまう。もはや一周回って家族同士がよそよそしいとすら思う。

でも、結局家族って人と人との関わり合いだからこんなもんなのだろう。結局私はこの幸せを享受して今までこの家を出ずに暮らしているし、多少の不満はあってもここまで育ててくれたことを心から感謝している。個々に好きなことができる代わりに家庭内不和でもいい?って聞かれたらそれは嫌だし。ただ少し、理想の娘像を押し付けられる息苦しさとプレッシャーに耐え難くなることがあるだけなのだ。

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