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煙草

 二十歳になってすぐ、バイトをクビになった。プロジェクトの業績不振で多くのアルバイトが解雇された。当時そこに好きな人がいて、でも7つも年上で、ものすごくモテる人で、だからこそ女性から恋愛対象として見られることを嫌悪する人だった。同い年の友達と2人で、「イケメンは遠くから見ているくらいがちょうどいいね」って話して、あたかも全く恋愛対象として見てませんよ、という態度で働いた。

 その人は昔煙草を吸っていたらしい。好きだった銘柄はピース。たばこのことなんて全然詳しくなくてなんの感想も言えなかったけど、覚えやすい名前だった。ピース。ぴーす。バイトをやめる直前に知った情報だった。もう一つ、知りたくなかったことも聞いてしまった。一部アルバイトの中でもクビにならない人がいて、その人たちはこっそりと別のプロジェクトの仕事をしていた。その人も、友達もそのメンバーにいた。同じくらい頑張ってたはずだったけど、私は無能扱いされてたんだなって気づいて、少しだけ落ち込んだ。

 帰り道、渋谷のBunkamuraの目の前のコンビニでピースのスーパーライトとライターを買った。タール6mg。そのままひとりでカラ鉄に行って、喫煙可能の部屋に入った。たばこの吸い方なんて全然わからない。必死でスマホで吸い方を調べて、火をつけて、恐る恐る煙を吸い込んだ。口の中に煙の苦味が広がる。不味い。「ピースはゆっくり吸うとバニラの味がする」なんて嘘じゃないか。悔しくて、ひとりで失恋ソングを歌って、たばこの味は烏龍茶で流し込んだ。でも別に本当はあの人のことなんかそんなに好きじゃなくて、「仄かな恋心が叶わず失恋相手の好きだった煙草を吸う私」をやりたいだけだった。私はどこまでも安っぽい。

 あれから2年近く経った今も、ひと月に一箱くらいのペースでピースのスーパーライトを吸っている。本当はピースの味なんか全然好きじゃなくて、ただ「煙草をわかっている自分」とか「失恋相手の煙草を吸い続ける自分」とか「いい子そうに見えて実は煙草を吸うギャップのある自分」とかを演出したいだけなんだ。どこまでもダサい。好きな曲を聞かれて「香水」って答えるくらいダサい。吸わない日も多いから、きっとやめようと思えばやめられる。でも今日も、馬鹿みたいに自分を取り繕うアイテムとして、真夏の神社の一角で煙草を吸う。

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