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繋がることが当たり前の世界で

少し前にリリースされた音声ベースのSNS、Clubhouseが日本でも爆発的流行を見せている。

誰もがラジオのパーソナリティでありリスナーである、といった趣の気軽に話せる気軽に聞ける、というのが一番のウリであるアプリなのだと思うのだけれど(僕はAndoroidユーザーなのでやったことがなく、正確に把握しているわけではないが)、今回は、そんな時代の流れに逆流して『別に便利につながらなくてもいいじゃない』『手紙はいいぞ!!!』という話をしたいと思う。

ちなみに、もともと僕はスマートフォンを買ったのですらたったの2年半くらい前だし、今でも平気で携帯を家に置いて外出してしまうくらいのアナログ人間なのだけれど、逆に高校時代(もう10年以上前だ)の留学時代のホストファミリーと今でもクリスマスカードのやり取りがあるし、留学中に出会ったスウェーデン人の友人と未だに手紙のやり取りを続けたりもしている。

繋がることが当たり前の世界

もちろんこれは人のライフスタイル次第かとも思うが、ただでさえ様々なSNSが発展してきて、良くも悪くも多くの人と"繋がれる"時代となってきたところで、コロナ禍で外出自粛、人と顔を合わせて会う機会は歴史上かつてないほど減ってしまった。

そんな時代の救世主となっているのがSNSだ。

ただ、もちろんSNSはそんな中でも人とやり取りが可能な便利なツールなのだけど、インターネットやスマートフォンが必須アイテムになる前のことを考えてみると、そもそも我々はそこまで頻繁かつ濃密なコミュニケーションをとっていた/必要としていただろうか?というのは少し考えさせられる

寝る前に一日を振り返る時間、待ち合わせの少し前についてしまって特にやることもなく、相手と今日何をするか思いを馳せながら過ごす時間、暇つぶしに本屋で本の背表紙を眺め、興味深い本があれば手に取ってみるような時間、乗り物の中でただぼーっと風景を見て過ごす時間、あたりは世代によっては今や絶滅危惧種になりつつある。

こんな懐古主義的な考え方をする人間はそこまで多くないのかもしれないが、個人的には、これらの時間はそれなりに価値のある素敵な時間だったように思える。

もちろん理屈の上では、技術の発展やSNSの普及によってこれらの時間が失われる必要はない。単純に選択肢が増えただけだ。

別に嫌なら見なければいないのであり、嫌なら繋がらなければいい。一人の時間、ぼーっとするだけの時間が欲しければ別にそういう時間を作ればいい。

それだけの話なのだが、そう簡単には行かないのが人間の皮肉なところだ。

どうしても我々は中毒性が高い方向に流れてしまう傾向にあるし、社会前提で繋がることが当たり前という前提が共有されつつある世界で、繋がらないことを決断するのは中々勇気がいる。

2021年の世界で、例えば携帯を24時間見ないことを個人的な好みで選択すると、そこまで深刻ではないにせよ何らかの支障が生活に出てしまう、という人も多いのではなかろうか。

ちなみに僕はわざと携帯を家に置いたまま難しい文庫本一冊だけをもって電車に乗って買い物に出かけたりをよくしていた。難しい本でも、他に何もすることがない状況だとわりと簡単に読む気になる。

単なる情緒とか好みの問題だけではなく、色々なアイディアを考えたりするうえで、散歩をしたり、お風呂に入ったりといった、いわゆる頭を無に出来る時間というのは意外と重要で、常に繋がっていなければならない、絶え間なくインプットとアウトプットを繰り返すことを強いられる世界というのは実用面でもそれなりに損失があると個人的には思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか。

クリエイティブな考えというのはクリエイティブなことを考えよう!!と思って思いつくものではないような気がするし、そうなると、特にどこか目的地を設定することなく思いを巡らせるような時間、というのは意外と大切な気がする。

そして、そういう時間は過去と比べて間違いなく減っている。

そもそもどうして繋がりたいんだっけ

その点、手紙はパーソナルな時間を侵食したり、ずっと意識の中に存在したりするような事は全くないので安心と言えば安心だ。

『手紙を読むための時間』をわざわざ用意する必要があるし、逆に言えば、その時間以外で手紙のことを考えることは基本的にない。

気づいたら手紙ばかり読んで/書いていた、なんてことは絶対にない。笑

基本的にこちらが返事を返していないのに相手から連続で手紙が届いたり、ということもないし、そもそも他の手段で手紙が届いたよ、という連絡でもない限り、本当に自分のメッセージが届いているかもわからないわけで、既読無視もクソもない。

どうせ届いた日にすぐ返信するわけではないのだから、もし読みたい気分でなければ何日でも開けずに置いておくことだってできる。

もちろん一方で、緊急性の高い要件の場合は手紙は役に立たない。『今日夜ご飯いかない?』とポストに投函したって無駄だ。

ただ、基本的に人とのプライベートなやり取りで即座に返事が絶対必要な要件はそこまで多くないような気がするし、人とのつながりを楽しむこと、孤独ではないと感じることが目的であれば、別にリアルタイムである必要はないのだ。

もしメールもラインもSNSも何も存在しなくて、毎日人々は何人かの友達からの手紙を読んで返事をしたためるを繰り返す、というパラレルワールドが存在したとしたら、それはそれで楽しい世界のような気がする。

別に今すぐみんなSNSじゃなくて文通を始めよう!みたいな極端なことが言いたいわけではなくて、単に"楽しむこと"とか、"人の繋がりを作ること"に関して言えば、そこまでスピードやリアルタイム性や効率性、って大事なのだろうか?と思う、というだけの話だ。

繋がれない部分だって楽しめる

また、僕が手紙に関して気に入っている点は、"繋がっていない部分も楽しめる"ということだ。

最初に触れたスウェーデン人の友達との文通は基本的に1年に3通くらいのペース、何ならひどいときは2,3年開いたりした時期もあるのだが、特にそれが何かの障害になったりは別にしない。

一方で、例えばツイッターで2,3年ツイートしなかったりしたらもうその人はは存在しないも同然の扱いを受けるのは間違いない。

2年ぶりに手紙を書くときは2年分の出来事をなんとかして2枚くらいの手紙に納めなくてはいけないわけだが、そうやって振り返る時間は別に辛いものではない。

相手からの手紙に載っている内容が最後の手紙が届いた時期からの相手の人生の全てではないのは当然重々承知だし、行間に思いを馳せるとでもいうのか、わからないことも多いからこそ、この人はその間にこんなことをしたのだろうか、こんな風に感じたのだろうか、嬉しかったのか、悲しかったのか、なんて考えることも出来る。

それはそれで楽しい時間だし、相手も手紙を受け取って同じように想像したりするのだろうか、なんて考えると少しうれしくなる。

僕は世界地図が埋まってしまう前の世界に生まれて、この海の向こうに、この山の向こうに何があるのだろう?なんて考えられたらどれほど素晴らしいだろう、みたいに考えてしまうタイプの人間なのだけれど、情報の空白はむしろ想像の余地を残す分、必ずしもマイナスではないと思うのだ。

手間や時間がかかるからこその価値もある

正直ここまでは全部前書きみたいなもので、この先を書きたいがためにここまで書いてきた、みたいなところがあるのだが、"星の王子さま"の中にこんなエピソードがある。

詳しくは実際に読んでもらえればと思うのだけれど、王子さまが宇宙で一輪しかないと思っていた、自分の星に咲いていたバラが地球で何千輪も一面咲いているところを目にし、バラを一輪持っているだけで豊かだと勘違いしていたなんて、なんと愚かだったんだろうと落胆する。だが、キツネとのやり取りを経て、バラが王子さまにとって特別だったのは、王子さまが毎日水をやり、一生懸命虫を取り除いてやり、冷たい風に当たらないようについたてを立てかけてやったのは他でもないその花であり、それこそが王子さまとバラにとっての特別な関係性の要因だったと気づく、という話だ。

そして王子さまは、バラ園のバラを見て『君たちのためには誰も死ねない』と考える。

恐らく、人がとある人にとって意味のある存在(家族や恋人とか、そこまで大げさなレベルの話ではなくても)であることの根本的な部分はこれなのだ。

客観的に見て能力があるとか、仲良くしておけば自分に利益をもたらしてくれそうとか、そういうことではなくて、たまたま自分と同じ物語の同じページの登場人物だというそれだけの理由で、お互いに気にかけあうからこそ"私"にとって彼らは特別な存在になる。

とある人のために何かしら時間を使う、労力を費やすからこそその人は特別な存在になるのであって、その逆、誰かに価値があるからその人のために時間や労力を費やすのではない、という視点は初めて読んだとき非常に衝撃的で、膝を打って納得したのを覚えている。

(この部分はもうちょっときちんと説明をしないと何を言ってるのかうまく伝わらないかもしれないが、何度も言うが、是非星の王子さまを読んでみてほしい)

僕が思うに、手紙のやり取りに伴う喜びや温かな感情の源がまさにこれだ。

手紙を書くのには少しばかりの手間がかかるし、封筒、便せん、そして切手を揃える必要があるのでお金もかかる。

タップ一つ、クリック一つでは送れないし、どんなに急いで書いても一通を書き上げるのに2,30分はかかるだろう。さらに、何かをしながら片手間に手紙を書く、というのは非常に難しいので、自分の生活の中で、物理的にも、意識的にも、ただその相手のためだけに割く30分を見つけ出す必要がある。

でも、だからこそ価値があるし、手紙を受け取ると嬉しくなるのだと思う。それは自分とのやり取りにそれだけの価値があると相手が認めてくれているという証明だから。

これは、手紙という手軽ではない、ハードルが高いツールだからこそなせる業だろう。ハードルが高い分、内容とは別にそのハードルを相手が自分のために乗り越えてくれたというただそれだけのことで嬉しくなる。

もちろん別に便利な事、気軽で手軽に出来ることを否定したいわけではないし、便利で安価で時間がかからないこと、それは間違いなく良いことだ。

ただし、油断すると効率や便利さの奔流に押し流されそうになってしまう今の世界で、便利ではなく安価でもなく、時間もかかるものが悪いものだとは限らない、という事は心に留めておいても良いかもしれない、と思った。



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