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うどん無法地帯に突如として現れた力量。

「手打ちうどん 力」2021年2月23日(火)

“北の街の春の到来とは雪の喪失である”、と自ら定義づけている。

灰色の空からは、槍のような雪が鋭く重たげに降り落ちる。
突如として冬に逆行しては、歩幅が狭いながらも春へゆっくりと歩む日々が続いているが、静かに春を待つばかりだった。

午後とはいえ、夕刻の微かな兆しが街に漂う中、空腹に息絶えるように彷徨った。
強く降る雪に溶け合う白く大きな暖簾は、うどんの専門店を標榜している。
思い返せば、札幌でも名高い喫茶店だったこの場所がうどん専門店に変貌する、と誰が想像したであろう。
空腹任せに店内に入った。
『いらっしゃいませ。3階へどうぞ』
威勢に良い男性スタッフの声音は、やはりうどん専門店に相応しい。
細く急な階段を登ると、喫茶店だった頃の記憶が交錯した。
だが以前と違って、その階段の急峻は自らの体力の衰退を告げているような気がした。
3階に辿り着く。
さっそくオススメとある「牡蠣うどん」を頼み、周囲を見渡した。
時間も時間だけに無客のフロアだが、仄暗く重厚で落ち着きの滲む雰囲気はやはり喫茶店の余韻に満ちていた。
思えば、日常的にうどんを食する習慣はない。
その要因は、地理学的なものなのか、歴史や伝統のせいなのかは不明だが、少なからずこの地には、香川県や福岡県のようにうどんを日常とする食文化はないように思われる。
壁に貼られたメニューと店のコンセプトに目を向けた。
そこで一瞬の違和感を覚えた。
“ヘルシーなコシと弾力にこだわった職人自慢の手打ちうどん”
ヘルシーなコシと弾力とは何であろう?
コシと弾力とは健康的なのであろうか?
理解に及ばないままに「牡蠣うどん」が到着した。
仄かに薫る牡蠣の風味に、春菜とわかめが色彩のコントラストを添える。
スープは牡蠣の出汁を存分に発揮し、麺への期待を昂らせた。
そうして麺を持ち上げる。
その重みは、確かに手打ちうどんの迫力を伝えた。
粗雑な切れ味の麺の噛み応えに密やかな歓びを抱きながら、牡蠣を頬張った。
出汁の源泉となる牡蠣の存在感は、うどんとの相性を高めるばかりで、麺を啜っては牡蠣を食べるという反復の中で、三角うどんの異なる食感はうどんの中に優しい機微を受け取った。
食べ終わる頃には、しとやかな満足感を得ていた。
春の到来とともに、北の街で手打ちうどんが根づくことを期待して、重たげな雪が降りしきる街中を再び徘徊するのだった…

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