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大衆中華料理に突きつける霧と影。

「東京五十番すすきの店」2021年2月14日(日)

晩冬を兆す重たげな雪が日を追うごとにその増減を繰り返し、街を薄汚れた灰色に覆う。
日中は雪を溶かして濁った水溜りを作ったかと思うと、夕刻ともなれば次第に表面を光らせ、ともすれば足を掬う危険を帯びていた。
しかも空腹ともなれば、その足元は頼りなく弱々しい。
休日の食難民…
まるで神に呪われたユダヤ教徒のように街を当てもなく彷徨うも、日曜日のパンデミック下の飲食店は物悲しいほどにシャッターを閉ざしていた。
そこに現れたのは、雪道に照射した鮮烈な赤色のネオンであった。
その名は遠い昔からこの地に轟き、いつの間にかすすきのの一角を成すエリアに移転していた。
以前とは異なり、その店構えは堂々たるものであった。
夕刻にもかかわらず本日の日替りメニューの看板に、足をよろめかせながら吸い寄せられた。
広々とした明るい店内の空隙はもはや仕方なく、カウンター席を陣取った。
躊躇なく日替りBセットの「豚肉とキャベツのコショウ炒め、半ラーメン付」を頼んだ。
まだ注文を聞き取ることさえ覚束ない女性スタッフが、辿々しく厨房に向かってメニューを伝えていた。
カウンター席からは見えないが、調理を担当する男性の声が女性スタッフに注文の内容を教育するように確認していた。
その覚束なさは微笑ましい雰囲気ではあったが、日替りメニューの到来はやけに時間を要しているように感じた。
時間を潰すようにメニュー表を見ると、その料金は時代錯誤のような古めかしさを保っていた。
この一連の料金は、果たして維持できるのであろうか?
そんな疑問がよぎるも、空腹はたちどころに思考を分離させ、空腹からの根源的な欲求を掻き立て始めた。
待ち遠しさの頂点に達しようとした時、それは現れた。
『半ラーメンはもう少々お待ちください』
先にトレイで運ばれてきた「豚肉とキャベツのコショウ炒め」は、ご飯の量に比べるとどこか貧相で盛り付けの美的配慮にも欠いていた。
ともあれ食べ始めても、なかなか半ラーメンが訪れないことにも寂しげなもどかしさを覚えた。
空腹からの根源的な欲求は、ただ満たされればよいのか?
日替りは、すべてのメニューが取り揃ったセットを以って、その存在意義を満たすのではなかろうか?
そんな懐疑の只中に揺れ動きながら、すべてを食べ干した。
コロナ時代の飲食店の対応の苦慮。
その霧はまだまだ深く暗い。
その霧が晴れた頃、何か深い影が待ち受けていると思われるのは気のせいだろうか?

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