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【人生最期の食事を求めて】博多名物のとりかわを、再び。

半ば落胆と半ば期待を込めて、天気予報を見続けてもその表情は変わらなかった。
しかも日に日に天候は悪化の一途を告げている。

夕刻の福岡空港に降り立つと、外の気配は雨と湿気に不安な淀みを孕ませていた。
私はそそくさと地下鉄に乗り込み、博多駅で福岡空港線から真新しい七隈線に乗り換え、薬院大通駅へと向かった。

目指すべき店は、「とりかわ粋恭」と決めていた。

昨年、初めてこの店を訪れた際、寒風の中で韓国人観光客に追随して待ち侘び、ようやく入店できた間際に、とりかわが残り10本もないことを告げられた悲しい衝撃の記憶を上書きするために再訪を決意していたのだ。

薬院大通駅の出口に近づくと、あたかも東南アジアのような湿気と熱風が私の全身を舐めた。
外は今にも雨が降り出しそうだった。
近年のこの国の気候にはもはや四季などなく、雨季と乾季の二季に改めたほうよいと思いながら、雑居ビルやマンションが屹立する道路をすり抜けていった。

辺りはまだ暗くはないが、赤い大きな提灯が私を待ち受けるように佇んでいる。
この店の入店を待つ客だろうか?
どうやら一人の男性が煙草を吸っている。
それ以外には人影はなく、恐る恐る店内に入ると空席が目立つカウンターが広がっていた。

“天下一”は比較広告に抵触しない
まるで街のランドマークのような巨大な赤提灯

福岡を襲う大雨を警戒してのことなのか前回に比べてあからさまに空席ばかりで、内心安堵して奥のカウンター席に座った。

ともあれ生ビールを注文している間にメニューを見回した。
言うまでもなく「名物とりかわ」(1本180円)は必然の選択である。
目前でも煙を上げて焼かれるとりかわの隊列は、地味ながらもえぐるような食欲を刺激する。
北海道美唄市の名物であるモツ串も同様、福岡の地元民ならば1回で20本なり30本なりを注文することだろう。

おすすめのメニューには☆が

まずはとりかわ10本注文した。
お通しのキャベツを噛み砕いていると、眼の前から突如としてとりかわが現われ皿に置かれた。
入念に焼かれたとりかわの黒褐色の姿は、一見すると焼鳥の姿をしていないのだが、口に導くと固く焼き焦げた油分のない歯応えと独自の甘いタレの風味が押し寄せる。
ビールを飲むその片手は、お菓子を食べるような感覚ですでに新たな串を持って、そこに絡みついたとりかわをほどくように食べ進めるばかりだ。

眼の前で焼かれるとりかわの隊列
博多名物とりかわ

がしかし、とりかわの店だからといって一点突破する心境は毛頭ない。
生ビールの追加とともに、おすすめメニューの一つである「軟骨入りつくね」(190円)、「厚揚げ」(380円)、そして「笹身しぎ焼き」(290円)を選んだ。

右に座るサラリーマン客は関西訛りなのか九州訛りなのかアクセントや方言の違いを掴み取ることはできなかったが陽気な口調で語り合い、一方左の最も奥に座る女性客はひとり寡黙にとりかわを頬張り、ビールを自らに注いでいた。
来慣れた街とはいえ、やはりどこか異なる空気のようなものが流れているような気がしてならなかった。

お代わりした生ビールが呆気なくなくなりハイボールに切り替えると、軟骨入りつくねが訪れた。
小さな拳ほどのつくねは、その存在感を誇示するかのように頑なな姿勢で横たわっている。
何も付けず何も振りかけることなくつくねを頬張ると、とりかわとは異なる軟骨の食感が顎に響くようだ。
しかし肉がほつれるように崩れていくと、夥しい熱量が喉を矢庭に支配し、思わずハイボールで熱を覚ました。
おすすめのメニューだけあってなかなかの食べ応えと言える。

軟骨入りつくね


と思っていると、満を持して厚揚げが登場した。
その存在は軟骨入りつくね以上に揺るぎなく、タレを従えることによって堅牢な表面と柔和な内面とが渾然一体となって襲いかかってくるのだった。
ほんのりと汗を帯びた体にハイボールを流し込んで再度求めた。
満腹とは言わないまでも、徐に充足感のような感覚が雪崩込んできた。
大雨に襲われる夏の九州の地を訪れ、狂おしいほどの湿気に見舞われてご当地の名物を堪能する贅沢は、甚だ精神的な充足を生み出す。

厚揚げ

最後に笹身しぎ焼きが訪れた。
しなやかで蛋白な身を包むわさび醤油の絶妙な調和は、この店の最後のメニューとしては理想的で、お通しのキャベツでわさび醤油を拭って平らげることが、この店の何かを制圧したような不思議な錯覚に浸ることができた。

とりかわという博多名物を知ったのはすでに10年以上前のことだ。
それ以来この地への興味や愛着は、徐々に私を駆り立て短期滞在、終いには移住までも考えさせるほど魅力を持っている。

まるでもうこの地に暮らしているかのように、私はこの店を後にしてまた違う店へと惹きつけれてながら、雨に濡れて潤んだ夜の街を歩くのだった……

笹身しぎ焼き

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