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【人生最期の食事を求めて】ソースカツ丼の創意工夫と独創を辿る。

2023年9月23日(土)
ヨーロッパ軒総本店(福井県福井市)

旅先のベッドとの相性なのか?
逸る感情の吐露なのか?
それとも、年齢を増すごとに睡眠の質の低下のせいなのか?
まだ日の昇らない時刻に目覚めた。
2023年最大の目標である永平寺訪問する日は感慨深い。

思えば2021年5月。
仕事を終えた途端、突如として左肩に激痛を覚え、息もできなくなるほどの身体的混沌の末に緊急入院となったあの日。
緊急入院、そうして手術によって呼吸が蘇ったあの日。
全身麻酔で朦朧した意識のままにストレッチャーに載せられて手術室から病室に向かう時、私は朧気に目を開けた。
そして、見た。
白い天井と道路の白線のように次々と過ぎ去る蛍光灯を中央に、両脇に夥しい緑が風に揺れ、その隙間から柔らかな日差しが私を包み込んだ。
そして、聴こえたのだ。
ジョージ・ハリスンの神経質で頼りない歌声が奏でる「Here Comes The Sun」を……

ホテルを早めにチェックアウトし、電車とバスを乗り継いで辿り着いた永平寺。
薄曇りの空を突き刺すように屹立する木立の間から、あの時と同じ日差しと「Here Comes The Sun」が私に飛来するのだった。

永平寺
永平寺を取り囲む木立から溢れ出る日差し

あれから2年以上が経ち、こうして永平寺に訪れて空気に触れたこと自体、私にとっては2023年の目標達成というよりは奇跡的にさえ思えた。

再び下山するためにバスに乗り込んでいる間にも、私の脳裡でジョージがか細い声音で優しく歌い続けていた。

するとバスは福井駅前に到着した。
この街を去る前に、私にはもうひとつ試すべきことがあった。
それは、ソースカツ丼の発祥を試すということであった。

時刻は11時を過ぎようとしていた。
福井駅から繁華街へとひたすら歩いていくと、夜のネオンの消えた雑居ビルの哀れな姿が目の前に広がった。
どの街の繁華街も昼のそれは無惨な廃墟の姿を晒すのは、ある意味普遍的かもしれない。
その一角にすでに5人程の客が行列を作っていた。
なるほど、誰もいない繁華街でもこの店だけは別格の輝きを発しているようだ。
営業開始して間もないというのに、“満席”の案内に幾許かの驚嘆と落胆を抱いてしまったが、もはや行列にくじけて諦めることはなく、そそくさと背後に寄り添い待つことにした。

ヨーロッパ軒総本店
営業開始まもなく満席の案内が

10分ほどだろうか。表情の希薄な男性スタッフが店から出てくると人数を尋ねて店内に導いた。「お客様は何名ですか?」「ひとりです」「では、2階へどうぞ」2階の存在を知らされるとわずかながらの驚嘆とともに階段を昇っていった。広々とした2階には大きなテーブルが点在し、その奥には座敷席も用意されていて、すでに若い家族が占めていた。

ひとりであるのに4人掛けのテーブル席に案内されることに躊躇を覚えながらもメニューを眺めた。
ソースカツ丼以外のメニューも多彩だが、“名物”と名乗っている以上、それ以外に選択の余地はあるまい。
「カツ丼」(1,080円)、さらに「メンチカツ」(450円)の誘惑に乗ることにした。

店内の壁を覆う色紙の数はこの店の人気を無言のうちに証しているようだった。
いろいろと調べると、「ヨーロッパ軒」自体は東京早稲田で創業し、関東大震災による被害をきっかけに福井県に移転したという。
創業者の独創と研鑽によって継承された「ソースカツ丼」は100年の時を経て伝承され、まさしく“元祖”という冠がふさわしいほど、福井県の名物の一つとして不動のメニューになったというのだ。

そこへ「カツ丼」が訪れた。
蓋を開けると大きな落ち葉のようなメンチカツがその下に横たわる3枚のカツを閉ざしていた。
厚めこそないがそのボリュームは目視するだけ理解することができた。
同様にボリュームのあるサラダから食し、そしてメンチカツを持ち上げた。
かつて経験したことのないウスターソースの味わいが私の口腔を覆った。
独創と研鑽の具現は、このウスターソースだけでなく薄く揚げられたカツと衣が物語っている。
サクサクっという乾いた咀嚼音は、まるでアイゼンで氷山を踏みしめるそれのようで、その奥処から繰り出されるスパイシーで酸味のある風味は否応もなくご飯を誘う。

カツ丼(1,080円)、メンチカツ(450円)

『なるほど、これが名物か』
と私は、心の中で思わず呟いた。
唯一無二とは、競合が真似をしようにも真似のできない卓越した創意工夫と、その店でしか再現できないものである。
テイクアウトやデリバリーなど利用せず、店で揚げたてのカツを食すべきメニューにほかならないのだ、と私は確信しながら完食した。

店を出ると、少し風が強さを増しているようだった。
風に煽られて変幻する雲が裂けると刺すような日差しが頭上に現れた。
「Here Comes The Sun」
私は小声で口ずさみながら、福井駅までの見知らぬ道程を辿るのだった……

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