見出し画像

【人生最期の食事を求めて】体内に染み込むようなうどんの優美と愉悦。

2024年1月6日(土)
おうどん処たべよし(兵庫県神戸市中央区)

体調の異変を感じたのは早朝だった。
下腹部が岸壁に打ち寄せる荒々しい波濤のように、不規則にそして時に強烈に押し寄せた。

京都の知人と飲み始めたのは、5日(金)の17時前だった。
宴は日本酒で始まり、5軒連れ回されて終わったのは0時を過ぎていたのだ。

私の下腹部の異変は京都を離れる時も変わらなかった。
神戸行きの電車に乗り込んでもそれは変わらず、薄い灰色の雲が支配する空の移り変わりすら不快に思えた。

昼過ぎに三宮駅に降り立った。
行き交う人々の雰囲気は明らかに京都と違い、地元神戸の雰囲気を漂わせているように思えたもののそれ以上の詮索をする余裕などなく、薬を飲んでも一向に収束する気配のない下腹部の痛みに悶え苦しみながら、少しでも体を休めるべく三宮のホテルを予約することにした。
ホテルの当日予約は滞りなく完了した。
いつ襲いかかって来るとも知れぬ下腹部への不安を超えた恐怖心。
比較しても仕方のないことだが、会社員時代から旅における体調異変はおそらく慣れてはいる。
2023年2月と4月、痛風を発症した出張を2回も体験し歩行すらできない困難に襲われた。
同年8月、下腹部の異様な激痛の襲撃に見知らぬ町の病院に駆け込んだことも思い出した、
下腹部への襲撃について言えばベテランの領域のはずなのだが、到底慣れるはずもなかった。

13時前にホテルに到着した。
チェックインできないことは了解はしているものの、体調不良を訴え無理を承知で早くチェックインできるか交渉すると難なく許された。
部屋に入るや否や、私は皺ひとつないベッドの上に倒れるように体を預けた……。

気がつくと部屋の辺りは薄暗さに覆われていた。
まるでカフカの「変身」の主人公のように体は奇妙なほどの重さを感じたものの、下腹部の痛みはどこかに去っていた。
しかも、異様なほど空腹だった。
どうやら3時間ほど眠ったようだ。
私は自分の体調を確かめるように街に出ることにした。

生田神社の鳥居

坂を下り、三宮駅を抜け、アーケードに入った。
相変わらずインバウンドの姿は少ない。
『異国情緒溢れる街に異国の旅人が来るのも確かにおかしい』と思えるほどの余裕が生まれていることに安堵した。

目の前にイーゼルに置かれた看板が立ちはだかった。
さぬきうどん専門店だった。
中2階にある店に続く階段を昇ると、うどん店らしからぬどこか家庭的なイタリア料理店のような雰囲気に出迎えられた。
店内の客は女性ばかりで、落ち着きのある雰囲気を醸していた。

おうどん処たべよし

奥の厨房からグラスを持ったオーナー兼大将と思われる男性が現れた。
「ご注文が決まったらお呼びください」
その口調も鷹揚としていて急かす体ではない。
下腹部は激痛の余韻すらなく、むしろ空腹で波打っているようだ。
「たべよしぶっかけスペシャルバージョン冷」(1,280円)という朱色の文字が私の下腹部を虜にした。

夕刻が近いということもあるのだろうか。
うどんを待つ間にも、男性客ひとりだったり、友人同士の女性客だったり、男女の客だったり、途切れることなく客が入って来る。

たべよしぶっかけスペシャルバージョン冷(1,280円)

そこにうどんが現れた。
大ぶりの器の中に、ちくわ天や海老天、さらにかき揚げ天や鶏天、半熟卵天が所狭しと伏せていて、うどんを凌駕するほどの存在感を誇示している。
出汁を思いのままに掛け、まずはちくわ天から頬張った。
揚げたての衣が一瞬咀嚼音を高めるも、ちくわの震えるような身がすぐに伝わってくる。
そして、うどんの箸を伸ばした。
それは、本場のそれよりは硬直してはいないのだが、程よい噛み応えとともに薄い出汁の薫りがさり気なく駆け抜けていくようだ。
さらに様々な揚天に触手を伸ばしては、うどんを噛み締める。
その一連の動作こそ、咀嚼を楽しむ奥義を知らしめるスペシャルメニューたる所以に違いないと、私は顎に幾分の疲労を覚えながら思った。
たんぱくな味わいと揚天の多様性、そしてうどんのコシ。
激痛から空腹に移り変わった下腹部には、このうどんがまさしくふさわしいのかもしれない。
残り少ないうどんを半熟卵天を割ってまぶし、思いのままに吸い上げた。
それは黄身を纏って出汁とは異なるマイルドな風合いを醸し出した。
満足感が押し寄せても、下腹部は激痛にわななくことはなかった。

そもそも、京都から続いた激痛は幻だったのではないか?
あるいは、うどんに導くための声なき策略だったのではないか?

アーケードの賑わいに身を預けながらそう思った。

さらに振り返れば、1月1日の大地震から始まった旅は、下腹部の激痛とその収束とともに幕を下ろそうとしている。

さほど冷たくない小粒の雨が神戸の華やかな街角を濡らし始めた。

山の頂に“KOBE”と描かれた文字が市街地を望むように浮かんでいた。
まもなく1月17日。
阪神・淡路大震災の起こったあの日を思い浮かべながら、私は心静かに雨に濡れる坂道を登っていくのだった。……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?