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【人生最期の食事を求めて番外編〜人生最期の音楽を求めて】ギターの歪みに浸る野毛の夜。
2023年4月21日(金)
「鳥勝」(神奈川県横浜市)
それは虚脱感と言っていいのだろうか?
それとも放心状態と言うべきだろうか?
日本武道館はどこか穏やかな熱狂に支配されていた。
この日、エリック・クラプトン日本武道館100回記念公演は、静かに終焉を迎えた。
海外アーティストが日本武道館での公演を100回達成したのは、あとにも先にもクラプトンしかいない。
ちなみに、2023年4月時点で日本のアーティストでは、矢沢永吉149回、松田聖子121回、カナダ出身のブライアン・アダムス24回である。
比較することでもないと思うが、100回は特筆すべき偉業だ。
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日中の暑気は嘘のように消え、日本武道館の黄金の天井を雨が打ち始めていた。
小雨程度で終わるであろうと思っていたのだが、傘がなければずぶ濡れになりそうなほど俄に強く降り始めた。
売店でグッズを購入している人は雨を凌ぐ術もなく立ち尽くし、帰宅を急ぐ人々はコンサートの感想を思い思いに語り合いながら、地下鉄駅へ足早に歩いている。
時計を見ると21時30分になろうとしていた。
地下鉄に乗り込み、東京駅で東海道線に乗り換えて横浜、そして桜木町に向かった。
静かな車内はコロナ前に戻ったかのような混雑ぶりで、皆スマートフォンを持ちながらゲームに興じる会社員もいれば、動画を観続ける若者がいた。
横浜駅で乗り換え、桜木町駅に向かうと、東京と異なりまったく雨が降っていないことに気づいた。
歩き慣れていたはずの桜木町もその様相はいっそう変貌していた。
それだけではない。
野毛小路もどこか洒落た雰囲気を装った店が現れ、若い女性の姿が多く見受けられた。
昔の野毛といえば、ただ通り過ぎるだけなのにどこか粗暴な緊張感が立ち込めていて、逃げるように自転車を急がせた記憶が残っている。
さすがに空腹だった。
すでに酔いの回った会社員たちの群れが次々と駅に向かってすれ違ってゆく。
たしかに時刻は23時になろうとしていた。
暖簾を片付ける店も増えていた。
入れそうな店もまもなく閉店を告げていたり、満席で無理といった店ばかりで、次第に心中穏やかではない焦燥感に駆られ始めた。
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そうするうちに野毛小路を一周した。
客引きの若者たちは、仕事のやる気もなさそうに談笑を繰り返し、下劣な笑い声を細い路地に猥雑に響かせていた。
その集団を避けると暗い道に仄かな白光が映っていた。
恐る恐る店の中に入ると、ネクタイ姿の50代と思われる男性が盃を酌み交わしていた。
どうやら店のスタッフは、私の入店に気づいていない。
少し大きめな声を響かせると、店の奥から男性スタッフが現われカウンター席を案内した。
閉店は0時だという。実質1時間もない。
ビールと焼鳥をおもむくままに注文した。
冷たいビールジョッキに置かれると、あまりに爽快な喉越しに一息に飲み干してしまいそうな誘惑に駆られたが押し殺し、仄暗いカウンター席で今夜のコンサートを振り返った。
いつものようにゆっくりとステージ中央の絨毯に向かうギター・レジェンドの足取りは78歳とは思えないほど堅牢で、いつものようにエレキギターを構える。
ステーキ横に設置された大型ビジョンにギターを抱えたクラプトンの姿が披露された。
驚くべきはギターだった。
当然フェンダーのストラトキャスターなのだが、今回の色はホワイトだった。
クラプトンといえばブラッキーが有名過ぎるほどだが、近年は様々な色を使用する傾向にある。
しかし、この日のホワイトはまさしく盟友ジェフ・ベックへの追悼に違いなかった。
珍しくインストゥルメンタルで始まった。
「Blue Rainbow」という未発表曲は、2023年1月10日に逝去したジェフへの想いを投影するように、フィンガーピッキングが悲哀のこもるEmをストロークする。
そしてリードギターは、まさにクラプトンが作り出す歪みによって先に旅立った親友へのレクイエムとして捧げられているかのようだった。
クラプトンのインストゥルメンタルはいつも美しい。
思わず、ステージ上のクラプトンの姿が歪んで見えた。
それは涙だった。
まだ1曲目だというのに、涙がステージを歪ませたのだった。
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ビールがなくなりかけた頃に、一連の焼鳥が次々と運ばれてきた。
ささみから手をつけた。
ほんのりとした刻み海苔の中に隠れたわさびが新たな涙を誘おうとしていた。
幾分強い味付けが再びビールを誘い、回想を導く。
2曲目以降は、お決まりのセットリストを申し分もなく披露した。
キーを下げることもなく、プロンプターも使うこともなく、全盛期の声量までは行かないもののまだまだ館内を揺るがすだけのパワーを有している。
ギタープレイにおいては、今回のコンサートはここ数年で屈指の仕上がりではないか、と個人的に指を折ってしまうほどだった。
新たなビールが運ばれてきた。
歯切れの良い豚たんを頬張り、ビールをまた流し込んでゆく。
しろの弾力と柔和な肉質は、なるほどこの店を代表するメニューと言っても良いだろう。
しろを追加しようと一瞬考えたが、焼き上がってくる時間が遅いことに不安を覚え断念することにした。
まあ、今夜はいいだろう、と私は自分に言い聞かせた。
今夜はコンサートを振り返る夜にしよう。
代表するメニューといえば、クラプトンのファンを広い層へと拡大させた「Tears In Heaven」は説明不要であろう。
ここ数年のライブでは欠かせないナンバーとなっていてレゲエ調のアレンジで明るいトーンに仕上がっているが、クラプトンの友で昨年逝去したゲイリー・ブルッカーの「A Whiter Shade Of Pale(青い影)」を「Tears In Heaven」の間奏にオマージュとして織り交ぜている。
友への追悼を音楽で捧げるクラプトンの推し量ることのできない悲しみが滲んでいることに、再び思いがけず涙が視界を歪めた。
さらに、ジョージ・ハリスンと共作した「Badge」。
100回記念は、まさに友へ惜しみなく捧げるオマージュに違いなかった。
そんなことを考えているうちに、ビールジョッキは呆気なく空になってしまった。
厚揚げを食しながら、ハイボールを追加することにした。
薬も飲み、痛み止めも飲んでいるいることもあって、痛風の連続発作に慄いているわけでないが、やはりあの激痛は回避したい。
そんな想いがハイボールを促していた。
口中で夥しい熱量を発する厚揚げが躍動する。
それと同じように、クラプトンのギターもラストに向かって疾走する。
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ところが、いつもより最終曲の演奏が早い。
「Cocaine」の最後は観客が一斉に「コカイン!」と叫んで終了するのがルーティンなのだが、今夜の終了は20時40分だった。
バンドメンバー全員が一度バックヤードに引き揚げたかと思うと、
明らかに早いと思っていると、女性の日本語が館内に響いた。
それは100回記念のセレモニーで、何も知らない観客は私も含めて嬉々とした興奮を声と拍手を、再びステージに現われバラの花束を手渡されたクラプトンに浴びせるばかりだった。
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厚揚げを食べ損ねたはずみで咳を繰り返した。
その勢いで瞳が涙で潤んでしまった。
ともあれ、潤みっぱなしの夜もたまにはいいだろう。
ハイボールをもう1杯頼んだ。
これが野毛最後の1杯になるだろう。
そして、アンコールはキーボード担当のポール・キャラックがボーカルを務める「High Time We Went」。このアンコール曲も近年の定番である。
安定感のあるキャラックのハイトーンボイスとクラプトンのギターが館内に炸裂して幕を閉じるのだった。
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コンサートを振り返っているうちに、0時近くになってしまった。
そろそろこの店も閉店の時間だった。
ハイボールも底を突きかけていた。
果たして、クラプトンは来日するのだろうか?
そのことばかり考えながら店を出た。
すると、大きな男性の粗暴な声がすぐ目の前から迫りくるように響き渡っていた。
眼の前で喧嘩が繰り広げられていて、警察官や救急車が駆けつけていた。
それは昔のよくある野毛の姿そのものだった。
クラプトンのギターも昔と同じだった…
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