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【人生最期の食事を求めて】とろける卵と鶏肉の弾力に魅せられて。

2023年5月27日(土)
「秋田比内地鶏や」(秋田県秋田市)

ホテルの窓辺のカーテンの隙間から、早朝の溢れる陽光が兆していた。
昨夜のアルコールが残る気怠さと右足の親指の付け根に走る痛みが、そんな爽快な天候を打ち消すようであった。

右足の親指の付け根は、どうやら痛風のようである。
今年に入って3度目の発作ともなると、その兆候からすぐに了解できた。

10時ちょうどにホテルをチェックアウトし、とりも直さず右足を引き摺りながら秋田駅に向かった。
食のイベントが開催されているせいで駅前は賑わいを呈していた。

右足をかばいコーヒーをすすりながら、秋田の昼を模索することにした。

“果たして再び秋田に訪れることはあるのだろうか?”
そんな自問自答から、早々にラーメンや蕎麦という選択肢は消えていく。
昨日のうどんもそうだが、2度と食べられないとするならば、親子丼の存在は不動だ。

右足は歩けば歩くほどに激烈な痛みを生み、靴が脱げなさそうな腫れ感を漂わせている。
だからといって、他に行く宛がない以上「比内地鶏や」を目指すほかなかった。

11時の営業開始とともに、数人の客とともに店に入った。
とにもかくにも、選ぶべきメニューは「比内地鶏の究極親子丼」1,800円しかない。
親子丼は、本来は大衆の味方と言えるはずだが、究極を銘打つ比内地鶏と卵を使ったそれは格別ではないはずがなかった。
蓋で隠された親子丼がテーブルに置かれた。
期待と緊張を込めて蓋を開ける。
比内地鶏を包み込む卵とじは、黄色というよりもむしろ黄金のような輝きを放っていて、見ているだけでも溶け入るような風貌である。
箸以外にスプーンが事前に用意されている意図が窺い知れた。
卵と鶏肉を同時持ち上げた。
スプーンから零れ落ちそうなほどの柔和な卵に注意しながら、口内へと慎重に運んだ。
卵の仄かな甘さと比内地鶏の弾力が塗れて口内で踊り続ける。
その味わいは一般的な親子丼とは一線を画し、何か別の階級の血族とも言うべき別格を主張する。
ご飯はといえば、卵と鶏肉の弾力の不均衡を調整するように程よい硬さのように炊かれているように思われた。
いっそのこと丼を持ち上げ、口内に掻き込みたい衝動が走ったものの、比内地鶏の肉感と親子丼の値段がそれをとどめさせた。
まるでご飯粒までをも一粒一粒咀嚼するかのように、時間をかけてゆっくりと噛み締める。
それこそが比内地鶏親子丼の味わい方なのである。
今後、本場秋田では食べられないであろう、と思いを込めながら。
食べ終わる頃には足の痛みを忘れていたが、会計を済ませようと立ち上がるとまたも激烈な痛みに襲われた。
しかし、痛みはあっても後悔はない。
もう二度と食べられないとしても…

比内地鶏の究極親子丼

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