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【人生最期の食事を求めて】麗しい光沢を称えるうどんの最高峰。

2023年5月26日(金)
「佐藤養助秋田店」(秋田県秋田市)

秋田空港に到着早々に雨が降り出し、次第に強弱をつけながらバスの車窓を濡らした。
車窓越しの見慣れぬ風景は、まるで印象派の歪んな絵画のようであった。
秋田駅前に降り立つと、時刻は午後の頂点を越えていた。
見知らぬ土地での空腹は、どこか寂しげであり、どこか期待が高まる。
振り返ると秋田は出張で幾度となく訪れ、その度毎に食するものと言えば、うどん、親子丼、ラーメンばかりで、それ以外の選択肢は思い浮かばない。
否、むしろ地元の者でない以上、漂流者は地元の名物を求める。
しかも、次の秋田訪問の約束などない。
細かい雨が打つ道をなぞるように、百貨店の地下へと急いだ。

時刻は14時近い。
店内には観光客らしき来店者が散見された。
熱い番茶をすすりながら、稲庭うどんという選択の正しさを自らに問い、「二味天せいろ」1,850円を躊躇なく選んだ。

うどん文化は、ラーメンや蕎麦よりもどことなく奥ゆかしく地味な印象が強い。
その中で、「日本三大うどん」は揺るぎない存在感を放っている。
「日本三大うどん」と言えば、香川県の讃岐、秋田県の稲庭、さらに長崎県の五島等、諸説あるのだが、その白皙の光沢と柔和な喉越しは稲庭の特質と言える。
振り返ると、初めて稲庭うどんを食したのは8年前ほどだろうか?
その存在こそ知っていても、稲庭との初見はうどんの既成概念を転覆するほどの衝撃だったことを鮮明に覚えている。

果たして、その衝撃は今も健在なのだろうか?
大きなお盆に載ったそれは、紛う方なく美しいそれであった。
揚げたての天ぷらとうどんの見事な饗宴も普遍的と言っても過言ではない。
香り高い上質を称えたしょうゆたれも、揺るぎなくさり気ない存在なのだが、
以前はあまり好まなかったごまみそのつゆも、その過去の印象を払拭し、くるみの風味を携えて稲庭うどんの味わい方への再定義を求めているようであった。

“食は歴史や伝統に依存してはならない。”
個人的な格言は、創業160周年の歴史と伝統の前に、脆くも崩れ去るほどの破壊力を有している。

天ぷら、しょうゆたれ、ごまたれ、という循環の末、最後のうどんを持ち上げた。
自分の意思を確かめるなら、ここは王道のしょうゆたれで最後を締めるはずなのに、箸は意思に反してごまたれに導かれた。
最後の喉越しを楽しむように、勢い良く啜り上げると、うどんに付着したごまだれの断片が古めかしい天井の穏やかな照明に反射して、一瞬のきらめきを放つのだった。

稲庭うどんの堪能も束の間、会計を済ませ、雨の降りしきる秋田駅周辺をそぞろ歩いた。
次の秋田来訪はいつになるのだろうか?
そして、仮に唐突な死の宣告を浴びた時、最期の食事として稲庭うどんへの欲求が去来するのだろうか?
心の中で自らに問うた。
すると、稲庭うどんへの憧憬は、この空の遠い彼方に旅立っていくような気がした。

佐藤養助秋田店
白肌のような輝きが美しい

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