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【人生最期の食事を求めて】新橋の片隅に潜むスパイスカレーの秀抜。

2024年1月25日(木)
THE KARIザ・カリ(東京都港区新橋)

宇宙までもが透けて見えるかと思うほどの青い空が、どこまでも無限のように広がっているようにしか見えなかった。
昔の記憶をなぞるように、早朝の山下公園に赴き、変貌したみなとみらい21に聳え立つビル郡の屹立に心静かに驚嘆し、溜池山王に出向いては午前を終え、新橋を歩く頃には12時30分を過ぎていた。

日本郵政氷川丸
山下公園からみなとみたい21エリアを望む

混雑と猥雑極まりない新橋の中心部から抜け、大門の方向へ足を向けた。
歩き慣れた街だけに昼食を探す不安はなかった。

小さな雑居ビルの密集するエリアに入ると人通りは極端に減った。
同時に入るべき店も減るのは必然だ。
心地よい日差しはまるで春の到来といわんばかりだった。
空腹などそっちのけでその日差しに追随するかのように歩くと、カフェのような風情の店の前を通り過ぎた。
『ザ・カリってなんだ? しかもCARIではなくKARIはなぜ?』
私は踵を返してその店の前に戻ると、なにやらカレー店のようだ。
だが、外からは店内の客らしい人影しか窺い知ることができない。
入口横のメニューの文字に目がくらみ、私は考える前にドアを開けた。

THE KARIザ・カリ

カフェのような外観とは異なり店内はL字型のカウンターしかなく、しかも満席だった。
「後ろの椅子に掛けてお待ちください」
若い男性スタッフが物腰柔らかい口調で静かに言った。
すると、目の前の韓国人風の顔つきをした男性客が立ち上がり、去っていった。
タイミングの良さに我ながら感心するも、席に着くや否や注文を聞かれ戸惑った。
と言ってもメニューの少なさが幸いし、すぐさま「ビーフ大盛り」(1,160円)と口走った。
「付け合わせは、キャベツの酢漬けとジャガイモのスパイス炒めのどちらにしますか」
とつつがなく問われ、キャベツの酢漬けをお願いすることにした。

10席しかないカウンター席では、おそらく周辺で働くビジネスパーソンらしき客たちが寡黙にカレーと向き合っていた。
カウンター越しの厨房はオープンスタイルで、男性2名、女性2名のおそらく家族と思われるスタッフたちがそれぞれの任務を果たすべく、客同様に寡黙にカレー作りに勤しんでいる。

思えばカレーとは、ラーメンとともに最も身近で庶民的でありながら実に地域差が如実に現れるメニューである。
発祥地であるインドカレー、多彩な風味付けをするタイカレー、その他にもスリランカやネパール等、東南アジア各国それぞれの風土に根づいた進化を遂げる一方、ここ日本においても独自の発展を遂げてきたのは言うまでもないだろう。
ルーカレーやスープカレー、キーマカレー、さらにドライカレーやカレー南蛮、カレーパンといった派生メニューもすでにメジャーであることは揺るぎない。

注文して数分にして、カウンターに置かれた大きな皿が置かれた。
そこにはレトルトとスープの中間に位置する水分多めのルーなのだが、刺激の強そうなスパイスの香りが私に放射するかのように迫り来る。
そのレイアウトは意図的としか思えないようなアンバランスでライスが盛り付けられている。
ルーに浮かぶオイルが独特の煌めきを発していて、その中で所々にサイコロのような牛肉が沸々と横たえている。
それ以外に具材らしいものは見当たらなかった。

ビーフ・ライス大盛り(1,160円)

挑むようにスプーンでルーを掬い、ライスに絡めた。
鋭利な刺激が唇に走るも、それはとてつもなく心地よい。
辛いものには滅法強いゆえに、むせるほどの辛さという実感はなかった。
むしろライスを大盛りにしたことは幸運である。
硬めに炊かれたライスも、おそらくこのルーと相性との絶妙の調和点の結実なのであろう。
時折挟むキャベツの酢漬けの酸味が辛さとは異なる独自のアクセントを添えた。

あのアインシュタインの箴言が薄っすらと汗ばんだ額の裏側に浮かんだ。
“物事はできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない”

アルベルト・アインシュタイン(1879
〜1955)



スタッフたちは来客があっても大声を張り上げることなく、誰も無駄口を叩くことなく、ただひたすら職責を果たすだけだった。

私はスプーンで慎重に水分多めのルーを掻き集めながら不意にこう思った。
『これは成熟のカレーだ』
余計な具材を排除し、スパイスの効果を際立たせて行き着いたシンプルの臨界点なのだと。

空は相変わらず青く澄んで御成門エリアのビル群や東京タワーの輪郭を際立たせていた。
私は額に浮かび続ける汗を拭いながら、
再びアインシュタインの箴言を反芻した。
“物事はできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない”
シンプルの本質は誠に難しい。……

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