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【人生最期の食事を求めて】伊勢に流れる赤福餅の柔和なせせらぎ。

2024年1月3日(水)
赤福茶屋ジェイアール名古屋タカシマヤ店(愛知県名古屋市中村区)

名古屋での3日目の朝だった。
この日も晴れ渡り、地震や事故など嘘のように平穏な青空が広がっていた。
行く宛がないとしても、その足取りは自ずと名古屋駅へと向かってしまう。

どこに行っても混雑し余儀なく行列に巻き込まれるなら、潔く名古屋駅の混沌に身を投じるほうが良いと判断したからだった。

とはいうものの、名古屋駅へと続く道沿いでコーヒーを飲みながら無為に過ごした。
基本的に以前から“時間を潰す”という表現への嫌悪感は拭い去れないでいた。
時間を潰すことは贅沢というよりも罪深いと感じているからだ。
メールをチェックしたところで、正月の3日目で受信するものはメールマガジンぐらいだろう。
本を読むには集中力の欠如が著しい。
午前10時を回っていた。
コーヒーを飲み干し、私は再び名古屋駅へと目指した。

堀川
名古屋駅周辺

高島屋にはセールに押し寄せる人々が蠢いていたものの、まだ営業を開始したばかりのせいか怒涛の群衆は不在だった。
昼食を求めるにはいかんせん早い。
名古屋らしいおみやげや食材を見るべく、高島屋の地下を徘徊することにした。

地下もまださほど混雑していなかったが、エスカレーター横の一角だけは別の様相で次々と静かに行列が生まれていた。
「赤福」だった。
和菓子に対する知見も執着もない私でも知っているその名は、あの不正によって全国に轟かしたが、といっても三重県伊勢市から生まれた歴史と伝統の堆積は重厚だ。

その店は、今からおよそ300年前の1707年(宝永4年)に創業だという。
江戸時代の中期にあたるその年は、富士山の噴火があった年である。
また、江戸幕府5代将軍徳川綱吉による天下の悪法“生類憐れみの令”(1685年~1709年)が施行されていた時代でもある。
『赤ん坊のように純真な心で人の幸せを喜ぶ」という意味があるという「赤心慶福(せきしんけいふく)」を略して名付けられたという説もある。

赤福茶屋ジェイアール名古屋タカシマヤ店

まだ10時を過ぎたばかりで手狭な店内には客がひとりしかいなかった。
百貨店の中にあって店内は、和の情緒に包まれて目には見えない沈着が漂っていた。
昼食へも配慮し、「赤福餅盆」(300円)に着地した。
すぐさま女性店員が運んできたそれは、褐色のお盆に溶け込むような赤褐色を宿し、おとなしやかなこし餡が静かに波打っていた。
伊勢神宮に流れる五十鈴川のせせらぎをかたどった三筋の形は清流を、白い餅は川底に沈む小石を表現しているという。

赤福餅盆(300円)

いささかぬるめのほうじ茶を口内に含み、赤福餅をひとくちかじった。
朴訥とした甘さが浮かぶように広がったかと思うと、それは消えてなくなり余韻だけが薄っすらと残った。
やはり私には和菓子を理解することなどできない。
むしろ日本の歴史が私の胸に迫った。
初めて古事記を読んだ時の滑稽な欺瞞、権力と闘争の繰り返しと廃仏毀釈によって隆盛した神道という幻想……

すぐに2個目も喉を通過していった。
言えることは、300年という時を超えた赤福餅に対峙することができたということだ。
残りのほうじ茶の飲み干して席を立った。

正月セールに押し寄せる人々の間隙を縫うように昼食までのひとときのために不慣れな街を歩き続けるのだった。……


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